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2018.10.22
『古生物学者、妖怪を掘る』荻野慎諧著(NHK出版新書)を読みました。
「鵺の正体、鬼の真実」というサブタイトルがついています。一条真也の読書館『怪異古生物考』で紹介した本と同じテーマですが、同書の監修者が荻野氏慎諧氏です。同書の刊行が2018年6月12日、本書の刊行が同年7月10日です。わずかな時間の差ですが、先に出た『怪異古生物考』のうほうが文章も読みやすく、久正人氏の素晴らしいイラストも付いているので、本書はちょっと損をしていると思いました。
著者は1978年山梨県生まれ。鹿児島大学大学院理工学研究科生命物質システム専攻博士課程修了、理学博士(地質・古生物学)。京都大学霊長類研究所、産業技術総合研究所の研究員を経て、株式会社ActoWを設立。現在は兵庫県丹波市で自然を生かした地域づくりを行っています。古生物学の視点から日本各地の古い文献に出てくる妖怪や不思議な生き物の実体を研究する「妖怪古生物学」を提唱しています。
本書の帯
本書の帯には「鵺の歯」なるものの歯の写真が使われており、「妖怪は生きていた?」と大書され、続けて「鵺(ぬえ)とは、鬼とは、河童とは――科学の徒が挑む、スリリングすぎる知的遊戯!」と書かれています。
また帯の裏には「日本に隠されていた古い文献を『科学書』として読んでみると、”怪異”は全く新しい姿を見せ始める――」として、以下のような言葉が並んでいます。
◆鬼は人を喰らうというけれど、じつは……。
◆ヤマタノオロチはなぜあんな形状なのか
◆鵺は、動物園にいる「あの生物」!?
◆一つ目小僧や入道はどうして一本足?
◆「月の落とした運子」が珍重されていた!?
本書の帯の裏
さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。
「鬼、鵺、河童、一つ目入道……。誰もがよく知るあの妖怪は、じつは実在した生き物だった!? 遺された古文献を、古生物学の視点から”科学書”として読み解いてみると、サイエンスが輸入される以前の日本の科学の姿がほの見えるだけでなく、古来『怪異』とされてきたものたちの、まったく新しい顔があらわれる──。科学の徒が本気で挑む、スリリングすぎる知的遊戯!」
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
第一章 古生物学者、妖怪を見なおしてみる
一 鬼の真実──ツノという視点から
ツノある者は何食う者か
架空生物のツノ
なぜ架空の生物にツノが付くのか
現代人のツノ観
アントラーとホーン
節分で鬼に豆を投げてはならぬ
二 井上円了と寺田寅彦
怪異は分けたら怖くない
科学リテラシーと創造科学
寺田寅彦と日本の神話
先達の歩んだ道の先に
三 妖怪「科学離れ」考
科学フィーバーのノスタルジー
敵は無関心にあり
第二章 古文書の「異獣・異類」と古生物
一 鵺考──『平家物語』『源平盛衰記』を読む
鵺はネコ科のあの動物?
仮説がネットで拡散する
レッサーパンダ類とは
「ジャイアント」より「レッサー」のほうが先
最古のレッサーパンダ
時間の隔たりをどう考えるか
他の食肉類の分布の広がり
二 「一つ目」妖怪考── 化石との関係
「一つ目の妖怪」の化石
ゾウを見たことのない人は骨から姿を復元できるか
「竜骨」としてのゾウ
竜骨大論争、その後
1メートルの蛇の頭骨?
三 地誌の異獣考──『信濃奇勝録』を読む
「雷獣」は空を飛び、雲に乗る?
サルの手を持つ不思議なタヌキ
ムササビ様の不気味な異獣
江戸時代の人が地質変動を知っていた?
亀の甲羅に似た石
魚骨石や亀石がおもしろくないのはなぜか
ゾウではない? 一つ目髑髏
「一本足」の正体
水中に生きる妖怪「野茂利」
ヤツガシラに似た異鳥
「石羊」という謎の存在
イタチ科は50種類以上もいる
アナグマ亜科と小さなトラブル
四 奇石考──『雲根志』『怪石志』を読む
木内石亭、11歳で石への愛を知る
天狗の爪は何の化石?
月の落とした神秘のウンコ
化石研究者=蒐集家なのか?
第三章 妖怪古生物学って役に立つの?
あらためて妖怪古生物学とは
一 「分類」という視点から見た妖怪
分類のない世の中は幸せか
河童の分類から生類を再考する
江戸の博物学はなぜ花開いたか
二 復元と想像・創造のはざま
化石の復元と美術の視点
創作畑に足を突っ込む
けものの歯はノコギリ型か?
観察というまなざし
「あとがき」
「参考文献」
「図版の出典一覧」
『怪異古生物学』を先にアップしたので、鵺や鬼をはじめとした怪異の正体をすでに知っている方も多いでしょう。ここは、妖怪の正体を明かすよりも、「妖怪古生物学」の考え方を紹介したいと思います。
「まえがき」で、著者は以下のように述べています。
「江戸時代くらいまでの『怪異』や『妖怪』といった事象は、今でいうサイエンス――科学――のポジションとまったく同じというと語弊があるので、少なくとも代替とはなっていたという前提で進めていこうと考えている」
日本において、世間が科学を広く認識はじめたのは明治時代以降ですが、著者はもっぱら古い文献に記された不思議な生類の像に迫っていくとして、以下のように述べます。
「目の前に現れた未知の生物、それを正確に記述する姿勢は、各々の時代においては最先端の知の集大成であっただろう。文書がウソをついていないという前提ではあるが、科学以前の『科学者』である当代の識者らによって記載された珍しい動物や自然現象の正体は何か。私の興味はそこである。怪異とされたものを古生物学視点から見つめ直してみる。本書ではその手法を『妖怪古生物学』として提唱したい」
本文の最後となる第三章「妖怪古生物学って役に立つの?」の終わりに、著者は以下のように書いています。
「妖怪、というと、ステレオタイプの河童や鬼、天狗などが想起されるため、なんとなくイメージが固まっていったもの、という印象がある。しかしながら、具体的な観察記録のもとに記録された種も少なくない。記録を紐解くと、具象か抽象かの二元論で問えば、具象なのである。これは、目撃や体験がベースにあるからで、したがって抽象的な妖怪というのは構造的に生まれにくい。異獣や異類のような具体的なものであったり、カマイタチのような実体を伴わない現象も、結局は具象を切り取ったものだ。当時の科学では説明できず、不思議であったとしても、曖昧ではない。ゴミ箱的とはいえ当時の分類の枠に収まった。今、妖怪と呼ばれているものの多くは、不思議を実体化させるために不可欠な概念であったと言えるだろう」
わたしは、著者のこの文章を読んで、妖怪古生物学への情熱を感じました。それから、一条真也の読書館『UMA事件クロニクル』で紹介した本を連想しました。UMAとは未確認生物のことですが、本書でいう「妖怪」にきわめて近い存在です。ネッシー、イエティ、モスマン、ジャージー・デビル、チュパカブラ、ニンゲン……世界各地のUMAを著者の妖怪古生物学で調査していったら、果たしてどのような真実が明らかになるのでしょうか。そのことに、わたしはとても興味があります。ぜひ、著者には科学の徒として本気で挑んでいただきたいものです。