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No.2222 ホラー・ファンタジー 『怖ガラセ屋サン』 澤村伊智著(幻冬舎)
2023.03.27
『怖ガラセ屋サン』澤村伊智著(幻冬舎)を読みました。著者には、一条真也の読書館『ぼぎわんが、来る』、『ずうのめ人形』、『ししりばの家』、『恐怖小説 キリカ』、『ひとんち 澤村伊智短編集』、『予言の島』、『ファミリーランド』、『邪教の子』で紹介した作品があります。
本書の帯
本書の帯には「『怖ガラセ屋サン』が、あの手この手で、恐怖をナメた者たちを闇に引きずりこむ。一話ごとに『まさか!』の戦慄が走る、連作短編集」「あなたの知らない恐怖が目を覚ます――。」と書かれています。また、帯の裏には「怪談は作りものだと笑う人、不安や恐怖に付け込む人、いじめを隠す子供、自分には恐ろしいことは起こらないと思い込んでいる人……。こんなヤツらに、一瞬の恐怖なんて生ぬるい! 怖がらなかったこと”を、後悔させてあげる――。」「恐怖なんて下らない? ホラーなんて下らない?」「結局、”人間”がいちばん怖い?」と書かれています。
本書の帯の裏
本書の構成は、以下の通りです。
第一話 人間が一番怖い人も
第二話 救済と恐怖と
第三話 子供の世界で
第四話 怪談ライブにて
第五話 恐怖とは
第六話 見知らぬ人の
第七話 怖ガラセ屋サンと
本書は、「怖ガラセ屋サン」という怪しげな若い女が、恐怖を引きおこす物語が7つ集められています。彼女は悪事を隠しているような人間の罪を暴くような、一種の「正義の味方」としても描かれています。彼女のアクションにとって、さまざまなタイプの登場人物が破滅の道を辿っていくのですが、いずれも「そうきたか」という一捻りある結末が用意されています。それらには、現代社会特有の不安が組み合わせており、著者の筆力には感心します。各話とも、「世にも奇妙な物語」のようなテイストだと思いました。わたしは、どれも面白く読みました。著者は、長編よりも短編の名手のような気がしています。
本書には「恐怖とは何か」という定義のような記述が多々あり、これが非常に興味深かったです。第一話「人間が一番怖い人も」では、「結局、人間が一番怖い」としたり顔で言う主婦に対して、怪談マニアの若い女性が反論する場面があります。彼女は「狂犬病」を持ち出します。狂犬病は、主に犬を媒介にして感染するウイルス性疾患です。治療薬は今現在もありません。発祥すればほぼ確実に死にます・高熱を出し全身が麻痺し、やがて呼吸することもできなくなります。アジア圏だけでも年に3万人が狂犬病で死亡しています。
しかしながら、日本国内での感染・死亡件数は60年以上ゼロです。彼女は「これはなぜかご存じですか?」と主婦に問います。「えっと……予防注射? 飼い犬の」と答えた主婦に対して、彼女は「そうです。そして自治体による野犬の駆除も、つまり人々のたゆまぬ努力のおかげです。わたしたちから怖いモノを遠ざけてくれる、そんな人が大勢いたし今もいるんです。狂犬病だけではありません。ペスト、コレラ、破傷風に結核。天然痘は自然界には存在しなくなりましたが、これも勝手になくなったわけではありません。多くの人の知恵と努力で根絶したんです」と言います。
そして、息継ぎをした彼女は「人間が一番怖いと口にする人の中で、自分がそうした恩恵に与っていると意識している人はどれほどいらっしゃるでしょう? あるいは今後、未知のウイルスや細菌といった脅威に晒される可能性に思いを馳せる人は? わたしはゼロだとしても驚きません。それどころか世の中は最初から安全で快適で、人間くらいしか怖いものがないとピュアな感性で信じ込んでいるのではないかと」と言うのでした。強引な論法ではありますが、一理あります。これを言われた主婦は黙り込みますが、その後、「やっぱり、人間が一番怖い!」と心の底から思う恐怖体験をするのでした。
第四話「怪談ライブにて」では、登場人物が「恐怖とは、起こってほしくないことが、起こりそうな予感」と分析しているのが印象的でした。そして、第六話では安アパートの前に駐車した車の中で1人の男と1人の女が「恐怖とは何か」について語り合います。2人の正体を明かすとネタバレになるので、発言内容だけに触れますが、男の「明日になったらひょっとして」という言葉をとらえた女が、「そうやって想像することが恐怖――怖いという感情を掻き立てる。恐怖とは何か。その最も妥当な答えです」と言います。そう、恐怖とはよくない予想をして沸き起こるもの。男の場合は「明日困窮するかもしれない」、女の場合は「次の瞬間に襲われるかもしれない」でした。
さらに、女はゴキブリを怖がる人間の例を出します。ゴキブリを怖がる人は「襟から背中に入ってくるかもしれない」「目の前に現れるかもしれない」といった予想をしてしまうから、いもしないゴキブリを恐れてしまうというのです。女が「お化け屋敷も、ホラー映画も同じですよ。あの角を曲がれば何かと鉢合わせかもしれない。登場人物の後ろから何かがいきなり襲いかかってくるかもしれない。優れた恐怖演出とはそうした予想、予感をさせる技術のことです」と言えば、男は「まさに”きっと来る”ってわけか。あの歌、ホラー映画の主題歌として正解だったんだな」と言うのでした。このホラー映画は、著者の処女作『ぼぎわんが、来る』を映画化した「来る」(2018年)ではなくて、その20年前に公開されたホラー映画史に残る金字塔的作品の「リング」(1998年)ですね。
それから、女が「もちろん安易に既存のパターンをなぞれば、今度は『お約束だ』と笑われてしまう。わたしも笑うでしょう。『そうなるかもしれない』という予想は、『そうはならないで欲しい』という願望とセットでなければ恐怖には至らないんです。作り話でも、現実でも」と言えば、男は「なるほどな。つまり――恐怖とは嫌な予感である」と言うのでした。この「恐怖問答」のくだりは、なかなか興味深かったです。つねに「恐怖とは何か」について考え続けている著者だからこそ、次から次に怖い話が書けるのでしょうね。