- 書庫A
- 書庫B
- 書庫C
- 書庫D
No.2063 プロレス・格闘技・武道 | 国家・政治 『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』 前田日明著(サイゾー)
2021.08.27
『日本人はもっと幸せになっていいはずだ』前田日明著(サイゾー)を紹介いたします。プロレスおよび格闘技の世界におけるレジェンドが日本人の怒りを的確に代弁した問題提起の書であり、一刻も早く日本国民が自国防衛に立ち上がるための熱き啓蒙の書です。
著者は、1959年大阪府生まれ。幼少期より、少林寺拳法や空手を習いました。1977年に新日本プロレスに入団。その体格と格闘センスの高さから将来を嘱望され、移籍した第一次UWFに至るまであらゆるリングで伝説の戦いを繰り広げました。新日本プロレスに復帰後はアンドレ・ザ・ジャイアントらと名勝負を行い、「新格闘王」と呼ばれました。第二次UWFを旗揚げすると、社化現象とまで言われるほどのムーブメントを巻き起こしました。UWF解散後は総合格闘技団体RINGSを創設し、総合格闘技ブームを牽引。引退後はHERO’Sスーパーバイザーを務め、現在はThe Outsiderをプロデュース。読書家、刀剣鑑定家、骨董収集家としての側面も持つ。
本書の帯
カバー表紙には著者が愛用の葉巻に火をつける写真が使われ、帯には「慟哭!前田日明」「南海トラフ地震対策もせず、国土も守らず、自衛隊員も見殺し」「どこまで国民を軽視するのか!」「日本が憎くて言ってるわけではない。今の日本は国と国民の思いが大きくズレているように思えるのだ」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、「はじめに」の文が引用されています。
「日本に生まれてすでに60年以上が過ぎた。日本と日本人について、ことさら考えなければならない環境の中で生きてきた年月だった。日本人であることが当たり前ではなかったからこそ、日本についてずっと考えてきた、ということだ。前田日明・日本人。一朝有事の際には躊躇なく銃を手にして、この国のために戦うだろう。しかし、この国はどうだろうか? 願わくば、日本人一人ひとりの思いに応えてくれる国になってほしい」
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1部 日本へ
第1章 自虐史観
第2章 国を守る
第3章 日本の法律が日本を守っていない
第4章 日本国は日本人の資産を守らない
第5章 不甲斐ない日本のリーダーたち
第6章 日本人はもっと幸せになっていい
第2部 対談編
京都大学大学院教授・藤井聡vs前田日明
『正論』元編集長・上島嘉郎vs前田日明
【安倍晋三 アメリカ議会演説「希望の同名」全文】
平成27年4月29日、米連邦議会上下両院合同会議にて
「おわりに」
「はじめに」の冒頭を、著者は「なぜ、プロレスラーの前田日明が日本ついての本を書こうしているのか? たぶん、多くの人が疑問に思っているんじゃないかと思う。答えは簡単で日本に対して憤っていることがあるからだ。日本という国の考え方、やり方に怒りを抑えることができない。例えば、地震対策についてだ。南海トラフ地震は2000年代の最初の時点で30年の間に70%の確率で起こると言われていた。しかし、日本政府はいまだにしっかりした対策をとっていない。それどころか、地震対策予算、国土強靭化予算を削ってすらいる」と書きだしています。
第1部「日本へ」の第1章「自虐史観」の「国民は虫けら」では、著者は以下のように述べています。
「知っている人は知っていると思うが、靖国神社には多くの花嫁人形がある。『特攻で散っていった自分の息子は嫁もおらんと童貞のまま死んでいって可哀想だ。せめてあの世できれいなお嫁さんと結ばれてほしい』といって親たちが奉納したものだ。それが何百体もある。そうやって親たちはみんな息子の死を無理やり納得していたのだ。祖国のために死んだのだから、と。ところが、その祖国は国民のことなど虫けら扱いだった。だから、人々は怒ったのだ。『国のために戦った父や兄や弟になんてことをしてくれたんだ』『こんな日本なんて早く潰れたらいい』自虐史観はここから始まった。その根本には日本が国民に対してあまりにもひどいことをしていた事実があり、日本人が日本を恨む土壌があったからだ。左翼や共産主義はその土壌に乗っかったのだ」
また、「日本人は誰も責任を取らない」では、著者は敬愛するゼロ戦パイロットの故坂井三郎の言葉を紹介しながら、「こんなことを言うのは畏れ多いけれども、天皇陛下も一回、国民に謝罪すればよかったと思う。『稚拙な軍略で死なせてしまった』と謝れば日本も変わったかもしれない。坂井さんはこんなことも言っていた。『前田くん、日本人はよく、戦前は良かったっていうけれど、実際の日本人は戦前も戦後もなにも変わっていないよ。なにが変わらなかったかわかるか? 日本人は誰も責任を取らない。それが日本人の最大の欠点だ』俺は坂井さんに『天皇陛下の玉音放送を聞いてどう思いましたか?』と聞いたことがある。そしたら『死んでいった人間が可哀想だ』と、そればっかりだった」と述べています。
「戦争と反省」では、著者は「最低限、国としてやるべきことがある。それが戦没者の遺骨の収集だ」と喝破し、「大東亜戦争で戦死された英霊の方々は約310万柱。そのうち海外戦没者が240万柱と言われているが、2020年の時点で約112万柱の遺骨が未収容のままになっている。このうち海外遺骨が約30万はしら、相手国の事情により収容が困難な遺骨が23万柱、収容可能な遺骨は59万柱という数字が厚生労働省のホームページに出ている。最終的にはすべての遺骨を収容するのは言うまでもないが、収容可能だとわかっている50万はしらの英霊をいつまで放っておくつもりなのか」と述べています。
すでに75年が経っています。戦没者はいまでも戦地だった中国、ロシア、東南アジア、南方諸島などに眠ったままなのだとして、著者は「祖国のために散っていった彼ら英霊たちを”帰国”させるのは国としての急務じゃないのか? ところが、日本政府は、遺骨の収集にまったく積極的ではない。発見された遺骨の7割以上は帰国した兵士や引揚者が持ち帰ったものや、遺族や民間団体が手弁当で発掘したものなのだ。国の事業による収容は34万人分しかないという」と述べます。
2016年3月、議員立法で「戦没者遺骨収集推進法」が成立しました。ここで初めて遺骨収集は「国の責務」ということが決まったわけですが、著者は「国の責務と決まる? 遺骨収集は最初から国の責務じゃないのか? それでは聞くがそれまでの遺骨収集事業はなんだったのか? 国が好意で探してあげているボランティアという位置づけだったとでもいうつもりなのか。祖国のために死んだ人たちの遺骨を探すのはどこの国でも、国の責務なのに、この国ではお手伝いをしている感覚だったのだ。だから、遺族たちが手弁当で探すしかなかったし、遅々として進まなかったのだ。『戦没者遺骨収集推進法』ができて以降は遺骨収集関連全体で17億円、2019年には23億円、2020年には29億円とやっと多少まともな予算がつくようになったが、本来これでは全然足りない」と述べます。
第6章「日本人はもっと幸せになっていい」の「日本人の和を尊ぶ心を利用する、この国のトップたち」では、日本人の頭の中には自分だけが贅沢したいとか、自分さえ良ければいいという感覚はとても少ないと指摘し、著者は「コロナ禍の現在も積極的にマスクを付けているが、このマスクにどれほどの効力があるのか疑問だし、はっきり言えば、効果がないという科学的検証は何度も出ている。しかし、日本人はマスクを付けることを痛がらない。その理由は自分の煩わしさよりも他人に嫌な思いをさせたくないという気持ちがあるからだ。この共同体の意識が和の心であり、これこそが日本人の強さであり、拠り所だ。しかし、日本のトップたちはそれを利用している。和の心を利用して、政治家たちは自分たちの利権につなげている。コロナ対策のマスクに260億円もかけるなど、愚の骨頂としか思えない」と述べます。
また、著者は「政治家や官僚たちにとって260億などどうせハシタ金なのだろう。だけど、それだけの金を上手に使えば、日本人の暮らしはもっとよくなる。若い者たちの奨学金ぐらい、その金で肩代わりしてやれるだろう。少なくとも基金にして上手に運用すれば絶対に可能なはずだ。心の底から思う。日本人はもっと幸せになっていい。最低限、自分が働いて勝ち取った地位にふさわしい社会サービスというものを受けられるようにしなければならない。そういう日本でなければ絶対にいけないと、いま強く思っている」とも述べるのでした。
第2部「対談編」では、地震の専門家である京都大学大学院教授で元内閣官房参与の藤井聡氏との対談「30メートル超の津波が到来!? 南海トラフ亡国対談」の中で、著者は「自分がなんでこんなに南海トラフを心配しているのかというと、子供たちがいるからですよ。自分、歳いってから子供ができたんで、彼らが30代、40代になったら間違いなく生きていないんですね。彼らが結婚する頃でヘタしたら90歳前後になっちゃうんで、それを考えた時にこのまま日本はどうなっていくんだろうか。その間に南海トラフが起きてどうしようもない国になって、そんな中で食うや食わずに苦労してっていう人生じゃ可哀想ですよ。だから、自分がまだ元気なうちにできる限り、いい日本にしていきたいんです」と述べています。この著者のストレートな本音は、読んでいて心に響きますね。
続いて、ジャーナリストで元「正論」(産経新聞社)編集長の上島嘉郎氏との対談「なぜ日本には反日メディアが蔓延るのか?」の中で、著者は「自分が思うのは、いまからでもいいから日本政府は国民に謝罪するべきだったんじゃないかということです。理想を言えば、天皇陛下が『すまなかった』と謝ってくれたら救われた気がします。いろいろお立場もあったと思いますが、そうしてもらえたら、もっと日本人は一丸となれたかもしれない。ただ、勘違いしてほしくないのは、自分は天皇陛下を批判する気はないんですよ。逆に、誰がなんと言おうと皇室を守ります。命を懸けて守りますね。その理由はいまの上皇陛下が『私たちの先祖には百済の王がいます』と語ってくれたからです」
その著者の発言に対して、上島氏は「平成13年12月18日、『天皇陛下お誕生日に際し』の記者会見ですね。『韓国に対してどう思うか』という質問に、陛下は、日本と韓国との人々の間には、古くから交流があり、様々な文化や技術が伝えられたと述べられ、『私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのつかりを感じています』とのお答えになった」と述べます。それを受けて、さらに著者は「そのお言葉は自分の中で凄く感じるものがあるんですよ。ただし、その言葉尻を捉えて、『ほら見ろ、皇室は半島から来たんだ』どうのこうのと変な方向につなげていくヤツらとは一緒にしてほしくないですけどね。そうじゃなくて、アジアというものの捉え方の話でしょ」と述べるのでした。上島氏も指摘していますが、著者が意識する「アジア的な一体感」こそ、日本を占領した当時のアメリカにとって不都合だったのです。
本書を読んで、わたしは著者の日本を憂う真心に強い感銘を受けました。在日二世であることをカミングアウトしている著者ですが、天皇陛下への想いを含めて、ここまで日本を愛し、日本の未来を心配している人は少ないと思います。また、気ままな放談などではなく、日々多くの本を読んでいる読書家の著者だからこその骨太の思想が、わたしのハートにヒットしました。ただ本書は紛れもない名著ですが、編集のスタイルにはいくつか疑問が残りました。もっとしっかり編集されていれば、もっと多くの読者を得たと思います。著者はYouTubeチャンネルも運営されていますが、その純真な人間性、豊かな教養に基いた番組をいつも楽しく拝聴しています。わたしは新日本プロレスの時代から著者の大ファンでした。いつかお目にかかり、いろいろな話をさせていただきたいものです。