No.0687 社会・コミュニティ | 経済・経営 『第四の消費』 三浦展著(朝日新書)

2013.03.07

『第四の消費』三浦展著(朝日新書)を再読しました。
「つながりを生み出す社会へ」というサブタイトルに、帯には「物から人へ! 日本人の豊かさが変わる」とのコピーが書かれています。なんとなく、拙著『隣人の時代』(三五館)のメッセージと重なるものを感じて手に取った本でした。

本書の表紙カバーの折り返しには、「消費社会研究第一人者による20世紀消費社会史にして、21世紀消費論!」と大書されています。続いて、次のように内容が紹介されています。

「少数の中流階級が消費を楽しんだ第一の時代。高度成長の波に乗り、家族を中心とする消費が進んだ第二の時代。消費が個人化に向かった第三の時代を経て、消費はいま、第四の時代に入った。伝説のマーケティング情報誌『アクロス』編集長として一時代を画した著者が、30年の研究をもとに新しい時代を予言する。80年代を知らない若い世代にとっても必読の入門書」

本書は「消費」について書かれた本ですが、「まえがき――物ではない何かによって人は幸せになれるのか?」において、著者は「消費を論ずるということは意外に難しいことです」と言います。この商品はこういう理由で作られて、こういう人が、こういう時代の変化の流れの中で買ったから売れたという事実があるはずです。しかし、それをしっかり書いた文献が多くないために、消費を論ずることは難しいというのです。それを踏まえた上で、著者は述べます。

「実際は、商品は、いろいろな時代背景を分析し、ターゲットの人口や嗜好性を考え、親子や夫婦関係の変化、家族の形の変化、所得の変化、生活に求める価値観の変化などなど、無数のことを分析してようやく発売されます。でもそれが誰にでも読める文献になっていないので、自分の会社の商品のことならわかっても、他社の、他業界の商品だとわからない。
また、消費者のほうも、日常的に商品を買っていますが、時代の流れの中でつねに変化している。自分でも気づかないうちに、自分の価値観や嗜好が変わっている。その変化の背景には、年齢的なものもあるが、社会的なものもある。未婚か既婚か、親子の関係、夫婦関係、所得などなど、個人の中にも無数の要因があって、それが複合して、結果として、ある商品を買い、ある商品を買わないという行動になって現れるわけです。
また、人は誰でも消費をしますが、消費は人の行動の一部でしかない。だから、消費行動を分析するには、人の全体を知る必要があります。人の全体を知るには人を取り巻く社会や都市を知らないといけないし、社会や都市の歴史、変遷も知らねばならない」

日本における近代的な意味での消費社会は20世紀初頭から始まりました。著者は、第一の消費社会の誕生について次のように述べます。

「日清、日露戦争に勝ち、第一次世界大戦の戦時需要で日本は好景気に沸いた。しかし強烈なインフレにより一般労働者の実質賃金は下がり、米騒動が起こるなど、貧富の格差が拡大していた。さらに1920年になると綿糸、生糸の暴落に始まる恐慌が起こる。だが、大資本は力を強化し、『成金』が増えた。
また、大都市の人口が増加したために、大都市部では消費が拡大し、昭和初期にかけて大都市に大衆消費社会が誕生することになる。これが第一の消費社会である。本書では、大正元年から第二次世界大戦まで、1912年から41年までの丸30年間と定義しよう」

次に、第二の消費社会について、次のように述べます。

「敗戦から1973年の第一次オイルショックで高度経済成長期が終わるまで、つまり1945年から74年のマイナス成長までの丸30年間を第二の消費社会と定義しよう。第一の消費社会と同様、第2の消費社会の時代にも人口の都市集中が加速した。しかし第二の消費社会は、東京などの大都市だけに限定して見られるものではなく、全国に波及した。
言うまでもなく、家電製品に代表される大量生産品の全国への普及拡大こそが第二の消費社会の最大の特徴だからである」

そして第二の消費社会から第三の消費社会へと移行するわけですが、そこには5つの変化が見られました。以下の5点です。

1.家族から個人へ(1家に1台から1人1台へ)
2.物からサービスへ
3.量から質へ(大量生産品から高級化、ブランド品へ)
4.理性、便利さから感性、自分らしさへ
5.専業主婦から働く女性へ

さらに、第三から第四の消費社会への変化の特徴は以下の5点です。

1.個人志向から社会志向へ、利己主義から利他主義へ
2.私有主義からシェア志向へ
3.ブランド志向からシンプル・カジュアル志向へ
4.欧米志向、都市志向、自分らしさから日本志向、地方志向へ
(集中から分散へ)
5.「物からサービスへ」の本格化、あるいは人の重視へ

まとめると、日清・日露戦争後に誕生した日本の消費社会は、以下のような四段階を経るというのです。

第一の消費社会(1911~1941年)
第二の消費社会(1945~1974年)
第三の消費社会(1975~2004年)
第四の消費社会(2005~2034年)

そして、第一の消費社会から第四の消費社会までの国民の意識の大きな流れを概観すると、「national(国家重視)→family(家族重視、家族と一体の会社重視)→individual(個人重視)→social(社会重視)」という大きな変化があったといいます。

ここで、2005年に始まったという第四の消費社会は2034年まで続くとされています。もちろん、2034年というのはかなり先の未来です。つまり、本書は単なる消費社会史ではなく、未来予測の書にもなっているわけです。著者は、第四の消費社会について次のように言います。

「社会(society)の語源はラテン語の(socius)であり、それはまさに「仲間、つながり」を意味する。にもかかわらず、資本主義化、消費社会化、私生活主義化、個人化などが進みすぎると、人は人同士のつながりを意識しにくくなる。社会の中にいるのに、つながりを感じられないという奇妙な矛盾が生じたのである。その矛盾を解消する方向に第四の消費社会は動こうとしているのである」

さらに著者は、「第四の消費社会では、自分の満足を最大化することを優先するという意味での利己主義ではなく、他者の満足をともに考慮するという意味での利他主義、あるいは他者、社会に対して何らかの貢献をしようという意識が広がる」と述べます。その意味で、第四の消費社会とは社会志向なのですが、これは利他主義にもつながります。この利他主義はシェア志向へと広がります。

「利己主義から利他主義への変化は、私有主義からシェア志向への変化だとも言える。自分専用の私物を増やすことに幸福を感じるだけの私有主義、私生活主義、マイホーム主義ではなく、第4の消費社会では、他者とのつながりをつくりだすこと自体によろこびを見出すシェア志向の価値観、行動が広がっていく。このシェア志向の価値観、行動こそが、第4の消費社会における消費の基礎となっていくものである」

また、第四の消費社会には、のもう1つの特徴があります。日本志向です。著者は、「たとえば近年、海外旅行をする若者は減っているのに京都旅行をする人は増えている。熊野古道、伊勢神宮なども人気がある。雑誌で神社やお寺の特集が組まれると、評判がよい。実際、神社に行くと最近は若い女性が多い。日本の伝統的な文化への関心が高まっているのである」と具体例をあげます。

そして、次のように物語としての「日本」を語ります。

「『日本』というものは、それ自体が『大きな物語』である。日本人にとっての最大の物語だとも言える。特に現代の若い世代にとってこそ、そうなのである。
なぜなら若い世代ほど、親の転勤で日本各地を渡り歩いた、もしかすると海外にも住んだ経験のある人が多い。すると、いわゆる出身地というものがない。〇〇県生まれだから、こういう性格、気質であるというものがない」

さらに著者は、日本への関心が高まる背景について、次のように述べています。

「経済大国2位の座を中国に譲った現在、日本人は、経済大国に代わる誇りを、日本の伝統文化に求めているとも言える。ほとんどの国民は経済大国2位の座から落ちたことに失望はしていないように私には見える。むしろ、ようやく経済ではない別の価値を国民が広く共有できるようになったことをよろこんでいるように思えるのである。さらに、グローバリゼーションが進み、世界中のライフスタイルが均質化していく中で、日本らしさを求める心理が拡大したとも考えられる。海外旅行の経験が、平和で清潔な日本の素晴らしさを実感させた面もあろう。これらのことが重なりあって、近年、日本への関心を高めることになっているものと思われる」

さて、著者は、『創造的福祉社会』を著した広井良典氏の「近代化志向の社会は時間軸優位の価値観の社会である」という説を紹介します。「成長・拡大の時代には世界が1つの方向に向かう中で”進んでいる”といった『時間』の座標軸が優位だったが(たとえば”先進国は進んでいる、都会は進んでいる”等々)、定常期においては各地域の風土的・地理的多様性や固有の価値が再発見されていく」というのです。

著者によれば、広井氏のいう空間軸には「人のつながり」も入ってくるといいます。時間軸と空間軸というのは、タテのつながりとヨコのつながりということです。そして、タテのつがりとは歴史、伝統であり、ヨコのつながりとは人間関係であるといいます。わたしは『隣人の時代』で、タテのつがりとは「血縁」、ヨコのつながりとは「地縁」、つまりタテは先祖、ヨコは隣人との関係であると述べましたが、まあ同じような意味だと言っていいでしょう。

この「タテのつながりとヨコのつながり」について、著者は言います。

「あるところで、このタテのつながりとヨコのつながりという話を私がしたら、ある人に、タテのつながりはお寺の役割で、ヨコのつながりは神社の役割ですねと言われて、なるほどと思った。お寺は祖先崇拝の場所である。自分の存在が先祖代々からつながっていることを確認するところがお寺である。対して神社は、氏子という地域社会の構成員を、祭りなどを通じてつなぎあわせるための核となる場所である。仏教と神道は、人間にとって重要なタテのつながりとヨコのつながりを分担して受け持っていたわけだ」

第四の消費社会を生きていくためには、いろいろな発想の転換が必要です。
そして、そこでは「シェア」という発想が大きな役割を果たすとされます。シェアといえば経済的な負担分担が最初に思い浮かびますが、著者は言います。

「シェアにはもうひとつの側面がある。みんなが、自分ができること、余っている物を出し合う、それを必要な人たちが利用する、という面である。誰もが何か余っている、何かをする余裕はある。他方、何かが足りない、何かをしてほしいと思っている。そのカードを見せ合えば、余っているものは足りない人のところに回り、何かができる人は、それをしてほしい人に、してあげることができる。それぞれの人が、足りないところを、余っている人に埋めてもらい合えば、そこにつながりができるだろう」

第四の消費社会において、企業や行政、或いは市民自身がどうしていくべきか。著者は、その原理、原則は自ずと以下のようなものになると述べます。

1.ライフスタイル、ビジネス、まちづくりなど、社会全体をシェア型に変えていく。
2.人々が、プライベートなものを少しずつ開いていった結果、パブリックが形成されていくことを促進する。
3.地方独自の魅力を育て、若い世代が地方を楽しみ、地方で活動するようにする。
4.金から人へ、経済原理から生活原理への転換を図る。

著者は、シェア型の社会について考えていく中で、以下のようなことを思いついたそうです。それは、現代の消費者は「楽しいこと」ではなく「うれしいこと」を求めているということでした。著者は、「『楽しい』も『うれしい』も似たような言葉だが、たとえば『昨日は友達とテーマパークに行って楽しかった』という言い方と、『昨日は友達とテーマパークに行けたのでうれしかった』という言い方を比べると、『うれしかった』の場合は明らかに『友達と』に力点がある。友達と行かなくてもテーマパークは楽しいのだが、特に友達と行けたからこそ、楽しさが倍加した、そのことがうれしかったという意味である」と説明します。わたしは、これは非常に重要な指摘であると思います。「楽しい」と「うれしい」の間に「つながり」の消費が隠れているのかもしれません。

さらに、著者は現代の消費社会のシンボルともいうべきコンビニエンス・ストアについて、次のように述べます。

「第四の消費社会という視点で見た時、第三の消費社会を代表する業態であるコンビニの役割とは何だろうか。特に1人暮らしの人々にとっては不可欠のコンビニだが、地方はともかく都会のコンビニでは、客が無言で店員と接するなど、コミュニケーションが少ないという印象がある。せっかく日本中に何万店舗もあるのだから、もっと地域社会の核として使われるべきではないか。
最も個人的な消費を行う業態であるコンビニは、それが小さな地域にくまなく広がっているという経営資源を活用することで、最も地域に密着し、地域住民とのコミュニケーションを図り、コミュニティの形成に貢献しうる業態となりうるはずだ。それは私のお得意の造語を使わせてもらえば、コンビニではなくコムビニ。つまり、コミュニケーションとコミュニティを活性化するコンビニである」

この「コムビニ」というのも非常に面白いですね。「ファストフード化」といい、「下流社会」といい、マーケティング誌の編集長を務めていただけあって、著者の造語感覚には非凡なものがあります。

本書には「巻末特別インタビュー」として、セゾン文化財団理事長である辻井喬氏と著者との対談が掲載されています。辻井氏の本名は、堤清二。言わずと知れた、セゾングループという生活総合産業の総帥であり、戦後日本における消費文化のヒーローでした。この対談、なかなか興味深いのですが、「時代の読み方」について次のように両者が語り合います。

三浦:辻井さんに限りませんが、経営者というのは、常に時代を読んでいくわけですね。辻井さんの場合、それが小売業だったということもあって、特に鋭く時代の変化を読んでいった。当然、いろいろな失敗もおありだったと思うんですが、どうやったら時代を読めますか?

辻井:冗談から入ると、財界の大御所の中に行くわけ。そうするとね、財界の大御所たちがコンセンサスとして持っている意見の反対を行ったら、まず間違いなく時代が読める(笑)。あの人たちは時代を読みたくないから。

三浦:読みたくない?

辻井:自分たちの権威は、いままでの時代で支えられているから。

財界のコンセンサスに続いて、辻井氏はメディアのコンセンサスもダメだそうです。いわゆる六大紙はまったくダメで、財界とマスメディア、この2つのコンセンサスをひっくり返せば、だいたい時代の先行きが読めるというのです。
では、最も正しい時代を読む方法は何かというと、辻井いわく「街を歩くこと」だそうです。辻井氏は、「どこでもいいんでけど、マツモトキヨシでもよければ、ユニクロさんでもいい。そういうところにぶらーっと行ってね、いろんあ人たちの会話を聞くと、一番ヒントになる。これは間違いない。電車の中のおしゃべりでも、もちろん結構」と喝破するのです。時代を読むにはフィールドワークに勝る方法はないということでしょうが、至言だと思います。さすがは、辻井喬氏ですね。

最後に、本書の「あとがき」で、著者は次のように述べています。

「今回、私も、消費社会について論じてみて、当然のことながら、その範囲が非常に広く、どうやっても1冊の本で論じ尽くせるものではないとあらためて実感しました。どうしても若者の消費についての記述が多くなりますし、具体的なヒット商品、流行風俗についても、あまり多くは触れられなかった。インターネット、マンガ、アニメ、ゲームなどについては、私の弱い領域なのでほとんど触れませんでした。住宅については少し触れましたが、家族、ジェンダーと消費社会の関わりについては書いていない。男女の恋愛、結婚もまた消費社会では消費行動化しますが、それについては触れなかった。『家計調査』などの基本的な消費統計の分析ももう少しするべきだったかもしれません。本当は消費と政治との関わりについても書きたいのですが、そこまで手が回りませんでした」

本書のサブタイトルにも入っている「つながり」は、間違いなく今後のキーワードでしょう。また、「利他」や「シェア」という考え方も、まずます多くの人が持つようになるのではないでしょうか。本書は、消費社会というよりも、これからの日本人の生活、そして日本人の豊かさと幸せを予測した好著であると思いました。

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