- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.1629 恋愛・結婚 『結婚の嘘』 柴門ふみ(中央公論新社)
2018.11.24
『結婚の嘘』柴門ふみ著(中央公論社)を読みました。
少し前にFOD(フジテレビ・オン・デマンド)で配信されていたドラマ「東京ラブストーリー」を全話観直しました。その後、柴門ふみ氏によるドラマの原作マンガおよび『東京ラブストーリー After25years』を読み、流れで同氏の『同窓生』を読んだら面白かったので、さらに同氏の最新作である『恋する母たち』を読んだら、これまた非常に面白かったです。
本書の帯
今年で還暦を迎える著者は、1957年徳島県生まれ。お茶の水女子大学卒。79年漫画家デビュー。代表作に『P.S.元気です、俊平』『あすなろ白書』『東京ラブストーリー』など。『東京ラブストーリー』はドラマ化されて社会現象となり、著者は「恋愛の教祖」と呼ばれました。夫は『島耕作』シリーズなどをてがける漫画家の弘兼憲史氏です。
本書のカバー表紙には和装姿で笑顔の新郎新婦のイラストが描かれており、帯には「相手は変わらない。変えられるのは、自分の気持ちだけ。」と書かれています。帯の裏には「夫が『いい人』であることと、『結婚生活の不満』は別問題なのです」と書かれています。
本書の帯の裏
また、カバー前そで、および扉には、著者が1988年に31歳で出版した『愛についての個人的意見』(PHP研究所)の中に登場する以下の言葉があります。
「結婚生活とはいわば冷蔵庫のようなものである。
冷蔵庫に入っている限られた素材で、いかにおいしいご馳走を作り出すか、それに似ている。
決して、他人の冷蔵庫を羨ましがらないことだ」
アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「『東京ラブストーリー』をはじめ、数々のヒット作を描き『恋愛の教祖』といわれる柴門さんですが、『夫婦関係』については多くを語っていません。2015年に『婦人公論』に掲載された夫・弘兼憲史さんとの赤裸々な夫婦の関係が読者やマスコミで大きな話題となりました。それをもとに、『夫婦』『結婚』『男と女』について、40年近くの自身の結婚生活や生い立ち、漫画を描く上でのリサーチなどをもとに踏み込む語り下ろし。これから結婚を考える若者向けの単なる結婚ハウツー本ではなく、現在結婚している層、人間関係に悩む人に『生き方・考え方』を提案できる本」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
序文
第一章 結婚観の嘘
第二章 結婚の誓いの嘘
第三章 夫婦は理解し合えるという嘘
第四章 結婚生活はやり直しができるの嘘
第五章 結婚生活がうまく行くというHOW TO本の嘘
第六章 老夫婦の絆は深まるの嘘
序文「問題のない結婚生活を送っている人などいない」で、著者は以下のように書いています。
「夫から妻に贈る結婚記念日のダイヤモンドの広告に心を乱してはいけません。ファミリーカーや電化製品のCMに出てくる家族を見て、なぜ私たちの家庭はこうではないのかと落胆する必要はありません。幸せなワンシーンを切り取っただけの、あれは幻想。『嘘』なのです」
続けて、著者は以下のように述べます。
「どんなに幸せそうに見える人も、それはその人の幸せな側面を見ているだけ。女同士の話は赤裸々だといいますが、あけすけなようでいて話せるのはここまで、という線引きはハッキリしているように思います。家庭の事情は他言しないと決めている人も大勢います。ママ友や仕事仲間のおつきあいの中ではもちろんのこと、心を許した友人や姉妹にさえ」
さらに、著者はこう述べるのでした。
「モヤモヤとしているのは自分だけだと思えば不満は拡大してしまいますが、みんなそうなんだと思えば乗り越えられるということがあります。自分は可哀想な妻などではなく、不満を抱くのが結婚生活のスタンダードなのだと知れば救われます。膨らんでしまった被害妄想や自己憐憫を手放せば、幸せに気づくことだってできるかもしれません」
第一章「結婚観の嘘」では、「県民性の違いは侮れない」として、著者は以下のように述べています。
「人は自分とは異質な人に強く惹かれるといいますが、恋愛はともかく、結婚は同質の人としたほうがいいといえそうです。国際結婚も、価値観や生活習慣の大きな違いから、離婚に至るケースも多いようです。こんな狭い日本においてすら、さらに同じ地域で生まれ育った人を選んだほうが無難と私は思えるのです。気持ちが大きく盛り上がることもない代わりに、大ハズレもないように思います」
第二章「結婚の誓いの嘘」では、「感情を分かち合う相手がいる救い」として、著者は以下のように述べます。
「女は結婚生活の中で、妻として、母として成長し、変貌を遂げていきます。ところが結婚しても基本的に独身時代と生活形態の変わらない男たちは、いつまでも青春時代のまま。バイクだ、ゴルフだ、夜の街だといつまでもフラフラしている。このことに対して多くの妻たちが『ずるい!』と不満を募らせているのです」
また、「花嫁衣裳の白無垢は死装束」として、著者は「花嫁衣装の白無垢は実家に対する死装束なのだと知って愕然としました。角隠しは、ムカッときて頭に生える『角』を隠すことを意味します。日本において結婚式というのは、結婚生活は苦労が多いことを前提として行う儀式なのです」と述べ、さらに、神主は「あなたは好き好んで忍耐と屈辱を強いられる人生を選びました。自由だった昨日までのあなたは死にました。生まれ変わり、今日を限りに苦労の中へ飛び込みますが、よろしいですね? みんなの前で誓いを立てて覚悟を決めてくださいね」と促していると指摘します。
こんな神前結婚式について、著者は「一体、どこがオメデタイのでしょうか?もちろん結婚生活には、新しい家族を得たりと楽しいこともたくさんあります。とはいえ、なにやらトリッキーな儀式を経て幕を開ける新しい生活に対し、『こんなはずではなかった』と思う人がいるのは当然といえば当然だと思います」
このくだりは、儀式について毎日考えているわたしからすると賛成できる部分と異議を唱えたい部分の両方があります。
『結魂論』で詳しく述べましたが、日本の結婚式には離婚をしにくくさせるノウハウが無数にありました。仲人や主賓の存在、結納という儀式、文金高島田の重さや痛さ、大人数の前でのお披露目。どれも面倒でストレスのかかることばかりです。もうこんな大変なことは二度とやりたくない、それが安易な離婚の抑止力になっていた。昨今はカジュアルな合コンの延長のような感覚で結婚パーティーを開いてしまうから、簡単に離婚してしまうのではないでしょうか。
わたしが経営する冠婚葬祭会社サンレーが意識しているのは、離婚発生率の低い結婚式場の運営です。結婚式場はいわば「夫婦工場」ですから、その製品である夫婦が離婚するということは、不良品や粗悪品を製造していることにほかなりません。離婚しない夫婦を作ることは最もお客様の利益、幸福につながると思うのです。そのためにはやはり儀式を大切にすることです。わが社のスタッフはお客様に儀式の大切さをしっかりとお伝えしており、たとえば松柏園ホテルでは年間150組ほどの結納・顔合わせが行われています。
結納とは「結び納める」ことです。昨今のイージーな結婚式だと蝶々結びのようにすぐにほどけてしまう。結納は簡単にほどけないようにぐるぐると固く結ぶ儀式なのです。ブライダル業界はついついパーティーの提案ばかりに力を入れがちです。業界として、儀式をもっと重要視し、その大切さを訴えていくべきだと思います。わたしは『儀式論』(弘文堂)で、儀式の重要性を強く訴え、カタチにはチカラがあることを具体的に説きました
さて、著者の柴門氏は33歳の時に出版した『恋愛論』(PHP研究所)という本の中で、「恋愛ほど美しいものはない」と書いていますが、本書では「恋愛の正体は性欲」として、以下のように喝破します。
「じつは恋の正体は性欲なのです。性欲を美しく衣付けしていただけなのだと、60歳を前に性欲が枯れてきてはっきりと私は認識しました。同窓会で初恋の彼と会っても『どうしてこんな人が好きだったのか?』と不思議でならなかったのですが、こちらに性欲がなくなった以上、いかにセクシーな男であってもピンとこなくなってしまったということでしょうか。人は性的に惹きつけられる人にしか『恋』はしない。性欲がなくなると、興味の対象は男でなくても、犬でもガーデニングでもいいやということになるのです」
女性でよくここまで正直に書けたものだと感銘すら受けますが、さらに著者は「『愛している』に依存しない」として、以下のように述べています。
「作家の故・渡辺淳一さんは、『いわゆる女性への褒め言葉は、心を入れたら恥ずかしくて言えない。でも、心を入れずに言っても相手は喜ぶんだから言ったほうがいいんだ』とおっしゃっていたそうですが、本当にその通りだと思います。取材で知り合った千人斬りだという三十路の男性も、『息を吸うように女を口説く』『本気で惚れていたら、相手の反応が怖くて「愛してるよ」なんて簡単に言えるものじゃない』と豪語していました」
ベストセラーになった『恋愛論』の中で、著者は「恋とは稲妻に打たれるようなものだ」としたうえで、
1.相手に会いたい
2.相手のことをもっと知りたい
3.相手と寝たい
この3つがそろえば恋であると定義づけています。
そして著者は、「恋」と「愛」とは違うもので、「愛」とは相手に対する感情移入だと書いています。激しい思いである「恋」と、穏やかな思いである「愛」が合体した結果として生まれるのが、「恋愛」なのだというわけです。著者は「手軽な恋は手軽に終わる」として、こう述べています。
「人生の中で3回恋愛することができたら大儲け、1度でも両想いの恋ができれば幸せだというのが持論ですが、たまにしか訪れないからこそ、恋愛の記憶はかけがえのない思い出として、人の心の中で輝き続けるのではないでしょうか」
さて、この世で一番好きな相手を結婚することが最も幸福なことなのでしょうか。この問題について、著者は「世界で一番好きな男と結婚することの不幸」として、「恋愛関係であっても、夫婦関係であっても自分以外の人の心を縛ることはできません。男女関係は『縁があれば続く』としか言えない不確かなものなのです。もしかしたら、『好きの総量』はあらかじめ決まっているのかもしれません。総量が100だとして、『好きの度合い×時間』という計算式を当てはめるなら、100のエネルギーで愛すれば1年で終わるし、20しか好きじゃなければ5年もつ……」などと述べています。卓見だと思います。
世界で一番好きな人と結婚した女性は幸せかもしれませんが、それで安泰というわけではありません。
著者は、以下のように述べています。
「大好きな人と結婚などしたら、気が抜けず、息もできない。夫の行動に神経を尖らせ、言葉を真に受けて動揺し、『好き』という気持ちの裏にぴったりと張り付いた、独占欲や嫉妬心に支配されながら生きていくなんて苦しすぎます。そんな結婚生活は、穏やかな幸せとは無縁です。結婚生活に必要なのは、男女愛ではなく家族愛。このことを若い世代の女性たちにしっかりと伝えていくことが、私たち世代の女性の使命なのだと私は考えています」
さらに著者は「結婚は互助会である」として、以下のように述べるのでした。
「私は、『結婚は互助会だ』と捉えることで楽になりました。病気になった時に病院へパジャマを届けてくれたり、支払いをしてくれたり、他人には頼めないことをやってくれる人材だと割り切れば、夫はやはりありがたいものです。そんなことは姉妹だって、子どもだってしてくれるという声が聞こえてきそうですが、それぞれの生活があると思うと意外と頼みづらいもの。重いものを持ってくれる、電球を取り替えてくれるなど、労働力としての男手は、女性主観で見れば結婚のメリットの1つと言えます」
この考えは、一条真也の読書館『困難な結婚』で紹介した内田樹氏の著書の内容にも通じます。同書で内田氏は「結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは『病めるとき』と『貧しきとき』です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。結婚は『病気ベース・貧乏ベース』で考えるものです」と述べています。これを読んで、わたしは、基本的に内田氏の発言に賛同しつつも、夫婦の本質である「安全保障」を別の四文字熟語で置き換えたいと思いました。それは「相互扶助」です。
「相互扶助」を二文字に縮めれば、「互助」となります。そう、互助会の「互助」です。そういうふうに考えれば、夫婦というのは、じつは互助会であることに気づきます。童話の王様ハンス・クリスチャン・アンデルセンは「涙は世界で一番小さな海」という言葉を残していますが、わたしは「夫婦は世界で一番小さな互助会」という言葉をブログに書きました。すると、本書『結婚の嘘』に著者の柴門氏が「結婚は互助会である」と明言されていたので、我が意を得た思いがしました。
第三章「夫婦は理解しあえるの嘘」では、著者は「男は『型』を優先する」として、こう述べます。
「子連れの女性と結婚する男は一見寛大に見えますが、じつはそれは子どもに対する男女の意識の違いから生じる勘違いに過ぎない場合があります。そばにいて毎日毎日愛情を注ぐというのが女の我が子に対する愛情のかけ方ですが、男は違います。もちろん例外はありますが、多くの男は子育ては妻の仕事だと考えているし、自分が毎日面倒を見るわけでもないので、経済的な算段が立ちさえすれば、結婚相手が子連れであろうと問題はないと考えるのです」
第五章「老後は夫婦の絆が深まるの嘘」では、「年を重ねれば人間ができてくる!?」として、著者は以下のように述べています。
「一頃、キレる老人が急増していると話題になっていました。ことの発端は、小学生にたばこのポイ捨てを注意された老人が、小学生の音を絞めたという事件だったように記憶しています。事件を起こした老人は極端な例だとしても、そもそも年を重ねれば人間ができてくるなどというのは嘘なのです。
老人がキレやすくなるのは脳の老化によるものなのだとか。難しいことはわかりませんが、若い頃には機能していた理性という名の筋肉が、老いると緩んでくるのではないかと私は推測しています」
最後に、著者は夫婦の「縁」について述べます。
「夫婦の縁とは何か?」と訊かれたら、著者は「相性」だと答えるそうです。「縁とは『相性』のこと」として、著者は以下のように書いています。
「なんだかんだいっても、長年連れ添う夫婦は相性がいいのです。喧嘩ばかり繰り返す夫婦であっても、破れ鍋に綴じ蓋。夫の愚痴をこぼしている人も、夫のことを話題にしているうちは、本人が思うほど深刻ではないともいえそうです」
そして、著者は、「本当に夫のことが嫌いなら、夫のことなど口にするのも不愉快だと感じ、心から抹殺してしまうのではないかと思うのです。重ねてきた日々は嘘をつきません。辛いことばかりならとっくの昔に別れていたはず。自分の意思で一緒にいるのだということ、そして縁があるのだと認めることが、心に折りあいをつけ、『これでよかったのだ』と思う気持ちに通じているのではないでしょうか」と述べるのでした。
著者の夫である弘兼憲史氏は、TVドラマ化も今年された『黄昏流星群』という大人の恋愛や不倫をテーマにしたマンガで知られています。妻である著者も最新作『恋する母たち』をはじめ、不倫は作品の大きなテーマとなっています。そんな夫婦生活を営んできた方から、上記のような言葉が出てきたことに、わたしは「やっぱり結婚はいいものだ」と思ってしまいました。