No.1861 オカルト・陰謀 | 宗教・精神世界 | 神話・儀礼 『フリーメイソン 真実の歴史』 クリストファー・アーンショー著(学研)

2020.04.24

このたびの「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
『フリーメイソン 真実の歴史』クリストファー・アーンショー著(学研)を読みました。「現役メイソンが語る世界最大の秘密結社の正体」というサブタイトルがついています。版元がかの悪名高き(笑)オカルト雑誌「ムー」の発行元であることから、本書も「トンデモ系オカルト本」ではないかと思っていました。しかし、ネットである人が本書を紹介している記事を読み、内容に興味が湧いてきました。読んでみると、「儀式」に焦点を当てて書かれており、秘密結社というよりは儀式結社としてのフリーメイソンの本質に言及していて、わたし向きの本でした。
著者は、イギリス生まれ。ロンドン大学日中文学部卒業。アトランティック大学を経て、超個人心理学の修士号、脳神経学の博士号を取得。テスラ製薬の取締社長とライフ・マネジメント自殺予防NPOの創立者兼代表。

本書の帯

カバー表紙には、スクエア(直角定規)とコンパスのフリーメイソンのシンボルと儀式の舞台が描かれ、帯には「フリーメイソンの本当の歴史を語る日本語で書かれた本の出版は、長い間待たれていた。素晴らしい出来事だ。とても面白く、説得力に富んだ一冊である」という ドナルド・スミス PGM、グランド・マスター2011年 の言葉が紹介されています。

本書の帯の裏

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「献辞」
序章   フリーメイソンリーは世界を制するか?
第1章 大自然の神秘の十字架はイエスにかかわるか?
第2章 古代エジプトの宗教は永遠の生を目ざす
第3章 アンクが象徴するフリーメイソン・エジプト儀式
第4章 フリーメイソンの起源は孟子にあるのか?
第5章 古今の錬金術とフリーメイソンリーの深いかかわり
第6章 テンプル騎士団と聖杯を結ぶ謎
第7章 ホスピタル騎士団の転落と再興
第8章 カルトと宗教と秘密結社
第9章 新たなエルサレムを目ざして
「あとがき」

序章「フリーメイソンリーは世界を制するか?」の冒頭を、「フリーメイソンとは何か」として、著者は以下のように書きだしています。
「『フリーメイソン』とは厳密には個人会員のことであり、彼らが集まった組織や団体を『フリーメイソンリー』と呼びます。フリーメイソンリーはまた、3つの階級を与える組織でもあります。悲しいことに、多くの人々はフリーメイソンリーを『世界を制するユダヤの闇の組織』だと思っています。しかし、これらの考えには裏づける証拠もなく、信用できない情報源を読んだためだと私にはわかります。私が知っているフリーメイソンリーは道徳教育や慈善活動を行っている友愛団体であり、一般社団法人でもあります。だからこそ私自身も研究してみようと思い立ったのです」

第1章 「大自然の神秘の十字架はイエスにかかわるか?」では、フリーメイソンの儀式の起源が古代エジプトにあることが指摘され、さらには「ナイル川は死後の世界への通路」として、「ナイル川はまた、死後の世界への通路と考えられていました。誕生と死と復活の儀式における太陽神ラーが司る天空の下、日々の交差に基づいて、東側は原初の場所であり、西側は死の場所でした。ピラミッドやマスタバと呼ばれる墳墓は、当然ながらナイル川の西に位置し、死後の世界への出入りをよりたやすくしています」と書かれています。

また、「死者の魂は永遠に生きる」として、著者は、「古代エジプトで、ピラミッド以前に造られた貴人たち用の大型墳墓があります。これが長方形の『マスタバ』です。これには貴人たちが、死後の世界で必要とすると考えられた貴重品やさまざまな日用品などが、遺体とともに葬られていました。マスタバそのものは平屋建てでしたが、こうした副葬品はすべて地下に置かれたようです。この形式の墳墓を最初に造ったのは、初期王朝第1王朝時代のファラオであったホル・アハ(在位:紀元前3062頃~前3000年頃)とも、古王国第3王朝初代ファラオとなったサナクト(在位:紀元前2686頃~前2668年頃)ともいわれています。ちなみに、最初にピラミッドを造ったのは、第3王朝の2代目ファラオ、ジェセル(在位:紀元前2668頃~前2649年頃)とされています」と述べています。

続けて、著者は「こうした初期のマスタバやピラミッドは、確かにファラオの墓地だったのかもしれません。しかし、新王国の頃にはファラオたちは副葬品の盗掘を防ぐため、マスタバやピラミッドには葬られず、ナイル川西岸の『王家の谷』と呼ばれる露出岩石地の地下に埋葬されるようになりました。不思議なことに、墓として使わなくなったにもかかわらず、エジプト人たちはピラミッドを依然として造りつづけました。事実、ひとりのファラオが3つのピラミッドを造った事例もあるほどです。ピラミッドはもはや古代エジプト人にとって、霊的な何かのシンボルとなっていたのかもしれません」と述べます。

1947年、第2次世界大戦後、エルサレムの東にある地域で『死海文書』が発見されました。当時、この土地クムランはイギリス委任統治領下にありました(現在はヨルダン川西岸地区所属)。『死海文書』は一部銅板製もあるものの、ほとんどが羊皮紙に書かれ、丘の斜面にある洞窟の中の大きな壺に隠されていました。文書は1950年代以降に翻訳・出版されました。羊皮紙の破片は山ほどありましたが、2009年にほぼすべての翻訳が終了しています。著者は、「『死海文書』は何を語る?」として、「同文書はソロモンの第2神殿がローマ兵により破壊された時代、すなわち紀元前200年から西暦58年に起きたことを記したもので、著したのはユダヤ教から分派した、エッセネ派と呼ばれる人々といわれています。彼らはユダヤ人社会から離れ、この荒れはてた土地クムランで暮らしていました。そして、ユダヤ人と同様に、メシア(救世主)の再来を信じていたのです」と説明しています。

また、「『旧約聖書』は古代エジプト第18王朝の歴史」として、著者はモーセを取り上げ、「モーセは人物名ではなく肩書を示す名称で、『息子』または『相続人』を意味するという説もあります。そして、これこそアメンホテプ4世(在位:紀元前1353~前1336年頃)のことで、アメンホテプ3世の息子なのではないかと考えられています。古代エジプトでは即位の時に改名しますが、アメンホテプ4世(モーセ?)もファラオになったとき、『アクエンアテン』となりました。そして、それまでの宗教=多神教を廃止、太陽神アテンを唯一神としてエジプトに導入したのです。さらには、太陽そのものも『アテン』と呼んで、人々に崇拝するよう推奨しました。しかし、当時の聖職者はこれに不満でした」と述べています。

1937年、オーストリアの精神医学者ジークムント・フロイト(1856~1939年)は「モーセはアクエンアテンである」という内容の論文を執筆していました。彼が当時住んでいたウィーンのユダヤ人社会がこれを知り、大反発しました。結局、ユダヤ人たちによる圧力のため、フロイトのこの論文が発表されたのは、彼の死後となりました。1990年、エジプトの作家アーメド・オズマンがこの論文の内容をさらに研究し、著書として発刊しました。今度はイスラム教徒たちの反発を招きました。なぜなら、彼らの信奉する聖典『コーラン』の中に、モーセが登場するからです。著者は「ファラオは罪人だった?」として、「アクエンアテンの息子の名は『トゥトアンクアテン』で、王に即位した際には、『トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)』と名を変えました。彼は9歳で即位し、9年間在位した後、18歳で他界しました。トゥトアンクアムンとその父アクエンアテン、その後3代の王による治世は『アマルナ王朝』とも呼ばれます』と述べています。

ここで、「イエスとツタンカーメンが同一人物である可能性」として、本書の最大の重要内容が書かれています。
「イエス・キリストは受難者ですが、根の国(冥界)に入って復活しました。これはエジプト神話の冥界神オシリスのエピソードと似ています。オシリスも同様に、一度死んだ後にこの世に戻ってきました。ツタンカーメンは当時のエジプトの宗教の代表者です。『イエス』と『イェホシュア』と『ツタンカーメン』は、恐らく同一人物でしょう。ツタンカーメンは9歳で即位した後、14歳の時にそれまでのアテン信仰は残しつつも、それ以外の神々の地位も戻そうとしました。閉鎖されていた神殿を再度開き、そこに祀られていた神を再び信仰することを認めたのです。こうした逸話もまた、『新約聖書』に同様の逸話が確認できます。それは『ルカによる福音書』で、イエス・キリストがある両替商の店に転用されていたかつての神殿に行き、商人たちを追い出すというものです」

また、キリスト教と古代エジプトの関係について、著者は、「実はキリスト教と古代エジプト人の宗教観には、いくつもの共通点があります。たとえば、キリスト教には、先述したように『インマヌエル(イエス=救世主)』という言葉があるのですが、これは母音を抜くと、『アムンエル』で、古代エジプトの神を意味する言葉となります。また、エジプトの石棺に描かれた言葉に、『オシリスの祈り』があります。これはキリスト教の聖餐式に使うものと同じです。キリスト教には古くから伝わる赤い薔薇のシンボルがありますが、それはこの祈りに由来するものなのです。このように共通点は枚挙の暇がないほどです。つまり、キリスト教という宗教の源は、古代のアマルナ王朝時代に見つけることができるといえるのです」と述べています。

モーセの本名はアメンホテプ4世と主張する著者は、「『旧約聖書』の重要人物をファラオと重なる」として、「ガダラ・ムスタファの研究によると、やはり『旧約聖書』に登場する重要人物は、古代エジプトのファラオに重ね合わせることが可能のようです。アメンホテプ3世はソロモン王、アメンホテプ4世=アクエンアテンはモーセ、ツタンカーメンはイエス・キリスト」として、さらには「エジプト語のアテンをヘブライ語で発音すると、『アドン』となります。そこから転じて『アドナイ』という言葉が生まれましたが、これはヘブライ語の『神』という意味となります。『旧約聖書』『詩編』104番にもアドナイの名前が出てきます。ちなみに、アクエンアテンの参事官であるパネハシは、聖書には『ピネハス』と書かれています。『旧約聖書』ではピネハスはモーセに従うユダヤ教祭司ですが、『新約聖書』ではイエス・キリストの処刑命令を出したヘブライ人として登場しているのです」と述べます。

また、「アクエンアテンは『堕天使』か?」として、著者は、「驚くべきことに1922年、イギリスのエジプト考古学者ハワード・カーター(1874~1939年)が、王家の谷でツタンカーメンの墓を最初に調査したとき、1300年頃のキリスト教で使われた祭具などを発見しているのです。たとえばロープ、それにイエスが磔刑のときにかぶったものと同じような棘の刑冠などです。その際に、ツタンカーメンの骨が何本か折れていることも発見しました。また、棺の回りにはイースター(復活祭。春の祭り)のときにしか咲かない花も供えられていました」と述べています。

ここで、著者はなんと孔子の名前を出し、「孔子曰く『未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』として、「昔からフリーメイソンリーのことは『寓話で覆われ、象徴物で描かれた道徳の教え』などといわれます。それは人生の意味を探ることだと私は思います。『フリーメイソンリー』の意味は、私がここにいる人を変えることではなくて、自分で自分を変えることだと思います。これが宗教との大きな違いなのです。20世紀アメリカの有名な超能力者だったエドガー・ケイシー(1877~1945年)いわく、『最後に克服するのは死であり、人生の知識は死の知識である』。また、古代中国の哲学者、孔子(紀元前552~前479年)の言行録『論語』には、『あなたが人生を理解できないなら、どのように死を理解するのか?』と書かれています」と述べています。

さらに、「7つの魂の行方」として、エジプト人の死後には3つのシナリオがあると指摘し、まず第1のシナリオを以下のように紹介します。
「死者は冥界神オシリスの前に出て『あなたは喜びをもたらしましたか?』『自分は喜びを見つけましたか?』というふたつの質問をされます。それだけではありません。真理と正義を司る女神マアトの持つ天秤で、自分の心臓の重さを真理の羽根の重さと比較されるのです。これは死者の心臓が純粋なものかどうかを確認するための儀式で、天秤が釣り合わなかった死者の『カ』は、鰐に似たアメミットという怪物に食べられてしまいます」
第2のシナリオでは、親族が死者のために大きな墓を造り、そこに供物を頻繁に捧げなければ、「カ」が死んでしまうというもの。そのため、墓にはコップや食器などの容器だけでなく、食べ物や飲み物といった中身を供える必要があったといいます。そして第3のシナリオについて、著者は以下のように述べます。
「これはこの中で最もいい結果を生み、これこそが古代エジプトにおける葬儀の目的というべきものです。すなわち『カ』と『バ』が統合されることです。先述したように、このとき統合された魂は『アク』と呼ばれ、3つ目の魂とでもいうべき存在が、新たに作り出されることを意味していました」

第4章「フリーメイソンの起源は孟子にあるのか?」では、この驚くべきタイトルを持つ章の冒頭を、「ブラザーTが遺した『謎解き』への手掛かり」として、著者は以下のように書きだしています。
「1996年9月、フリーメイソンリーのフランス人会員、プラザーTによって著された論文です、彼は『フリーメイソンリーの起源は中国か?』という小論文を著しました。そして、その中でフリーメイソンリーと古代中国における数々の興味深い関連性について触れています。たとえば、古い中国語の文書における表現には、フリーメイソンと同じシンボルが使われており、『スクエア(直角定規)とコンパス』といったロッジで使われているシンボルさえも、そういった文書に見受けられるのです」

著者は中国語で「ティエン・ディ・ホエイ」と呼ばれる「天地会」を研究しましたが、その結果、多くのフリーメイソンとの興味深い一致に出くわしたとして、「中国政府に残っている天地会に関する記録は、1761年頃から始まっているようですが、その歴史は天地会の起源がそれよりずっと以前であることを示唆しています。チュング氏によると、天地会は香港や極東アジアの『三合会』の基になる組織であり、犯罪や恐喝に関連していましたが、もともとは政治的かつ福祉的な目的を持っており、中国初の相互扶助会とも呼べます」と述べています。

続けて、著者は「フリーメイソンリーと『奇妙な一致点』を持つ天地会」として、「フリーメイソンリーとの相関関係に関していえば、天地会は『三兄弟』によって運営される組織ですが、共通項として儀式、秘密の暗号、認可書のほか、会員であることを示す共通のエプロンや新たな仲間に分け与える布切れなどがあります。別の偶然の一致としては、フリーメイソンリーが1390年からの起源を示す『王の写本』を持っているのと同様に、天地会にも『西路』と呼ばれる、伝説的な起源が記された文書があることです」と述べます。

さて、「孔子、老子、仏教はヨーロッパへ」として、著者は、「1660年代、イエズス会(1543年に結成されたスペインのカトリック系修道会)の宣教師が、思想家・孔子の書物をラテン語に翻訳しただけでなく、聖書を含む多くのスペイン語文書を中国語に翻訳しました。ドイツの哲学者・数学者ゴットフリート・ライプニッツ(1646~1716年)は、中国文化の普及をヨーロッパで促進した先駆けのひとりで、孔子以外にもやはり古代中国の思想家であった老子(生没年不明。紀元前6世紀頃?)、それに仏教を紹介しました」と述べています。

ライプニッツはまた、「六線星形(へキサグラム)」の研究から、二進法の算術を発見した人物でもありました。ただし、1697年に彼が『中国最新事情』を出版したとき、中国に関する文献は、すでに1667年に、同じくドイツの学者アタナシウス・キルヒャー(1602~1680年)などによって出版されていたのです。ちなみに、ライプニッツの中国に関する研究は、ヨーロッパの思想にきわめて大きな影響を与えたと指摘し、著者は、「そのためヨーロッパ社会においては、フリーメイソンリーが幅を利かせていた1700年代の、いわゆる『啓蒙時代(聖書や神学などこれまでの権威を離れ、理性からもたらされる知によって世界を把握しようとする思想運動)』より前に、中国人が開発してきた物品への関心は高かっただろうと推測されます」と述べます。

さらに、「孟子はプラトンと同時代人」として、「孟子(本名、孟軻〈メン・カー〉)は山東省、現在の北京の南に生まれました。孔子の生誕地からわずか30キロメートル離れたところです。孟子は哲学者であり、かの古代ギリシャの哲学者プラトン(紀元前427~前347年)と、ほぼ同時代を生きた人物でした。中国全土を旅して多くの為政者や権力者に助言し、今でいうコンサルタントのような仕事をしていたとされています。孟子は戦国時代(紀元前403~前221年)の斉国に7年間仕えましたが、彼の助言が受け入れられなかったので、職を辞して旅に出ることとなりました。晚年はそうした助言役を引退して、講師としてすごしたといわれています」と述べます。仁愛に関する主張や会員の幸福の追求は孟子の哲学ですが、著者は「自らの統治者を選ぶ能力やよりよい自分になれるという信条などは、フリーメイソンリーにおいて完璧に表現されているように思われます」と述べるのでした。

第8章「カルトと宗教と秘密結社」では、「オカルト思想の流れ」として、著者は、
「人類において最も早く始まった信仰は、繁殖力、収穫、季節のサイクル、夏至、冬至、春分、秋分の日に基づいていました。これらの信仰から、地球のエネルギーをよく理解した『シャーマン』、『ドルイド』、『呪術医』が生まれました。彼らはそれゆえ異端教、あるいはウイッカ(多神教的信仰)の儀式を執り行うことができたのです」と述べます。

続けて、著者は、「今、異端者という言葉は侮辱的に使われていますが、本来の意味は『正統から外れた思想、あるいは信仰を持つ者』の意で、ラテン語で『田舎』という意味もありました。かつて古代ローマの市民はすべてキリスト教徒だったので、田舎に住む人々と区別するために使われていたのです。ともあれ、こうした初期の『根』から、より組織的な宗教が生まれました。そして、各地でさまざまな神が祀られることになったのです。ちなみに、紀元前1000年頃以降の主な宗教は『ゾロアスター教』『ミトラス教』『ネオプラトン主義』『マニ教』などなど多彩でした」とも述べます。

ヨーロッパの中世においては、いわゆるアブラハム信仰に基づく3つの宗教から派生した、主に二元論を主眼とする秘教が誕生しました。それらはいずれも独自の思想を持つ、カバラ(ユダヤ教)、スーフィズム(イスラム教)、グノーシス主義(キリスト教)とそれに影響を受けたヘルメス主義です。わたしはこの3つの秘教について、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)の中で詳しく書きました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三姉妹宗教の表層にはそれぞれの神学がありますが、じつは神学にはアリストテレスなどの影響が強く、哲学がその正体であると言ってもよいぐらいです。そして、わたしは「各宗教の深層にあって哲学の影響を受けていないもの、すなわち神秘主義が真の宗教であると言えるのではないだろうか」とまで言いました。

神秘主義とは何か。すべての神秘主義に共通する根本思想とは、大宇宙(マクロコスモス)と小宇宙(ミクロコスモス)すなわち人間が対応しており、かつ両者間の要素とエネルギーは同じであるという認識です。それゆえ、神と人間とは一体となることができます。宗教の究極の目的が「神と人間との合一」であるなら、神秘主義こそが宗教の純化した姿です。あらゆる宗教は、その神秘主義において神もしくは神的世界と直接的に接触し、交流し、秘められた神智の獲得を目指すのです。そして、各宗教における神秘主義はユダヤ教では「カバラ」として、キリスト教では「グノーシス」として、イスラム教では「スーフィズム」として発展し、大成されました。

さて、「エジプトからやってきたヘルメス主義」として、著者は、「『ヘルメス主義』の起源は、古代エジプト人によって実施された錬金術に遡ることができるでしょう。『錬金術』という言葉が、おそらくエジプトの言葉『アルケミア』、つまり『ナイル川沿いの黒い肥沃な土地』に由来し、現代の化学『ケミストリー』の語源となっていることも、これまでに述べました。錬金術の本来の目的は魂の変容にありますが、支持者は科学者でもあり、彼らは卑金属から金を創造しようとしました。しかし後に、それはやがて不老不死をもたらす『賢者の石』や『エリクサー』の探究に変わっていったのです。こうしてその妙薬を求める作業は、秘密主義や神秘主義に限りなく近づいていきました」と述べています。

第9章「新たなエルサレムを目ざして」では、ソロモン神殿は2回建てられたと主張し、「基礎に570トンの巨石」として、著者は、「ソロモン神殿とフリーメイソンリーの間には、どんな関係があるのでしょうか? ここに『3』という数字があります。この数字はフリーメイソンにとって、きわめて重要なのです。それはキリスト教における父なる神、子たるイエス・キリスト、聖霊の融合を示す『三位一体』、フリーメイソンリーの『3階級』と、人生の青年、壮年、老年の『3つの時期』を表しているのですから。ソロモン神殿は2回破壊されたので、3つ目の神殿はわれわれが建てる責任があります。そしてそれは物理的な場所にではなく、精神的な場所=われわれが神に出会う場所に、です」と述べています。

そして、「あとがき」の最後で、著者はこう述べるのでした。
「フリーメイソンリーの魅力は、それが一部の劇場、一部の慈善団体、一部の討論クラブ、そして一部は霊的成長が可能な場所であるということでしょう。基本的には人種、肌色、または信条を差別しない友愛団体なのです。ユニークで、楽しい集まりで、道徳的な人々に出会える場所です。世界中どこに行っても儀式はほぼ変わりなく、『兄弟』として受け入れられるので、フリーメイソンリーはパスポートのようなものです。実に『決して会うはずがない人々の間で、真の友情を創る団体』なのです」
友情というのは「こころ」です。儀式というのは「かたち」です。「こころ」は「かたち」に容れられることによって実体化されます。つまり、儀式によって友愛が実現されるのです。フリーメイソンについて書かれた本書は儀式の本質についても考えさせる内容で、拙著『儀式論』(弘文堂)を連想させる箇所も多々ありました。オカルト思想史としてもよくまとまっており、興味深く読みました。

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