No.0655 死生観 『人は死なない。では、どうする?』 矢作直樹・中健次郎著(マキノ出版)

2012.08.19

『人は死なない。では、どうする?』矢作直樹・中健次郎著(マキノ出版)を読みました。

本書は、「勇気の人」こと矢作直樹氏から贈呈された本です。「東大医学部教授と気功の泰斗の対論」というサブタイトルがついています。

本書の著者の1人である矢作氏は『人は死なない』の著者でもあります。もう1人の中氏は、気功家で鍼灸師だそうです。本書の帯には、「静かで実直な魂に響く対話。目に見えない世界を深く感じました」という作家・田口ランディ氏の推薦の言葉が掲載されています。

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

はじめに「混迷の時代を生きるヒントにしてほしい」(矢作直樹)
第一章:生とは何か? 死とは何か?
(コラム)気にしないことが最善の健康法
第二章:病気とは何か? 老いとは何か?
(コラム)自分の体に耳を傾け、少食を実践
第三章:人は死んだら、どこへ行くのか?
(コラム)76キロでメタボだったのが、今は58キロ
第四章:見えないものの世界
(コラム)気功と瞑想―実践するためのヒント
終わりに「否定も肯定もせず、あるがままを愛してください」(中健次郎)

本書は対話集ですが、矢作氏の「気にしないことが最善の健康法」というコラムが興味深かったです。コラムの冒頭で、矢作氏は次のように書いています。

「老いとはなんでしょうか。これに対する私の見解は、『死に対する準備期間』ではないかというものです。もしも仮に、人生のピークが80歳だったとすれば、80歳になって死期が近いといわれても、それに納得して死ねるかたは少ないでしょう。
実際は、20歳前後をピークとして、体のさまざまな機能がゆるやかに衰えていきます。これはつまり、少しずつ死への心構えを育てることにもなるわけです。こうした意味でも、人間というのは、よく作られたものなのです」

また、同じコラムの最後は、次のように書かれています。

「私の健康法を強いて挙げるなら、『極力気にしないこと』ということになるでしょう。『老いたらどうしよう?』『ハゲたらどうしよう?』といったことでは、いっさい思い悩まないことが肝心です。いつだったか、私があまりに服を持っていないので(いい服を着たいという欲求がまるでないのです)、知人からひどくあきれられ、驚かれたことがありました。最近、よく感じることですが、物への執着をなくせば、ストレスというものはびっくりするほどへるものです。老いへの執着にとらわれず、すなおに受け入れることが、ある意味でほんとうのアンチエイジングなのかもしれません」

また、次のような矢作氏の古神道に関する発言も興味深いです。

「古神道の1つで、白川伯王家、あるいは、通称伯家により伝えられてきた『伯家神道』と呼ばれる神道があります。白川伯王家は、神祇伯として神拝作法の伝授や神職免許の授与を行い、伝統的な宮中祭祀や特殊な神事・神法を担い、その作法や行事を伝承してきました。この中で、特殊神事として密かに継承されてきたものが、『祝之神事』と呼ばれるものです。『祝之神事』は、皇太子が天皇に践祚されるときに、神と天皇が不二一体になられる非常に重要な神事だといわれています。一説には、明治天皇は、そうやって得た霊力によって多くの人間のスピリチュアル・ヒーリングを行ったともいわれています。明治の元勲たちが明治天皇に心酔していたのはそのためだともいうんですね」

明治天皇がスピリチュアル・ヒーラーだったとは初耳ですが、天皇家とも関わりの深い矢作氏の言葉であるだけに重みがあります。

矢作氏は、次のように葬儀や供養についても発言しています。

「こちら側の人間は供養を捧げたり、亡くなった人に感謝の気持ちを持ったりすれば、じゅうぶんなのではないかと私は思います。感謝の気持ちは、必ずあの世の家族にも伝わりますから。後は、こちら側で元気に暮らしているのがいちばんです。向こう側にいる人も、それをなによりも喜ぶのです」

本書では「死」そのものについても大いに言及されていますが、「死の恐怖は、向こう側へ気安く飛ばないための安全弁」として次のように語られています。

【矢作】
死が怖くなかったら、大変なことになります。人間のような未熟な意識の場合、もしも死んだ後、どうなるかということがはっきりわかってしまったら、浅薄な結論に飛びつく人が大量に出現するのではないでしょうか。例えば、善良に生きて死んだ後、だれでも天国へ行けるとわかったら、未熟な意識は、このめんどうな生にさっさと見切りをつけて、どんどんあの世へと行ってしまうおそれがあるんですね。

【中】
確かにそうですね。いかにもありそうな話です。

【矢作】
つまり、死への恐怖というのは、ある意味では、私たちが向こう側へ気安く飛ばないようにする安全弁のような働きをしていると思うんです。この肉体というものは、非常にうまくできている。人間の脳はすばらしいというけれど、しかし、脳も、また、もっと高い存在から見れば、非常に出来が悪いわけです。その出来の悪い脳のフィルターを通して、私たちはすべてを見ている。

本書の中で、中氏は多くの神秘家あるいはオカルティストについて語っています。中でも驚いたのは、中氏はかのサイババの超能力を今でも信じていることでした。「終わりに『否定も肯定もせず、あるがままを愛してください』」で、中氏は次のように述べています。

「私は、自分が過去に出会った何人かの聖人や覚者についてふれています。しかし、会話が進み、矢作先生の仕事ぶりや人柄、考え方を深く知るにつれ、私の目の前にいるこの矢作先生こそ、寡欲で執着心のない賢者であり、里の仙人なのだという思いが強まっていきました。今も、その気持ちは変わっていません。こういうと、矢作先生はきっと謙遜して、首を振って否定なさるに違いありませんが」

わたしは、矢作氏に実際にお会いしたことがあります。つい先日もお会いしました。わたしも、「寡欲で執着心のない賢者」や「里の仙人」という表現には大賛成です。矢作氏と話していると、不思議と魂が浄化される気がします。

本書は、東大医学部教授でありながら「人は死なない」という真実を堂々と語る「勇気の人」こと矢作直樹氏の人となりを知る最適の一冊であると言えるでしょう。

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