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No.0020 哲学・思想・科学 『精神現象学』 ヘーゲル著(作品社)
2010.03.13
『精神現象学』ヘーゲル著(作品社)を再読しました。著者は言うまでもなく、近代哲学における最高の巨人です。
これまで、ヘーゲルの哲学はマルクス主義につながる悪しき思想の根源とされてきました。しかし、わたしは、ヘーゲルほど、現代社会が直面する諸問題に対応できる思想家はいないと思っています。
ヘーゲルは、共同体と人間の関係について徹底的に考えた人でした。社会制度と個人のあり方を見たとき、共同体には大きくふたつのものがあります。ひとつは「国家(ポリス)」という公共的で明確な法律を持った共同体。もうひとつは、血縁で結ばれた私的な共同体、つまり「家族」です。
ヘーゲルによれば、国家は男たちのつくりあげる共同体です。男は家族のなかで育ちますが、成年になると公共的なものに眼を向け、そこにアイデンティファイする。 自由と共同性を実現した「人倫の国」こそが、ヘーゲルにとっての国家なのです。
では、家族のほうはどうか。
家族は、男女が結びつき、愛し合う場所です。そして、愛の結晶である子どもを育てる場所です。国家の側からすれば、家族の機能とは「子どもを立派な公民として育て上げる」ということにつきるでしょう。
しかし、家族の最大の存在意義とは何か。ここでヘーゲルは、家族の最大の義務を明らかにしました。
それは、ずばり「埋葬の義務」です! どんな人間でも必ず死を迎えますが、これに抵抗することはできません。
死は、自己意識の外側から襲ってくる暴力と言えますが、これに精神的な意義を与えて、それを単なる「自己」の喪失や破壊ではないものに変えること。これを行うことこそ、埋葬という行為なのです。家族は死者を埋葬することによって、彼や彼女を祖先の霊のメンバーのなかに加入させます。これは「自己」意識としての人間が自分の死を受け入れるためには、ぜひとも必要な行為なのです。
壮大な精神のドラマ
ヘーゲルは大著『精神現象学』(長谷川宏訳、作品社)において、「死」の問題に正面から取り組んでいます。死の恐怖を知ることによって、「自己」の意識がめばえる。死を廃絶してしまうことはできない。できるのは、ただ死に「意味」を与えることだけである。 だから、死者をとむらうという制度が発生するのは必然的なのです。
ヘーゲルは言います。国家のために戦って死んだ男たちを埋葬するのは女たち、すなわち家族の役目である、と。もし、埋葬されずに死骸が鳥や獣の餌食にされるならば、それは死者にとっても、遺された家族にとっても、耐えがたいことなのです。
家族の執り行なう埋葬が「死」に意義を与えてくれるのです。このように、孟子と同じく、ヘーゲルも「埋葬の倫理」というものを力説したのでした。
最後に、『精神現象学』の作品社版は、長谷川宏氏の翻訳が本当に素晴らしい! 亀山郁夫氏が訳したドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(全5巻、光文社古典新訳文庫)とともに、出版史上に残る名訳ではないでしょうか。