No.0442 書評・ブックガイド 『いまだから読みたい本―3・11後の日本』 坂本龍一+編纂チーム選(小学館)

2011.09.11

9月11日になりました。あの9・11米国同時多発テロから、ちょうど10年です。

そして、3・11東日本大震災から、ちょうど半年です。節目の前日に、「死の町」発言で大臣が辞任という嫌な出来事がありました。

果たして、これからの日本はどうなるのか。それを考えるために、ある本を読みました。『いまだから読みたい本―3・11後の日本』坂本龍一+編纂チーム選(小学館)です。

選りすぐりのアンソロジー

坂本龍一氏といえば、1984年に『本本堂未刊行図書目録~書物の地平線』という著書がありました。朝日出版社の「週刊本」(なつかしい!)シリーズの1冊でしたが、まだ刊行されていない夢の書物カタログでした。

本書もそのような内容かと思って入手したのですが、まったく違いました。東日本大震災以降、坂本龍一氏とその仲間たちは「いまだからこそ読むべき本」を考え、共有し合ったそうです。本書は、選ばれた本の中の一節を集めたアンソロジーとなっています。

本書は、以下のような構成になっています。

巻頭詩「大男のための子守唄」 茨木のり子

「心にひびいた言葉たち」 坂本龍一
「母なる樹」  竹村真一
「リオの伝説のスピーチ」  セヴァン・カリス=スズキ
「きぼう」  ローレン・トンプソン
「震災後150日」  中井久夫
「津波と人間」  寺田寅彦
「現代における人間と政治」  丸山眞男
「戦争責任者の問題」  伊丹万作
「『われ=われ』のデモ行進」  小田実
「なぜ交換船にのったか」 鶴見俊輔
「被爆地に夫を捜して」  吉部園江
「チェルノブイリの祈り」  スベトラーナ・アレクシエービッチ
「アトムの哀しみ」  手塚治虫
「イシュマエル」  ダニエル・クイン
「倚りかからず」  茨木のり子
「七世代の掟」  管啓次郎
「先住民指導者シアトルの演説」

作者紹介
「さらに読みたい人のために」
「あとがきにかえて」

本書の「まえがき」となる「心にひびいた言葉たち」で、坂本龍一氏は、大震災の後は音楽も楽しめなかったと述べています。音楽を聴くような心の状態に、なかなかならなかったというのです。そして、坂本氏は次のように述べます。

「そうした状況の中、逆に3・11以降だからこそ胸にひびいてきた言葉もあります。たとえばインターネット上に誰かがポストした言葉や文章の中には、ものごとには、こういう見方もあったのだと気づかされるものがたくさんありました。それに刺激されて、自分でもいろいろな本を再読しはじめて、こうした非常時だからこそ思い出した、あるいは胸にひびいてきた本がたくさんありました」

坂本氏によれば、地震や津波に対する流言飛語や風評、原発事故に対する嘘や隠蔽などは、すべて言葉の問題だそうです。

「言葉と現実に起こっている事態の乖離がはなはだしくて、3・11前の言葉と自分の関係、言葉と現実の関係がくずれてしまった。3・11以前は言葉と現実は対応しているのだという前提のもとにみな毎日を過ごしていたのに、いまやそうではない」と嘆く坂本氏は、一方でまた、心の空虚さを埋めるのも言葉だし、自分たちの抱く、この非力な感じを支えてくれるものも言葉であると訴えます。

「人間とはつくづく言葉を食べて生きている動物なんだな」という思いを強くしたという坂本氏は、友人たちとFacebook上でたくさんの文章や本を挙げていったそうです。

そのうちに、それを本にしようという話になり、せっかくならば、ただ個人の関心を追求するばかりではなく、もっと多くの人に共感してもらえる読書案内にしたいと願って、本書が生まれたそうです。「こういうときだからこそ、心にひびくたくさんの言葉を集めて、少しでもだれかの役に立てばと願っています」と坂本氏は述べています。

本書は基本的にアンソロジーであり、取り上げられている本も、丸山真男とか小田実とか、わたし的には「今さら」と思えるものもありました。強い印象を残したのは寺田寅彦の「津波と人間」にある次の文章でした。

「昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。それは実際いくらか考えばえがする世の中であったからかもしれない。それでこそ例えば津波を戒める碑を建てておいても相当な利き目があったのであるが、これから先の日本ではそれがどうであるか甚だ心細いような気がする。二千年来伝わった日本人の魂でさえも、打砕いて夷狄の犬に喰わせようという人も少なくない世の中である。一代前の言い置きなどを歯牙にかける人はありそうもない。
しかし困ったことには「自然」は過去の習慣に忠実である。地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前20世紀にあったことが紀元20世紀にも全く同じように行われるのである。科学の法則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
それだからこそ、20世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正12年の地震で焼き払われたのである」

また、坂本氏が紹介している田中正造の次の言葉も心に残りました。

「真の文明ハ山を荒らさず、川を荒らさず、人を殺さざるべし」

田中正造といえば、日本最初の公害問題とされる足尾銅山鉱毒事件を告発した明治の政治家です。上の言葉は明治45年6月17日の彼の日記に書かれているそうです。寺田寅彦といい、田中正造といい、昔の人の見識は素晴らしいですね。彼らの文章を読み直してみたくなりました。

そして、最もわたしが感銘を受けたのは「先住民指導者シアトルの演説」でした。

アメリカのシアトルという都市に名を与えたのは19世紀の1人の先住民指導者だったそうです。1854年、白人入植者たちが部族の土地を買いたいと申し入れてきたとき、現在のシアトルの屋外で、先住民たちの大集会が開かれました。そこで彼は、「私たちにとって、先祖の灰は聖なるものであり、先祖たちが眠る土地は聖なるものとなった場所だ」から始まるスピーチを大音声で行ったのです。

それは、「地上のどこにも人が孤独になれる場所はない」というメッセージでした。彼は、白人入植者たちに向かって「あなた方は、祖先の墓から遠く、それもどうやら後悔もなく、さまよってきた」と語りかけ、さらに次のように言います。

「あなた方の死者はあなた方のことも、かれらが生まれた土地のことも、墓の門をくぐると同時に愛するのをやめてしまい、星々の彼方へとさまよっていってしまう。かれらはすぐに忘れられ、もう帰ってくることもない。私たちの死者たちは、かれらを生かしてくれた、この美しい世界をけっして忘れない。かれらはいまでも緑の渓谷を、ささやく川を、豪壮な山々を、ひっそり隠れた小さな谷間を、樹木に縁取られた湖や湾を愛しており、さびしい心で生きている者たちのことをやさしい心遣いと愛をもって懐かしみ、『幸福な狩り場』(天国)からしばしば立ち戻っては、生者たちを訪れ、みちびき、いつくしみ、なぐさめようとする」

先住民たちの宗教とは、彼らの祖先が残した伝統に他なりませんでした。それは、「大いなる精霊によって夜の荘厳な時間に与えられた、長老たちの夢だ」というのです。ブログ『死ぬには良い日だ』でも紹介したように、先住民たちは祖先とともに生きているのです。彼は、さらに次のように言います。

「あと幾度かの月、幾度かの冬がすぎれば、かつては偉大なる精霊に守られてこの広大な土地を動きまわっていた、あるいは幸福なふるさとに暮らしていた、強力な人々の子孫は、もはや誰もいなくなってしまうだろう。あなた方の人々よりもかつてはより強力でより希望にみちていた人々の、墓に参って死者を悼む子孫は。だが私が、私の人々の不運を嘆かなくてはならない理由など、あるだろうか? 部族が部族につづき、国は国につづく、ちょうど海の波のように。それが自然の秩序であり、悔やんでみてもはじまらない。あなた方の破滅の時は遠いかもしれないが、それは確実にやってくる。というのも、白人をまるで友人のように遇しともに歩き語り合った神をもつ白人ですら、人間に共通の運命をまぬかれることはできないからだ。ということは、われわれは結局のところ、たしかに兄弟なのかもしれない。いまにわかる」

そして、最後に彼は次のひと言で伝説のスピーチを締めくくるのです。

「白い人が公正で、私の人々を親切に扱ってくれることを望む。なぜなら死者たちは、無力ではないのだから。死者、と私はいったか? だが死など存在しない、ただ世界から世界へと移るということがあるだけだ」

わたしは、この一文を読んで、いつも自分が言っていることとまったく同じだったので、嬉しく思いました。そう、死者たちは無力ではなく、そもそも死など存在しないのです。1854年のシアトルで語られたこの言葉は、2011年の日本の各地でわたしが語っている言葉でした。過去の偉大な先人の中に自分と同じ考えの人物を発見する・・・・・これに勝る読書の醍醐味があるでしょうか!

わたしは、本書に紹介されているような真っ当な本を読みながら音楽活動を続けている坂本龍一氏に心からの敬意を表したいと思います。

まさに知性と感性のバランスが取れた坂本氏の作品の中で、わたしが一番好きなのは「Merry Christmas,Mr.Lawrence」です。この曲を聴いていると、美しいメロディの中から「人類の哀しみ」のようなものが切々と心に迫ってきます。

“9・11”という悲しみの記念日に、ぜひ聴きたい名曲です。

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