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No.0775 民俗学・人類学 『日本の風俗の謎』 樋口清之著(だいわ文庫)
2013.08.11
『日本の風俗の謎』樋口清之著(だいわ文庫)を読みました。
「風俗」とは「フーゾク」のことではありません。本書は日常生活上のしきたりや習わし、風習についての本です。「儀式文化創造シンポジウム」に出演したことがきっかけで、この分野への関心が高くなったのです。本書の帯には「礼儀作法から年中行事まで、知っておきたいしきたりの由来」と大書され、「なぜそばは音を立てて食べるのか。なぜお祝いごとでお赤飯を炊くのか。」と書かれています。
また、カバー裏には以下の内容紹介があります。
「今も続いている礼儀作法や風習、日本の『しきたり』には、まだまだ知られていない事実があった!
*なぜ亡くなった人の唇を濡らすのか
*元来「あぐら」が正しい座り方だった
*家紋は平安時代の牛車の印
*節分で鬼に投げる豆は、『ちまき』だった
*還暦で赤いチャンチャンコを着る理由
95の『しきたり』の起源と謎を徹底収録!」
著者は、1909年1月1日生まれで、國學院大學名誉教授でした。97年2月21日に亡くなられています。専門は考古学・民俗学でした。
考古学者としては静岡県の登呂遺跡の発掘などを行い、日本考古学の黎明期を支えました。また民俗学・文化人類学など幅広い研究活動を行い、柳田國男や折口信夫の後継者というべき学界の権威でもありました。学者としての活動だけでなく、一般向けの歴史の啓蒙書を数多く発表しており、代表作には大ベストセラーとなった『梅干と日本刀』や『逆・日本史』などがありました。常に庶民生活の視点から、歴史の大局を描き出す著作を数多く残しました。
代表作の『梅干と日本刀』から、「梅干先生」とか「うめぼし博士」などと呼ばれ、渡部昇一や谷沢永一といった人々と互いの著書の推奨文や解説を書き合ったりしました。3人とも稀代の「博覧強記」として有名ですが、「博覧強記は博覧強記を知る」といったところでしょうか。
くだんのシンポジウムでは、國學院大學の教授である石井研士先生と共演させていただきました。わたしは、石井先生とお話しながら、「ミスター國學院」的な存在であった在りし日の著者のことを思い出しました。
左から佐久間会長、故・樋口清之先生、故・小笠原忠統先生
また、著者はわたしの父である佐久間進サンレーグループ会長の大学時代の恩師です。小笠原流礼法第三十二代宗家の小笠原忠統先生を加えた3人で鼎談してこともあります。著者の授業を受けた佐久間会長は民俗学の面白さを知り、冠婚葬祭を自らの事業に選んだそうです。サンレーを創業してからも、いろいろと交流があり、わたしも何度か子ども時代に著者の御自宅を訪れたことがあります。そして、幼いわたしは、その膨大な蔵書に目を奪われたものでした。
本書の目次構成は、以下のようになっています。
第一章:礼儀作法の起源
第二章:出会いと応接の謎
第三章:言葉の謎
第四章:飲食の謎
第五章:服装の謎
第六章:婚礼の謎
第七章:葬礼の謎
第八章:贈答の謎
第九章:年中行事の謎
第十章:共同体の謎
「あとがき」
第一章「礼儀作法の起源」の冒頭には「礼儀作法 なぜ必要なのか」という項目がありますが、著者は次のように述べています。
「人は社会生活を営んでいます。生物としての人はそこでは人間、つまり人と人との「間」と呼ばれています。社会生活を営むうえで、人間は相互の生活秩序を保ついくつかの知恵を発展させてきました。法律は、そのなかでも、もっともドライで客観的に形式化されたものだといえるでしょう。しかし、血のかよった人びとが毎日をすごしてゆくためには、ドライな法律だけではダメです。そこで人間生活の習慣として、身を守り、生活体である社会を守っていくもっとウェットな知恵が要請される。それが道徳であり、道徳が形としてあらわれたものが礼儀作法なのです」
要は、礼儀作法とは「生きていくための器」です。社会の繁栄と個人が心身ともに豊かに生きてゆくための秩序スタイル、これが礼儀作法なのです。
著者はまた、「かんたんにいえばマナーは法律に近いもので利害得失による生活秩序の維持のためのルール、約束事です。これに道徳性、精神性が加味されるとエチケットになる。エチケットは日本の礼儀作法と似たものと考えてさしつかえないでしょう」とも述べています。ちなみに、日本の礼儀作法に形を与えたものは、お茶の精神だとされています。
また、礼儀作法の根幹をなす「礼の原点」について、著者は次のように日本神話を持ち出します。
「『古事記』や『日本書紀』に代表される日本神話の国生みの神を、イザナギ(男神)、イザナミ(女神)といいます。イザナギ・イザナミの語源は『いざなう』=『誘い合う』ということで、男女が愛情のもとにたがいに共同生活をいざない合う、というところから出た名前だと思われます」
ところで、日本神話において、重要なのは柱を回ることです。著者は、次のように述べています。
「この柱は、イザナギ・イザナミが高天原に登っていける柱であり、神の霊と地上の人間生活を結ぶ媒体です。この柱を回るというのが、まさにお祭りなのです。
お祭りは、日本の礼の原点といえます。すなわち、左右に価値があるとか、男女どちらが先か、ということ以上に、日本の礼儀作法の原点が信仰からくるということ、これが重要なのです」
第二章「出会いと応接の謎」では、著者は攻撃心のないことを表示するものとして「右手の礼法」に注目します。そして、つねに闘いといえる環境にいた武士の場合は、右手をおさえず、ヒザの上に両手をさげて挨拶します。次のようの攻撃がしやすいようにということでしょうが、大名や主君の前では恭順の印としてやはり右手をおさえます。著者は述べます。
「この作法がいちばん定着したのはお茶です。お茶の作法は、千利休のころ、利休をとりまく豊臣秀吉以下の武士たちが、戦国乱世のすさんだ世情のなかで、心の避難場所として、茶室を選んだところから始まります。
そこではこころを整え、鎮めることが要請されるのですから、戦闘的な右手はおさえなければなりません。これが源流となって、のちに小笠原流礼法ができます。小笠原流礼法は武家礼法の基本です」
また「上座」についても、著者は次のように述べています。
「礼法の基準では、左上右下といって、左が上で右が下となっていますから、人にものを勧める時にも、下座から、つまりその人から見て右側からものを出さないといけないのです。のちになって、日本では刀を左にさすようになり、座る時にどうしても刀を左に置くため、左側からは近寄ってはいけない、といった護身の原理も入ってきますが、もともとはこれは中国思想の影響で、それを日本の礼法が、受け継いできたということなのです」
多くの人は、「礼儀作法」といえば「正座」を連想します。現在、正座といわれているのは、屈膝座法と呼ばれる膝を折って座る方法です。この座り方が一般化してくるのは、せいぜい300年余り前からであるとして、著者は次のように述べます。
「もともと日本人が自然な座り方としてもっていたのは、あぐらという、足を開いて座る方法でした。昔の十二単や神主の袍が、大きな着物になっているのは、あぐらを組んで座る座法を前提にしているからです。女性も、かつては袴をはいていましたから、片膝を立てたあぐらを組んでいたし、男性は両あぐらを組んでいた。日本人にはいちばん楽な姿勢だったのでしょう。ところが、お茶の影響をうけて、正座が始まります。そのお茶も、濃茶が初めですから、狭い四畳半の茶室に10名も集まると、とてもあぐらでは座れません。いちばん体積を狭くして座るには、膝を折って座る以外にないわけです。茶室の面積から必然的に屈膝座法がうまれてきたのです」
第四章「飲食の謎」では、「お赤飯」を取り上げます。めでたい時のお赤飯を炊く、人工的に白米を赤くするといった事例をあげて、これらは結局、古代米の色を再現しようという知恵であるとして、次のように述べられています。
「儀式やお祭りは、もともと古代人の生活上の思考からうまれたものです。したがって、それは現在でも古代的でなければならない。神職が平安朝以前の装束を身につけているのは、古代を演出しているわけです。同じように家庭においてもめでたい日は神を祭る信仰的な日ですから、米で古代を演出するのです」
また、「酒」を同じ杯で飲む場合を取り上げています。相手と一緒に飲むは原則としてひとつのつぼに入っている酒を一緒に飲むか、同じ杯をくみかわします。これは共食習俗であり、同時に、ひとつの器のものをわけ合って擬制血縁、親戚関係になるという意識が働くのです。この「擬制血縁」というのは本書のキーワード、というよりも著者の民俗学のキーワードとでもいうべきもので、次のように述べています。
「結婚式の杯事、あるいは親分子分の関係で杯をもらうという行為はこうした意識のあらわれなのです。魂の交流であり、精神的な制約の意識を大事にするということです。こういう意識が日本人にはありますから、ことあるごとに酒をくみかわす習慣が日常的におこなわれます。仲のよいもの同士、時には知らない人とさえも、一杯やろうか、仲よくなろうかということで酒をくみかわします」
第六章「婚礼の謎」では「見合い結婚」が取り上げられ、次のように述べます。
「現在おこなわれているような見合い、つまり、第三者の仲だちによって、お互い全然一面識もない男女が引き合わされ、初めて見合う、会見するというかたちの見合いは、実は江戸時代以後のことなのです。
その前までは、見合いをとばしていきなり結婚です。信長は斎藤道三の娘の濃姫と結婚しますが、その時も、濃姫の顔も知らないで、すぐさま結婚式がおこなわれます。中世における政略結婚においては、見合いはないのです。
それよりもっと前の平安朝などでは、完全に自由恋愛結婚で、男性のほうが見初めて歌を贈り、女性が返し歌を贈れば、それでもう婚意のあることが確認されるわけです。万葉の頃はまったくの野合(結婚式を行う前に男女が通じ合うこと)です。歌垣という習慣もあるくらいで、野外婚に近いといっていいでしょう」
また、「見合い結婚」には以下のような記述もあります。
「豊臣秀吉とおねねという北の政所の結婚は見合いでした。これは、木下藤吉郎の時代に見合わされたのですが、この頃から、時代的にいうと戦国末期から、下級階級には見合いが自然発生的にはあったようです。そうでないと、結婚する相手が見つからなかったからでしょう。しかし、かたちはいまと違っていました」
これは、わたしも初めて知りました。どうやら、見合い結婚の第一号は秀吉とねねのようですね。時代は下って、新婚旅行の第一号は龍馬とおりょうでした。歴史上の有名人物は、日本人の風俗の歴史においても大きな足跡を残しているのですね。
また「結納」については、「結納の『結』という言葉は、結社のことですから、血縁結社に入れてもらう時のしるしの意味で、縁を結ぶために納めるものではありません。女性のもっている同族結社に男性が入る時のパスポートなのです。それが結納の起源です」とあります。
さらに「仲人」については、「結婚保証人としての仲人制がちゃんとできるのは、奈良時代よりあとの平安時代で、後見人制度の確立からです。これが仲人というものの始まりと考えていいでしょう」と書かれています。
興味深かったのは、「色直し」でした。ふつう、結婚披露宴で色直しをする意味は、嫁家の色に染まるためだと考えられています。しかし、それは誤解であるとして、著者は次のように述べます。
「元来、結婚式とは神を祭り、神に仕える式です。女は神を祭る人ですから、神仕えをしているのです。白は純白で清浄ですから、白装束で、頭にはいわゆる角かくしという名前の桂巻きをする。桂巻きというのは、京都の桂の女性が初めて御所に入って宮中のお世話をする時、頭に白いきれを巻いたのが名称の始まりです」
なぜ、結婚する女性は白むくを着たのか。著者は述べます。
「女性が白むくを着るのは、どんな家の色にも染まりますという予備行為ではけっしてなく、白は斎服で神に接近しうる資格をもった衣裳であるということ。したがって、男には関係なく、男性はどんなものを着ていてもいいわけです。だから、いまでも日本では、女性がちゃんと白むくであっても、男性のほうはモーニングなどを着ているのです。男性は法被を着ていたってかまわない。そこに、いさえすればいいのであって、何を着ていようが、神を祭ることには直接無縁なのです。女のみが神とつながっていました」
さらに結婚式の本質についても、著者は次のように明らかにします。
「現在では、結婚式は神の前で男女が永遠の愛を誓うものとされ、特別に女性だけが神に仕える意識はありませんから、最初から色ものを着ていたり角かくしをしなかったりしますが、本来は、結婚式は男女だけの契りではなかったのです。古代から神を祭るのは女とされ、結婚する女性も、一度神に仕えてから初めて今度は人間の女として降ってくるという、日本の女の伝統的な性格が確認される式であったのです。だから、白むくは巫女のイメージともいえるでしょう」
結婚式に関連して「三三九度」についても、次のように述べられています。
「酒とか食物を、多数の人が一緒に飲み合い、食べ合うというのは、魂の力を分け合うことの擬制行為です。これを共食信仰といいます。共食信仰あるいは共食習俗のなかでも、酒は、いまのように市販されていないで各家庭で醸造していたわけですから、その家の酒はいわばその家の魂を表現しているとみなされていました。こういう意識から、酒を相手に贈るのは魂をさしだすことになり、また、それを飲み合うと魂が共通化すると考えられていました」
ここでも「共食信仰」が出てきましたが、第七章「葬礼の謎」の「末期の水」にも以下のように登場します。
「人が死ぬ最期の時に口に水を含ませる、いわゆる末期の水は、じつは、日本人の生活原理である、共同体の確認としてものをともに食べ、ともに飲むという(共食)信仰からきています」
さらに「末期の水」について、著者は次のように述べています。
「末期の水を含ませる習慣の底には、魂の不滅という宗教上の意識もはたらいています。死んでいくのはあの世であり、あの世へいっても魂が消えてなくなるわけではありませんから、人間のこころの通い合いは可能だということです。だからわれわれと同じ共同体の一員として、肉体が亡ぶ最後の瞬間に、ともに水を飲み合う儀式をおこなうのです」
「お通夜」では、天皇家の儀礼が庶民に下りてきた事実が示されます。
「7世紀ごろの天皇など、招魂のお祭りを1ヵ月とか1ヵ月半も続けています。これは、悲しみのためということももちろんありますが、たぶんお墓の用意をする期間としても考えられていたのでしょう。
現在では、お通夜はひと晩がふつうですが、都会生活の関係上、火葬場の事情もあって、しだいに短くなってきたのです。
いまのお通夜は、いわば葬儀の前夜祭といった意味で、祭壇をしつらえて燈明と線香をたやさないようにして、故人の徳をしのび合うといったものですが、その起源は、魂の再生を願う殯であり、仏教による葬儀作法が固定するまでは、この殯の影響が強かったのです」
第九章「年中行事の謎」では「七・五・三」が取り上げられ、その正体は名数信仰から来ているものとして以下のように述べられています。
「中国に名数信仰という、信仰がありました。
これは陰陽五行説(かんたんにいえば、万物は陰と陽によって生じるという哲学)から出ています。そこでは数字も陰と陽に、すなわち奇数は陽数、偶数は陰数に分けられます。こうした分類は、直接には日とか年、あるいは方位に関係ないはずなのですが、関係あるという信仰がうまれたのです。
とりわけ陽数(奇数)は縁起がいい数字とみなされました。
一方、日本の村づきあいには、年級信仰といって何歳ぐらいが赤ん坊、何歳以上が少年期、そして何歳以上になると青年期、ということを村の構成員の目安とする重要な掟がありました。
このとりきめにしたがって、共同体内の権利と義務が生じてくるのです。
それによれば、権利も義務もない幼児が、少年あるいは少女として扱われるのが、少女は3歳であり、少年は5歳なのです。女の子のほうが男の子よりも早いのは、肉体的成長の度合いが、早いという理由によります。
のちになると7歳も少女期の祝いになりますが、少女として認められる儀式が2度もあるということは大変矛盾しています。これは、小学校に入る歳が7歳(数え年)だったところから来た混乱のようです。
昔はこうして七・五・三の儀式をすませると、村の少年になるのです」
第十章「共同体の謎」では、「みこし」が取り上げられています。日本人の祭り好きはよく知られていますが、祭りではみこしを担ぎます。日本の神様はたえず人々を守ってくれますが、ほおっておくとだんだんパワーが弱くなってきます。神は人が敬うことによってその威光を増しますが、敬わないとその威力を失ってしまうのです。著者は、次のように述べます。
「そこで神様の威力を増そうと祭りを催し、神様に『しっかりしろ、しっかりしろ』というように興奮させる。それがおみこしで、みんなで寄ってたかって振り動かすのです。神様をご神殿から出し、みこしにのせてワイワイと振ると、たとえ眠りかけた神威でも起きてこざるをえないし、元気にならざるをえないと考えていたのです」
「みこし」について、著者はさらに次のように述べます。
「みこしを振るのは魂振りの行事ですが、外国人がみると奇異です。その意味がわからないらしいのですが、それは共同の神を奮い立たせる信仰を知らないからです。みこしはふつう青年会の人たちがかつぎますが、最近では娘さんでも元気にやっています。みこしをかつぐ人はみんな平等、祭りの場では男も女もない、地主も小作人もない、みんなが平等、みんなの神様で裸のつき合い。これが祭りの原義になって村のつき合いが続けられていくのです」
「あとがき」で、著者は日本人の礼儀作法、通過儀礼、年中行事について次のように述べています。
「日本人のもっている礼儀作法や通過儀礼、年中行事などは、永い歴史のなかでうまれ、時とともに一部は選択されながら、今なお私らの生活のもとであるこころを作っている大切なものです。意識的に個人がやめようと思っても社会的にはやめられず、一見今の社会に無用に見えても受けつがれていきます。そしてそれが、日本人とは何か、を表現する具体的な糸口を私らに提供する場合が多く、その意味では日本人には大切なものであることを暗示しています」
この「日本人とは何か」は国学や民俗学のテーマでした。そして、著者自身のテーマでもあり、次のように述べられています。
「結局、日本人は意外な合理性を、近代的合理の様式で説明せずに、永い歴史の中を生き抜くこころと技術にもち、伝えて来たいわば知恵ある民族だといってよいかと思います。礼儀作法と一口に言ってしまう生活習俗のなかにも、つきつめた合理性や、すぐれた精神性があって、それが直接生活を合理化しているのみでなく、人間関係を柔軟に円滑にしていることを知りました。たとえば『村八分』の知恵などは近代社会にこそ考えられなければならないすぐれた英智だと思います。過失のあった隣人すら最後の最後まで共同体に吸収して救おうという考え方のなかで、本当の脱落者は出ないわけだとさとりました。この点、外国の例などとの大変な違いだといえます」
最後に、著者は次のように書いて、本書を締めくくっています。
「一見無駄に見える行為のなかにこそ『必要な無駄』があり、それが支えているものが民族の生活だといってよいかと思います。ただ古くからのものは無条件によいのだ、といっているのではありません。古くからつづいて亡びないものには、亡ぼしてはならない理由があり、それを今でも大切にすれば今の生活ももっと幸せになるのだろうということです」
そう、「日本人とは何か」は「いかにして日本人を幸せにするか」に通じます。
なお、本書は「だいわ文庫」から刊行されていますが、わたしもかつて同文庫から『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益―神道&仏教&儒教』を上梓しました。同書のテーマも「日本人とは何か」と「日本人の幸せ」でした。
そして、わたしは日本の冠婚葬祭、礼儀作法、通過儀礼、年中行事は、神道と仏教と儒教という三大宗教が平和的に共生した果実であると考えています。