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2019.06.09
『学問こそが教養である』渡部昇一著、江藤裕之編(育鵬社)を紹介いたします。編者の江藤氏から贈呈された本なのですが、同氏は東北大学大学院教授・清風学園顧問であり、わたしの中学校の同級生でもあります。一条真也の読書館『読む力』で紹介した本では、著者の渡部昇一先生が「知の巨人」であったことを松岡正剛・佐藤優の両氏が認めていますが、本書でも著者の「知の巨人」ぶりが大いに示されています。
本書の帯
カバー表紙には和服で正装した著者の写真が使われ、帯には「『知的生活』を続け、世界的な英語学者であった『知の巨人』による実践的教養論」「愛弟子が語る『恩師の素顔』も掲載!」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の帯の裏には、以下のように書かれています。
「今さら言うまでもないことだが、先生はまさに『知の百貨店』と称されるにふさわしい、該博、博覧強記の知識人であった。大学教授、保守論客、作家・評論家など、まさに、いろいろな顔をもたれていた。もっとも、言論活動のゆえか、先生の本職が英語であったことを知らない人もいた――(編者あとがきより)」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
まえがき(江藤裕之)
1 対話する西洋と日本
(1994年5月11日、ドイツ・ミュンスター大学名誉博士号取得記念講演)
2 科学からオカルトへ――A・R・ウォレスの場合
(2001年1月20日、上智大学における最終講義)
3 チェスタトンの最近刊行物について考えること
(2013年11月10日、イギリス国学協会年次コロキウム特別講演)
4 英語教育における英語史の効用
(2013年3月9日、イギリス国学協会創立20周年記念講演)
5 新々語源学の理念
(1993年12月17日、於上智大学渡部研究室)
6 教育問題を考える三つの視点
(2002年11月12日、於ホテルグランヴィア京都)
7 「教育」「学校」「英語」そして「学問」
(2000年9月1日、於喫茶室ルノアール四谷店)
あとがきに代えて――恩師、渡部昇一先生の素顔――(江藤裕之)
献本に添えられていた編者の江藤氏からの手紙には、次のように書かれていました。
「本書は、渡部先生が学問と教育について語られた、あまり知られていない原稿についてまとめたものです。教養とは単なるノウハウではなく、教養を身につけるためには真摯に学問をし、そして自分の頭で考えなければなりません。そこから自らの行動規範が生まれ、自ずと品格も出てきます。そこで、『知の百貨店』のごとく、文明論、日本学、古今東西の歴史、言語学・英語学、そして教育論、教育実践など多岐にわたる渡部先生のご論考を示すことで、本当の教養とは何かを考える機会になればと考えました」
本書の「まえがき」では、江藤氏はこう述べています。
「渡部先生が学問と教育について語られた、あまり知られていない原稿をこのような形でまとめることができ、私としては望外の幸せである。四世紀以上にわたって先生のご謦咳に接することのできた果報者である私を評して、ときどき『最後の弟子』だとか『最愛の弟子』とか評してくださる方もいる。しかし、そういったことはまったくなく、優秀な弟子は他にもたくさんいる。思い起こせば先生になにひとつ恩返しをしていない。このささやかな仕事が先生のご恩に少しでも報いることができればと願っている」
中学の同窓会で再会した江藤裕之氏
本書の内容ですが、著者の専門である英語の章などはちょっと難しかったですが、ウォレスの進化論やチェスタトンの章など非常に興味深かったです。また、喫茶室ルノアール四谷店での渡部先生との対話で、江藤氏がTBSドラマ「3年B組金八先生」について、「金八は授業をしないで人生論ばかり説いている」と批判しているのが面白かったです。わたしも金八は嫌いです。(笑)
本書では、著者の渡部氏の「知の巨人」ぶりを存分に味わうとともに、編者である江藤氏の発言や師を回顧する文章が多く、とても興味深かったです。
「あとがきに代えて」にわたしの名前を発見!
「あとがきに代えて」では、著者ゆかりの人物を江藤氏がたくさん紹介していますが、その中にわたしの名前も出てきて驚きました。江藤氏は自身の高校卒業後のことを以下のように書いています。
「受験に失敗し、幸か不幸か1年浪人することになったが、予備校で中学の時の同級であった佐久間庸和氏に再会した。同級生の中で並ぶもののいない読書家であった佐久間君は、今でも、会社経営のかたわら一条真也のペンネームで精力的に執筆活動を続けている。彼も先生の愛読者で、わたしが先生の本を読んでいるのを見ると、『日本史から見た日本人』や谷沢栄一先生との対談『読書連弾』『読書友朋』など、私の知らない本を紹介してくれた。佐久間君がいなければ、先生の本の世界へあれほど深入りしなかったかもしれない。上には上がいるものだが、彼には感謝している」
渡部先生の書斎で、先生と
続けて、江藤氏は以下のように書いています。
「こうやって、浪人時代は、予備校の勉強はほっておいて、先生の本を中心にひたすら読書に明け暮れていた。余談であるが、ずいぶんと後になって数年前同窓会で佐久間君と再会し、ひょんなことから二人で先生のご自宅をお訪ねし、書庫を見学、歓談した。その後、佐久間君は先生との対談本『永遠の知的生活――余生を豊かに生きるヒント』を出された。まことに、縁とは異なものである」
そう、一条真也の新ハートフル・ブログ「渡部昇一先生」で紹介したように、2014年の7月7日、わたしは心から尊敬する渡部昇一先生の御自宅を江藤氏とともに訪問し、謦咳に接する機会を得たのです。渡部先生の書斎に案内していただきましたがが、それはもう夢のような時間でした。2階建ての書斎には膨大な本が並べられており、英語の稀覯本もたくさんありました。伝説の『ブリタニカ百科事典』第1版の初版をはじめ、歴代のブリタニカもすべて全巻揃っていました。先生の蔵書は約15万冊だそうですが、間違いなく日本一の個人ライブラリーだと確信しました。
『永遠の知的生活』(実業之日本社)
その後、一条真也の新ハートフル・ブログ「渡部昇一先生と対談しました」で紹介したように、2014年8月14日、憧れの渡部先生と対談をさせていただきました。ついに長年の念願が叶った日でした。その対談内容は、『永遠の知的生活』(実業之日本社)として刊行されました。対談は5時間以上にも及びましたが、最後にわたしは書名にもなっている「永遠の知的生活」について語りました。わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。
渡部昇一先生
本書『学問こそが教養である』の「あとがきに代えて」で、江藤氏は著者の人柄について以下のように述べています。
「先生のお人柄を『一言』でいえばどうなるか。私は、『底抜けの明るさと常にものごとを前向き(ポジティブ)にとらえる姿勢』だったのではないかと思う。
先生の明るさとポジティブ思考、そして先生の教養の背景にあるものは何だろうか。私なりに考えてみると、そこには3つのものが見えてくる。先生の知の世界のバックボーンとなったアリストテレス的な知的態度、先生の人間への絶対的信頼の根本にある儒教的な人間観(性善説)、そして、先生の心の持ちようを支えるカール・ヒルティの『幸福論』にみられるようなストア派の心的態度である。先生の初期の作品――『「人間らしさ」の構造』、『文科の時代』(特に「オカルトについて」)など――を読むと、そのように思えてくる。それをあえて一言でいうとすれば『怪力乱神を語らず』の精神のような気がしてくる」
まるで孔子のような方でした
わたし自身の感想を言えば、渡部昇一先生はクリスチャンであったにも関わらず、孔子のイメージに重なりました。渡部先生は大いなる「礼」の人だったのです。江藤君(ここからは「江藤氏」ではなく「江藤君」と呼ばせていただきます)と一緒に先生のご自宅を失礼する、渡部先生はその後、一番町のPHP研究所に行かれるご予定でした。「一緒にタクシーで行きましょう」とお誘いを受け、江藤君とわたしはタクシーに同乗させていただくことになりました。わたしたちは、途中の四谷でタクシーを降りました。ちょうど、渡部先生や江藤君の母校である上智大学の前でした。渡部先生はタクシーの窓をわざわざ開けて、わたしたちにずっと手を振って下さいました。正直言って、これほど偉い先生がこれほどフレンドリーに接して下さるとは思いもしませんでした。
真の教養人とは礼儀正しいことを学びました
「一条真也の読書館」のトップページには、「わたしは、本を読むという行為そのものが豊かな知識にのみならず、思慮深さ、常識、人間関係を良くする知恵、ひいてはそれらの総体としての教養を身につけて『上品』な人間をつくるためのものだと確信しています」と書かれていますが、これはまさに渡部先生のことです。いくら万巻の書を読み、博覧強記であっても非常識な人もいますが、わたしは渡部先生ほど思いやりと礼節のある方を他に知りません。孔子が求めた「礼」を知り尽くしておられて、それでいて堅苦しさなどまったく感じさせません。そこにはブッダの説いた「慈しみ」の心さえも感じました。まさに「慈礼」というものを体得された方だと思います。わたしは、心の底から感銘を受けました。真の教養人とは礼儀正しいのだということを先生から学びました。
渡部昇一先生と江藤裕之氏
本当の教養人、ジェントルマンとは、渡部先生のような方なのでしょう。わたしは、渡部先生の人間性に心服いたしました。「稀代の碩学」「知の巨人」「現代の賢者」は、大いなる「人間通」でもありました!
中学のときから憧れていた方の謦咳に接することができて、平成26年の七夕は一生忘れられません。また、江藤君にも感謝の気持ちでいっぱいです。このような素晴らしい本を出された江藤君は、やはり渡部先生の「最後の弟子」であり「最愛の弟子」であると思います。ご帰天された渡部先生もさぞ喜んでおられることでしょう。そして、わたしが現在、上智大学の客員教授を務めるという御縁をいただいたのは、天におられる渡部先生のお計らいのような気がしてなりません。