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No.1773 読書論・読書術 『政治学者が実践する 流されない読書』 岩田温著(育鵬社)
2019.09.29
『政治学者が実践する 流されない読書』岩田温著(育鵬社)を読みました。著者は昭和58年(1983年)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院修了。現在、大和大学政治経済学部講師。専攻は政治哲学。著書に『人種差別から読み解く大東亜戦争』『「リベラル」という病』(以上、彩図社)、『逆説の政治哲学』(ベスト新書)、『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)などがあります。
本書の帯
本書の帯には著者近影とともに「教養とは「思想的軸」――それは読書でつくられる。」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに――流されないために読書で『思想的軸』を培う」
第一章 読書は「人をして善き方向に向かわしめる」可能性がある
第二章 初めて読む人にとっては古典も最新作
第三章 やってはいけない! ヒトラー流‟自分の世界観を強化する”読書
第四章 「活字の舟」に乗って
第五章 本の世界へ旅をはじめよう
一 読むべき本との出合い方
二 本の世界へ舟を漕ぎ出す
三 面白くて一気に読める長編
四 作品と出合った縁を大切にする
五 中国の古典はこんなに面白い!
第六章 不条理なこの世界で私たちは何のために生きるのか「おわりに」
一 人は何のために生きるのか
二 不条理なこの世界を生き抜くための哲学
三 私たちが学び続ける理由
「おわりに」
[本書で紹介した書籍]
「はじめに」で、著者は以下のように述べています。
「現代は情報が過剰ともいうべき時代です。マスメディアだけでなく、SNSを通じて、膨大な情報が我々の手に届きます。こうした情報を活用するのは結構ですが、多くの人が情報に踊らされているようにも思えてなりません。容易に流されることなく、自分自身で一つひとつの情報を吟味していくためには、読書によって培われた『思想的軸』が重要となってきます。『思想的軸』とは、必ずしも、思想そのものから導き出されるわけではありません。面白いと思って読み始めた推理小説の登場人物の台詞の中に、驚くべき洞察を見出すことがあるかもしれません」
第二章「初めて読む人にとっては古典も最新作」では、「欲望の赴くままに生きるのは『家畜と同じ』」として、著者は一家のように述べています。
「動物と同じような情欲だけで構わない、人間は野獣の一種だと考えるところからは、本当の読書はなされないのではないでしょうか。自分自身が変わる可能性を求めて、人は本を読むのです。今のままで充足している、完全に満足しているという状況では、真剣に本を読もうとは思わない。何か自分自身に欠落しているものがあるはずだ。その欠落を補い、今ある私自身がわずかなりとも変われるはずだ。そういう一種の喪失感というか飢餓感と向上心が、人を本に向わせるのです」
第三章「やってはいけない! ヒトラー流‟自分の世界観を強化する”読書”」では、一条真也の読書館『ヒトラーの秘密図書館』で紹介した本を紹介し、著者は以下のように述べています。
「ヒトラーの読書法は極めて独善的な読書法です。簡単に言えば、読書している際、ヒトラーは著者から謙虚に何か学ぼうとするのではなく、本の中に『自分の読みたい部分』、『自分が考えていることをさらに納得させてくれる部分』を探し、そうした部分を読んで、自分自身の世界観の正しさを確信しようとしているだけなのです」
それから、ヒトラーに影響を与えた哲学者ショーペンハウアーの『読書について』を取り上げ、著者はこう述べます。
「ショーペンハウアーは『他人の頭で考える』読書の弊害について批判し、自分自身の頭で考える重要性を指摘しました。たしかに一面の真理だと思います。しかし、自分自身の中の極端な世界観を読書によって訂正していくことも重要です。それは決して、他人の頭で考え続けることを意味しません。自分自身の世界観を揺さぶるような経験をしなければ、独善的な世界観を正すことはできません。やはり読書は、自分と著者との「真剣な対話」でなければならないのではないでしょうか。著者の言葉を鵜呑みにするのも危険であれば、同様に自分自身の世界観にまったく疑いを抱かず、その世界観の正しさを補強する部分のみを探すような読書も危険でしょう。読書は極めて知的で素敵な営みですが、その方法、目的を誤れば、破滅的な結果をもたらします。その人の人生を狂わせるぐらい、強い毒素を持っている場合もあるのです」
第四章「『活字の舟』に乗って」では、「渡部昇一先生からの返信」として、著者が渡部昇一氏の大段であり、ファンレターを送ったときの思い出が書かれています。
「高校生の頃、渡部先生の本を読んだ私は、感激のあまり拙い感想を書き、先生に送ったことがあります。まったくの素人で縁もゆかりもない高校生がファンレターを書いたといったら分かりやすいでしょうか。すると驚いたことに、田舎の高校生であった私のところに渡部先生からお返事が届いたのです。文面はパソコンで打ってあったので、恐らく秘書の方が打ち込んだと思いますが、先生がしっかりと私の感想をお読みいただいたことが分かる内容でした。その返信の最後に『岩田君の大成を期待しつつ』と書いてありました。たいへん感激したことを覚えています。この渡部先生のお言葉に刺激を受け、私はこれまで一生懸命勉強してきたといっても言い過ぎではないでしょう」
『永遠の知的生活』(実業之日本社)
このときの著者の感激はよく理解できます。なぜなら、わたしもまったく同じ経験をしたことがあるからです。わたしが本を書くようになると、渡部先生に献本し続けました。すると、いつも最後に直筆の署名が入った礼状を頂戴しました。その後、一条真也の新ハートフル・ブログ「渡部昇一先生と対談しました」で紹介したように、2014年8月14日、憧れの渡部先生と対談をさせていただきました。ついに長年の念願が叶った日でした。その対談内容は、『永遠の知的生活』(実業之日本社)として刊行されました。対談は5時間以上にも及びましたが、最後にわたしは書名にもなっている「永遠の知的生活」について語りました。わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。
著者は、一条真也の読書館『青春の読書』で紹介した本に言及し、渡部先生が推理小説の大家であった江戸川乱歩の「活字の舟」という言葉を使って読書について説明したとして、以下のように述べています。「この著名な推理小説家は、読書の醍醐味を『活字の舟』と表現したそうです。人間は『活字の舟』に乗って、まったく異なる国、世界を訪問することができるというわけです。この『活字の舟』という表現は、読書の本質を鋭く衝いた卓抜な表現でしょう。恐らく、読書が本当に好きな人であるならば、この『活字の舟』に乗った経験があるはずです。本を読むのが面白くて、面白くてたまらないという経験をしたことがある人ならば、その時間こそが『活字の舟』に乗っている瞬間だと感じたことでしょう」
渡部先生は『青春の読書』で、徳富蘇峰は『読書法』という本を紹介します。8歳ですでに『南総里見八犬伝』『絵本三国志』『絵本太閤記』を読み、10代のうちに『四書』『五経』『春秋左氏伝』『資治通鑑』『史記』『唐宋八家文』などを一通り読んだという稀代の読書家であった蘇峰は以下のように述べています。
「昔からいわゆる歴史なるものはただ一種の記録であって、いわば日記帳に少し毛の生えた類にすぎない。しかしてその間に出で来った小説なるものは、むしろその時代の精神、時代の動向、いわばその時代そのものを映し出して、かえって歴史以上の歴史を我らに提供するものがある」
この蘇峰の言葉について、著者は「これは非常に納得がいく見解です。歴史小説の類は一切がフィクションで無駄だと考える実証主義的な歴史家が存在するのは確かですが、無味乾燥な事実よりも、躍動する筆致で過去の時代を描いた方が、一般の読者にとっては興味が掻き立てられるでしょう。歴史の細かい資料ばかり見ていても、そこに躍動感はありません」と述べています。そして、蘇峰は自分自身の読書法について「予自身は読書は他人と交際すると同様の気持ちをもって書物に向かおうとする」と述べたことを紹介します。
そして、著者は以下のように述べるのでした。
「渡部先生の『青春の読書』を読み始めた時、渡部先生の逝去という深い悲しみがありました。しかし、読み進めていくうちにドンドン明るい気分になっていきました。こういう知的に誠実な人生を歩み続けた生涯だったのだな、この精神の在り方は今も変わることなく残っていると実感できました。渡部先生の紹介によって知った徳富蘇峰の著作、そして蘇峰から教わったミルトンの著作、これらを次々に読み進めていくと、これだけ立派な人々が存在したということ自体、実にありがたいことだと思えるし、そういう人々の魂の籠った著作を読める幸せというものをしみじみと感じ入りました」
著者は、大学も学部もわたしにとって後輩に当たりますが、渡部昇一先生に私淑した者として同じ立場にありました。本書には渡部先生に対する深い敬愛の念が溢れており、読んでいて胸が熱くなりました。