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No.2036 宗教・精神世界 『別冊NHK「100分de名著」集中講義 大乗仏教』 佐々木閑著(NHK出版)
2021.05.19
俳優の田村正和さんが心不全のため77歳で亡くなられていたことをネットニュースで知りました。亡くなられた日が1ヵ月半も前の4月3日で、告別式は近親者のみで行われたというのが寂しいですが、気品があって大好きな俳優さんでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
『別冊NHK「100分de名著」集中講義 大乗仏教』佐々木閑著(NHK出版)を読みました。「こうしてブッダの教えは変容した」のサブタイトルがついています。著者は1956年福井県生まれで、花園大学文学部仏教学科教授。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。一条真也の読書館『無葬社会』で紹介した本で、著者の仏教についての説明を読んでから、わたしは「当代一の仏教学者」だと思っています。本書は、一条真也の読書館『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』、『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ真理のことば』、『NHK「100分de名著」ブックス ブッダ最期のことば』で紹介した本の続編的内容です。
本書のカバー表紙には、「般若経、法華経、密教……同じ仏教なのに、どうして教えが違うのですか?」「社歌の説いた‟自己鍛錬”のための仏教は、いつ、どこで、なぜ、どのようにして、‟衆生救済”を目的とする大乗仏教に変わっていったのか――。」「原始仏教の研究者と、彼を訪ねた一人の青年。二人の対話から大乗仏教の本質へと迫りゆく、類を見ない仏教概説書。」と書かれています。
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
第1講 「釈迦の仏教」から大乗仏教へ
第2講 「空」の思想が広がった――『般若経』
第3講 久遠のブッダ――『法華経』
第4講 阿弥陀仏の力――浄土教
第5講 宇宙の真理を照らす仏――『華厳経』・密教
第6講 大乗仏教はどこへ向かうのか
「おわりに」
第1講「『釈迦の仏教』から大乗仏教へ」では、「外部の不思議な力を拠り所と考えた大乗仏教」として、著者は「『釈迦の仏教』が自己鍛錬によって煩悩を消そうと考えたのに対し、大乗仏教では外部に私たちを助けてくれる超越者や、あるいは不思議なパワーが存在すると想定して、自分の力ではなく『外部の力』を救いの拠り所と考えました。そうなると厳しい出家修行を行うよりも、不思議な存在との間にしっかりとした関係性を築くことのほうが重要になってきます。また、外部の力に頼ることで悟ることが可能だとすると、当然ながら自己修練のための組織であるサンガも意義や重みがなくなってきます。そのため大乗仏教では次第に『在家信者でも悟りの道を歩むことは可能だ』という考えが前面に出てくるようになったのです」と述べています。
また、「お釈迦様は、生前に自分の教えや考えをまとめた文書のようなものを残してから、お亡くなりになったのですか?」という青年の質問に対して、著者は「当時はまだ文字に書いて記録するという文化が発達していなかったため、お釈迦様の言葉は、聞いた人の記憶の中にしか保存されていませんでした。ですから、お釈迦様が亡くなって人々の記憶が失われてしまえば、その段階で教えも永遠にこの世から消えてしまいます。それを恐れた弟子たちは、記憶の中に残っているお釈迦様の言葉をみんなで共有することによって、後世に伝えていこうと考えます。伝説によると阿難(アーナンダ)という弟子が一番よく覚えていたので、お釈迦様が亡くなった時、その阿難が、集まった500人の弟子の前で生前に聞いたお釈迦様の言葉を口に出してとなえ、それをみんなで一斉に記憶したそうです。その後、弟子たちはインド各地へと散らばり、口伝で次の世代へと教えを広めていきます。やがて数100年経ち、文字で書き記すという文化がインドに定着すると、今度は文書として釈迦の教えが記録されていくことになりました。これがいわゆる『お経』の起源です」と答えます。
「会えないブッダに会うための方法を考える」では、「ブッダと出会って、それを崇めることがブッダになる近道と言われても、この世界のどこにいけばブッダと会えるというのでしょうか?」という青年の質問に対して、著者は「ポイントはそこですよ。大乗仏教の教えで最大のネックとなるのが、「実際にはブッダと会えないこと」なのです。そのために大乗仏教では、会えないブッダにどうすれば会えるのか、実際には会えないブッダと会ったことをどうやって人々に納得させていくのか、様々なアイデアを練っていくことになります。それが大乗仏教の面白さであり、真骨頂なのです。現在の日本には『般若経』『法華経』『華厳経』『阿弥陀経』『涅槃経』などの様々な大乗仏教系の経典が伝わっていますが、時代を追うごとに次から次へと異なるお経が作られていった理由も、じつはそこにあるのです」と答えます。
第2講「『空』の世界が広がった――『般若経』」では、「大乗仏教の最初の経典」として、著者は「『般若心経』も数ある般若経典の系統に分類されるお経の1つで、『般若経』の教えのエッセンスをコンパクトにまとめたものと言えます。『般若経』と呼ばれるお経はたいへん種類が多く、完全なかたちで現存しているものだけでも、サンスクリット語のもので10種以上、チベット語訳のもので12種以上、漢訳のもので42種以上あります。断片だけ残っているものを含めると、数えきれないほどの種類のお経がこれまでに見つかっています」と述べています。
「参考のために、成立年代順におおまかに分類しておきましょう」と言って、著者はこう説明してくれます。
「最初に作られたのが、教義の基本となる経典で、これらは『小品系般若経』と呼ばれています。その後、それを膨らませたものとして『大品系般若経』が登場し、やがて初期の『般若経』の中では最も長大とされる『十万頌般若経』が作られます。次に『金剛般若経』や『般若心経』が登場しますが、この時代になると『大品系』とは逆に、どんどん内容をそぎ落とす方向へと向かっていきます。その後に密教系の要素を含んだ『般若理趣経』が出て、さらにそれまでの般若経典の集大成というべき『大般若経』が登場します。どのお経も、長さの違いや、若干の内容の違いはあるものの、基本となる教義はほぼ共通していると思っておいてよいでしょう」
また、『般若経』について、著者は「『般若経』は、大乗仏教系の様々な宗派で広くとなえられていますが、禅宗(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗など)と密教系の宗派(天台宗、真言宗など)が、特に『般若経』を大切に扱っています。逆に浄土真宗ではとなえません。また、日蓮宗・法華宗も『法華経』だけを基本の教義としているので、『般若経』をとなえることはほとんどないようです」と述べています。
「私たちは前世ですでにブッダと出会っている」として、著者は「大乗仏教では自分がブッダになろうと思ったら、まずはとにかくブッダに会って『私もあなたのようなブッダになるように努力します』という誓いを立てなくてはなりません。そしてそのブッダが『お前も将来、きっとブッダになるであろう』と太鼓判を押してくれてはじめて、正式なブッダ候補生となり、修行の道に進むことが可能となります。このようなブッダ候補生のことを『菩薩』と呼びますが、『般若経』では『私たちはすでにブッダと出会って誓いを立てているのだから、菩薩である』と考えるのです」と述べます。
「善行で輪廻は止められるのか?」として、著者は「自我意識という鎧を捨てた姿での善行ならば業にはつながらないのですが、そうした無の境地で善行を行うのは、容易ではありません。どうしても何かをしようとすると、『やってあげている』とか『褒めて欲しい』といった意識がそこには芽生えてしまいます。『これこれのことを私はするぞ』と強い意欲を持って善行や悪行を行った時に生み出されるパワー、それがすなわち業なのです。だからお釈迦様は、じつは『輪廻を断ち切り涅槃を目指すには、この世では善いことも悪いこともしてはならない』と言うのです。業を作るような、自意識に根ざした行動をするな、ということです」と述べます。さらに、『般若経』の特徴は、「本来は輪廻を繰り返すことにしか役立たないはずの業のエネルギーを、悟りを開いてブッダになり、涅槃を実現するために転用することができる」と、とらえ直した点にあると強調します。
そして、「お釈迦様が説いた『空』」として、著者は「『釈迦の仏教』すなわち、『阿含経』と呼ばれる古い時代のお経が、業のエネルギーには輪廻を助長する働きしかないと考えていたのは、縁起と呼ばれる因果則の裏側に隠されたもっと崇高なシステムに気づかなかったためで、じつはその因果則の裏には、善行によって得たエネルギーをブッダになるための力に振り向けることができる、より上位のシステムが隠されていたのだ、と。その、因果則の裏側に隠されたシステムのことを、『般若経』では『空』と呼びます。『空』の論理を学び、それを理解した人だけが、日常的な善行のエネルギーをすべて悟りのほうに向けることが可能になると、『般若経』では考えたのです」と述べるのでした。
第3講「久遠のブッダ――『法華経』」では、「日本の宗派に影響を与えた『諸経の王』」として、著者は「『法華経』は『般若経』の教えにモデルチェンジを加えた、『般若経』の進化形と言うべきお経です」と述べています。さらに中国天台宗の開祖である智顗に言及し、「智顗は、『般若経』や『法華経』のほか、『華厳経』『維摩経』『阿含経』などの経典を分類・判定して(これを「教相判釈」と言います)、『法華経』こそが釈迦が本当に言いたかった、最も上位の教えであるとしたのです。なぜ智顗が『法華経』を最高位に置いたかと言えば、『法華経』が『誰でも仏になれる』という教えを強く主張したからです。『法華経』の内容については、このあとで見ていきますが、それが朝鮮半島を経由して、聖徳太子の時代の日本にも伝わります。」と述べます。聖徳太子撰による『三経義疏』には『勝鬘経義疏』や『維摩経義疏』とともに『法華経義疏』がありますが、これが日本での『法華経』注釈の始まりにあたります。
さらに、著者は「日本の宗派のほとんどは多かれ少なかれ『法華経』に影響され、その教えをなんらかのかたちで自分たちの教義に取り入れたと思っていいでしょう。法然と親鸞はのちに『浄土教』を説くことになったため、教義に『法華経』を取り入れることはありませんでしたが、若い頃に『法華経』を学んだのは事実です。そういう意味では、『法華経』は、あらゆる日本の仏教のベースとなった経典と言えるかもしれません」述べるのでした。
「ただひたすらにお経のパワーを信じなさい」として、著者は「『法華経』の絶対的な教えに疑問を抱く人は少なくありません。江戸時代の国学者の平田篤胤は、「『法華経』は薬屋に行って薬を買ってきたはいいが、中身を忘れて効能書きだけを持って帰ったようなものだ。何をしたらいいのかについては触れておらず、『法華経』は有り難い、とばかり言っているではないか」と痛烈に批判しています。また、近代の歴史学者の津田左右吉や倫理学者の和辻哲郎らも同様に、『法華経』に対して否定的な見解を示しました」と述べます。
また、著者は、こうも述べています。
「『法華経』では『迫害を受けている状況こそが、『法華経』の正しさの証拠である』と考えます。真実を説くお経は、俗世の愚かな人々の目には邪説のように映って、迫害の対象になるものだと言うのです。日蓮宗開祖の日蓮も数々の法難に遭いましたが、法難に遭うこと自体がお経の正しさを証明しているということが『法華経』の中に書かれています。『常不軽菩薩品』という章がそれです」
「冷静な目で見ると、『法華経』はもはや『ブッダ信仰』ではなく、お経そのものを信じる「『法華経』信仰」に変容してしまっていますが、本来のお釈迦様の教えから離れていったことで、逆に今まで救うことができなかった人を救えるようになったと考えるならば、それは一方ではプラスの進化ととらえることもできます」
第4講「阿弥陀仏の力――浄土教」では、「時間軸ではなく空間軸の広がりに注目した」として、著者は「『釈迦の仏教』では、お釈迦様の入滅後はブッダ不在の時期が続き、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れて次のブッダに就任することになっています。そうすると、たとえ未来でブッダに出会えるとしてもそれまでの間、私たちは想像を絶する回数の生まれ変わり死に変わりを繰り返さないと菩薩になれません。そこで浄土教では、なんとかブッダと今すぐ出会える方法はないものかと考えた末に、いわゆる『パラレルワールド』の概念を新たに創造することにしたのです」と述べています。
また、浄土教について、著者は「『般若経』や『法華経』が「時間軸」に注目したのに対して、浄土教は『空間軸』の広がりに目を向けたのです。そして、その多世界にはブッダがいる世界といない世界の2つが存在すると仮定して、ブッダのいる世界を『仏国土』と呼びました。もし死んですぐに仏国土に生まれ変わることができれば、何10億年も待たずとも私たちはブッダと出会って、すぐに菩薩修行をスタートすることが可能というわけです。古代インドにすでにパラレルワールドの概念を夢想した人がいたことに驚きを禁じえません」とも述べています。
「菩薩修行に最も適した仏国土――極楽浄土」として、著者は「仏教では1つの世界(仏国土)には、1人のブッダしかいないことになっているので、一般的な仏国土に生まれ変わっても、ブッダを拝む機会は限られてしまいます。そこで浄土教では、『別のブッダがいる仏国土へも自由に行き来できる装置』が完備された仏国土を理想世界と考えました。様々なブッダを拝めば拝むほど、自分がブッダになるためのエネルギーが溜まっていくことになるため、そうした装置のある世界にいれば1人のブッダを拝んでいる時よりも、成仏するのが格段に早まることになるわけです。浄土教では、その環境が完備された世界を『極楽浄土』と呼びました。そして、その極楽浄土の中心人物こそが阿弥陀様なのです」と述べています。
「仏道修行で世界を変えた阿弥陀仏」として、著者は「『釈迦の仏教』の『業』は、それを行った本人にしか結果が返ってこないと定義されていたので、もともとは『仏道修行で世界を変えることはできない』と考えられていたはずです。それを浄土教がなぜ可能と考えたのかについては具体的な状況はわかりませんが、私は、大乗仏教が作られた頃に新しく生まれた『共業』という考え方が浄土教に関係していると思っています。共業とは、『個人の業以外にも、みんなが共通に出し合う業が存在していて、それが世界の在り方に影響を及ぼしている』という考え方です。わかりやすく言えば、みんなが悪いことばかりしていると飢饉や災害が起こり、逆にみんなが善い行いを積むと平穏安泰な世界が訪れるというものです。こうした個人の業と世界の在り方をリンクさせる考え方が、ちょうど浄土教の成立前に出てきたという事実は無視できないと思います」と述べます。この「共業」と言う考え方は、これからの人類社会のキーワードであるように思えてなりません。
「『釈迦の仏教』に阿弥陀様は登場しないのですか?」という青年の質問に対して、著者はこのように答えます。
「阿弥陀様は大乗仏教が創作したブッダですから、それよりも古い『釈迦の仏教』には出てきません。サンスクリット語の呼び名は『アミターバ』または『アミターユス』で、『アミタ』というのは『途方もない量』、そして『アーバ』が『光』、『アーユス』が『命』を意味するので、日本語に訳すとアミターバは『無限の光(無量光)』、アミターユスは『無限の寿命(無量寿)』となります」
「大乗仏教の時代になると『お釈迦様だけが唯一のブッダである』という考え方は薄れてゆき、阿弥陀仏以外にも大日、薬師、阿閦など、様々なブッダが登場してきます。パラレルワールドの概念が作られて『世界は無数に存在する』という話になったことで、タガがはずれてブッダの数は増殖していったのです」
さらに著者は、「宗教に正しいも間違っているもない」として、「極楽浄土の存在を本気で信じれば、死ぬのが怖くなくなりますよね。極楽に行けると思えば命も惜しくなくなるので、どんな強い相手にも立ち向かっていける。捨て身になった人間ほど恐ろしいものはありませんから、為政者にとっては脅威になります。『今の生活が苦しいのは国を動かしている権力者が悪い』と思って、浄土教系の信徒(浄土真宗の信徒は一般に「門徒」と呼ばれます)である民衆が一斉に立ち上がれば、誰にも押さえられなくなってしまうのです。それが現実となったのが戦国時代に勃発した『一向一揆』です」と述べています。
一神教徒の一途な信仰心に疑問を抱く青年は、「1つの宗教をそこまで深く信じる必要など本当にあるのでしょうか。何事もほどほどでよいのではないですか? 私はクリスマスやハロウィンも楽しむし、初詣にも行くし、お盆やお彼岸の時はお墓参りにも出かけます。節操がないと言われればそれまでですが、カルト教団なんかにハマるよりは、よっぽどまともな気がしますけどね」と語ります。それに対して、著者は「誤解を恐れずに言うならば、1つの教えを無条件に信じて狂信的にならなければ、本当に救われるはずなどないのです。信仰とはそういうものです。極楽往生を本気で信じて一向一揆の中で死んでいった人を、今の私たちは不幸ととらえがちですが、じつは本人たちは幸せだったのではないでしょうか。亡くなって本当に極楽に行けたかどうかはわかりませんが、少なくとも『自分は幸せだ』と感じながら死んでいった人も多かったと思います」と語るのでした。
第5講「宇宙の真理を照らす仏――『華厳経』・密教」では、「菩薩行を説く『十地品』と『入法界品』」として、著者は『法華経』のルーツの部分にあたる「十地品」と「入法界品」の2つの章を解説します。
「十地品については『華厳経』とは別に『十地経』という独立したお経が存在するので、『華厳経』の十地品は既存のお経をそのまま取り込んだものと考えられます。一方の入法界品には、善財童子という少年が文殊菩薩に促されて求道の旅に出た時の様子がストーリー仕立てで描かれています。善財童子は修行者、外道(異教徒)、医者、少女、遊女など53人の善知識(悟りへと導いてくれる先人たち)のもとを訪ねて、最終的には悟りの入口へと到達するのですが、この話を読んでいくと老若男女どんな職業の人であっても、すべての人の人生には学びや教えが含まれていることに気づかされます。日本人に馴染みの深い『東海道五十三次』の五十三という数字は、この物語に由来しているという説もあるようです」
また著者は、『華厳経』が「別の世界にいるブッダが移動できなのなら、ブッダが自らの映像を私たちの世界に送ってくれると考えればよいではないか」というアイデアを考えたことを紹介し、さらに「宇宙に散らばる無数のブッダと毘盧遮那仏の関係は、インターネットの世界にたとえると理解しやすいでしょう。インターネットにはネットワークの中心というものがありません。ネットワーク全体が1つの存在です。これが毘盧遮那仏です。各世界のブッダは毘盧遮那仏というネット本体の先にそれぞれ存在しています。さらにそれぞれのブッダからまた別の世界のブッダが放射状につながり、無限のブッダ世界が宇宙に広がっています。一見、個々のブッダ世界は独立しているように見えますが、すべてのブッダは毘盧遮那仏とつながっているため、毘盧遮那仏は個として存在していながらもすべてのネットワークを覆いつくす巨大な存在と見なすことができます。そう考えていくと『無限に存在するすべてのブッダは、毘盧遮那仏そのものである』とも言える。だから『華厳経』は、この世界に現れたブッダがバーチャルな映像だったとしても、それはすなわちリアルであると説いたのです」と述べます。
インターネットといえば、『華厳経』では「一即多・多即一」(一は即(すなわ)ち多であり、多は即ち一である)という表現を使って、時空を超えた世界観を説明しています。これをわかりやすく解説したものが「因陀羅網の譬喩」です。著者は「因陀羅網とは『インドラの網』という意味です。須弥山の頂上に住む帝釈天(インドラ神)の宮殿に設置された美しい網飾りのことを指します。網の結び目の1つ1つには宝石の玉が取り付けられていて、それらの宝石の表面はほかの宝石を映し出しています。ほかの宝石もさらに別の宝石を映し出すため、映り込みは無限に繰り返されることになります。こうした1つの宝石が無限の宝石を映し出すと同時に、無限の宝石が1つに収まっている状態を『一即多・多即一」と『華厳経』は表現したのです」と述べています。
さらに、「『華厳経』と結びついて教義を確立した密教」として、著者は「空海は『大日如来は宇宙そのものであるとともに、微塵の1つ1つが大日如来である』と説いているので、密教は『華厳経』のフラクタルな世界観を引き継いでいることになります。また、密教の特徴の1つに『曼荼羅』をお経に取り入れていることが挙げられますが、大日如来を中心に放射状に様々な仏がつながっていく、『大日経』の胎蔵曼荼羅などを見ると、『華厳経』の世界観の影響を強く受けていることがわかります」と述べます。
そして、「変容を許したことで仏教はアイデンティティを失った」として、著者は
「要するに、釈迦の時代には完全にヒンドゥー教とは別の教えだった仏教が、大乗仏教が成立して以降、次第にヒンドゥー教の教えに近づいていったことがインド仏教衰退の最大の原因だということです。ほぼ同じ教えを説いた宗教が2つあっても意味がありませんから、いつのまにか仏教のまわりのヒンドゥー教に吸収されてしまったのです」と述べるのでした。
第6講「大乗仏教はどこへ向かうのか」では、「自分の中にいるブッダに気づく」として、著者は「日本の仏教がヒンドゥー教に近いことは確かですが、別の言い方をすれば、一切衆生悉有仏性という考え方を取り入れたことで『日本仏教』という独自の”色”を持つようになったこともまた事実です。日本の仏教がヒンドゥー的であることがよいことか悪いことか、それはその仏教を運営していく日本仏教界の人たちの在り方次第なのです」と述べています。
また、「禅とは信仰ではなく修行である」として、著者は「臨済宗は室町幕府の庇護を受けたことで武士や公家の間に広まり、一方の曹洞宗は地方の豪族や農民を中心に広まっていくことになりました。戦国時代に入ると、織田信長による仏教への迫害が始まりますが、禅宗(臨済宗)は保護されて武将たちの心の拠り所となっていきます。やがて、江戸時代になると中国から新たに『黄檗宗』が入ってきて、堕落しつつあった日本の禅宗は危機感を覚えはじめます。臨済宗からは黄檗宗批判が起こるとともに、曹洞宗は黄檗宗に取り込まれないために道元への復古運動へと向かっていきました」と述べます。
また、「『律』を取り入れなかった日本の仏教」として、著者はこうも述べています。
「寺や僧侶の在り方が大きく変容したのは、明治期の『廃仏毀釈運動』がきっかけです。維新政府が神仏分離令を命じて神社と寺院を分離させ、神道を国家宗教にしようとして仏教を弾圧したのを境に、一気に世俗化の波が日本の仏教に押し寄せることになったのです」
「日本の仏教は律を持ってはいませんでしたが、江戸期までは国家(幕府)という後見役があったことで『僧侶はこうでなければならない』といったある程度のしばりがありました。しかし明治の混乱期に、その国家のしばりがなくなったことで、日本の仏教は大きく変容していったのです。もし日本に律が伝わっていたとしたら、強い歯止めがかかって今のような状況にはならなかったはずです。それを思うと日本の仏教の特殊性の最大の原因は、律が伝わらなかったことにあると私は思っています」
「すべての宗教は『こころ教』に一元化されていく」として、著者は「これからの時代は、科学的に証明できるか否かがすべての物事の判断基準となるため、仏教はおそらくこの先、どんどん変容を迫られることになるでしょう。それで、どんな方向に向かうかと言えば、科学とうまく擦り合わせができないことを『心の問題』に置き換えて解釈するようになっていくはずです。それは仏教にかぎったことでなく、キリスト教やイスラーム教も同じです。そしてやがては、世界の宗教は『こころ教』とでも呼ぶべきものに一元化されていくと私は考えています」と述べます。
「『こころ教』とは、具体的にはどんな教えを説いたものになるのですか?」という青年の質問に対して、著者は「科学と擦り合わせができない教義を掲げても誰も信じないので、絶対神の存在や、輪廻、業、浄土といった神秘的な概念は次第に薄まっていき、最終的には『今をどう生きるか』を示す単純なものになっていくと思われます。『こころ教』のキーワードは『心』と『命』、動詞で言うと『生きる』です。最近の仏教宗派が掲げるキャッチフレーズをみると、『生かされている私の命』『命が心を生きている』といった意味不明で、いかし口あたりのよい言葉ばかりです。『こころ教』に向かう流れがすでに現実に起こりはじめていることがわかります」と答えます。この著者の言う「こころ教」とは、神道・仏教・儒教の「いいとこどり」を行った江戸時代の心学に非常に近いような気がします。
さらに、「本物の宗教とは一人残らず幸せにすること」として、著者は「仏教者という立場から何かを語るのは決して悪いことではないのですが、宗教には口を挟んでいいことと、いけないことがあります。最近のお坊さんの中には、戦争や脳死、原子力発電、死刑制度廃止問題などについて「仏教ではこれこれこうです」といった言い方で意見を述べる人がいますが、あのような発言は慎むべきだと私は思っています」と述べています。
青年の「自殺を止めるためにはお坊さんは何をすればよいのでしょうか?」という非常にストレートな質問に対して、著者は「実現するのは非常に難しいとは思うのですが、『釈迦の仏教』のサンガのようなものが日本にあれば、自殺者は減らせると私は思います。若い頃のお釈迦様は病・老・死の苦しみを知ったことで、生き方の基準がわからなくなって悩み苦しみました。おそらくその時のお釈迦様は、今で言う『自殺志願者』と同じ状況だったと思います。その苦しみから逃れるために彼は出家集団であるサンガを作りました。つまり当時のサンガとは『価値観を変えることで人生をリセットする場所』として存在していたのです。そして出家者は、この世に絶望している人に『死なずに人生をリセットする方法が存在する』ということを、自らの身をもって示す役目を果たしていたはずです」と答えます。
「おわりに」の冒頭を、著者は「大乗仏教の歴史を研究していると必ず出会う名前があります。江戸時代の町人学者、富永仲基です。彼は、それまでの仏教界では全くの常識とされた大乗仏教仏説論、すなわち『お経と名のつくものは皆、釈迦などのブッダが説いた仏説であり、そのすべてが正統なる仏教の教えだ』という考えに異をとなえ、『経典というものは、先にあったものを土台として、次の世代の人たちが別のものを新たに創作し、それをもとにまた別の人が次のものを作るという連鎖的操作で生み出された』という説を主張しました。『加上の説』と言います。『加上の説』は、彼が実際に万巻の経典を読み込んだうえで到達したきわめて合理的な結論です」と書きだしています。
そして、「おわりに」の最後に、著者は「仏教は長い歴史の中で、他の宗教には見られない極端な多様性を持つようになりました。独自性を失った芯のない宗教になっていったと見ることもできますが、別の味方をすれば、どのような状況にある人に対しても、なんらかの救済法を提示できる、万能性のある宗教になったとも言えます。宗教の存在価値が、私たちを生きる苦しみから救い出すことにあるとするなら、多様な顔を持つ大乗仏教もまた、その真理のエッセンスを取り出すことでいくらでも効能を発揮することができるはずです。このような視点で、大乗仏教の新たな価値を見いだすという作業は、私たち現代人にも大きな恩恵をもたらしてくれるものと確信しています」と述べるのでした。
本書は、これまでに読んだどんな仏教の入門書よりも仏教の本質をわかりやすく説明してくれたような気がします。いや、仏教の本質というよりも、宗教の本質を説明してくれています。やはり、わたしが思っていた通り、著者は「当代一の仏教学者」でした。一度、花園大学を訪問して、ぜひお目にかかりたいです。