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No.0495 マーケティング・イノベーション | 帝王学・リーダーシップ | 経済・経営 『創発的破壊』 米倉誠一郎著(ミシマ社)
2011.11.24
『創発的破壊』米倉誠一郎著(ミシマ社)を読みました。
著者は、一橋大学イノベーション研究センター教授です。
イノベーションというと、ふつう「創造的破壊」という言葉が思い浮かびます。しかし、著者は「創発的破壊」というものを提唱するのです。
未来をつくるイノベーション
著者は、アカデミックな世界だけに安住せず、「日本元気塾」を主宰しています。そこで、大きなビジョンやゴールの設定、個人の小さな営みが生み出すパワー、すなわち「創発」の重要性を学生や社会人に伝えています。また実際に、グローバルな社会貢献活動をされている人々を世に送り出しているそうです。
著者は、中東やエジプト等で自由や民主化というビジョンに向けた個人の小さな行動が起こした「ジャスミン革命」に注目します。 いまの日本に必要なのは、静かなるジャスミン革命であり、「創発的破壊」とはまさにこのパワーのことだそうです。
日本は、多額の負債、長引く不況、そして東日本大震災という試練に直面し、未曾有の国難を迎えています。今こそ、「創発的破壊」をもって日本を「イノベーションの国」として再生すべきであるというのです。
「静かなるジャスミン革命」は、強力なリーダーや既存の組織によってではなく、一人ひとりの小さな動きによって「創発的に」起こると、著者は訴えます。
本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに」
序:大震災以降の社会を構築する
第一章:新しい資本主義を創る
第二章:すでに起きている未来~日本のイノベーターたち
第三章:ソーシャル・イノベーションという方法
第四章:高校生のための社会スタディ
第五章:世界から日本が消える?
第六章:世界から学ぶ
第七章:歴史に学ぶ~大隈重信の革新性
最終章:日本のパラダイム・チェンジ
「はじめに」で、まず著者は本書が東日本大震災後の日本を想定して書いていたものではないと述べています。この数年間、「日本はどこへ行くのか」「新たなイノベーションはどこから生まれるか」などについて考え続け、少しづつ書きためてきたといいます。その最後の仕上げのときに、大震災に遭遇したそうです。
著者が本書でまず一番はじめにいいたかったことは何か。それは、大きなビジョンやゴール設定と、個人の小さな営みが生み出すパワー、すなわち「創発(emergence)」の重要性です。ビジョンについて、著者は次のように述べています。
「すぐれたビジョンとは、目を閉じると具体的なイメージがまぶたに浮かぶようなもの、といわれる。たとえば、マーティン・ルーサー・キング牧師の有名な演説『私には夢がある』では、彼の描く理想のアメリカが目に浮かんでくる。アラバマの片田舎の街角に黒人と白人の子どもたちが手を取り合って兄弟のように遊ぶ姿が、彼の4人の子どもが肌の色でなく人間の中身で判断される日が、まさに映像のように浮かぶのである。
では、いま掲げられるべき日本のビジョンは何だろうか。
不思議なことに僕には日本の未来が見える。
世界が羨むその未来が見える。
『分散化した都市国家を築き、これまでの半分以下のエネルギー消費で豊かな暮らしを続け、そのノウハウを世界と分かち合うことで富に換えている』という姿だ」
著者が第2にいいたかったことは、ソーシャル・イノベーションの重要性です。それは、これまで信じてきた資本主義の価値観に対して、まったく新しい視点を提供するような事態の出現であるといいます。
第3に伝えたかったことは、パラダイム・チェンジとイノベーションの重要性です。
この2つについて、著者は「ビジネスにせよソーシャル・ビジネスにせよ、現状を創造的に破壊し、新たな付加価値を創造する基本である。人類はイノベーションなくして新天地に到達することはない。そのときに古い固定観念を捨てて新しい時代を読み切る思考枠組みの大転換(パラダイム・チェンジ)は大前提となる。そこで重要なのが歴史的な俯瞰能力である」と述べています。
第4にいいたかったことは、世界から学ぶということです。著者は、「いまの日本の問題点はすべての問題を自前主義で解こうとしていること、あるいは日本だけの事象と思い込んでいることである。世界には同じような経験があるし、見習うべきことも多い。内に閉じこもっているうちに、日本人の思考が世界から大きくかけ離れてしまったことを危惧している」と述べています。
4つの重要ポイントを踏まえた上で、著者は今後の日本について次のように述べます。
「いま、日本がしなければならないことは、国民のばらばらな期待をコーディネートするような大きな方向性を掲げ、政策プライオリティを決定して、それを日本国民および世界に同時発信していくことだ。危機における政府やリーダーたちのもっとも重要な役割は安心感を与えること、すなわち『日本はすでに復興軌道に乗り、巡航速度に向けて加速しつつある』というメッセージを発することである。それには大きな時代観が必要であり、ゴールはもう明らかだ」
著者は、そのために必要なことを次の4つにまとめています。
(1) 脱原発・脱炭素社会を支えるクリーンテクノロジーの世界的リーダーとなるために、当面あらゆる分野で30パーセントの省エネルギーを実現する
(2) 最新技術や最新社会概念に基づいた5つのスマートシティを東北地域に建設する
(3) それを実現するための権限委譲された5つの特区を新設し、将来の都市国家建設の第一歩とする
(4) 特区の復興調達に関しては、アファーマティブ・アクションとして外国籍企業、中小企業そして設立3年以内の新興企業の調達枠を設ける
そして、「はじめに」の最後で、著者は次のように激しいアジテーションを展開します。
「この期に及んで、まだ原発推進や現状延長線上での産業力維持といった寝とぼけたことをいう政治家や経営者がいる。少子高齢化が深刻化する日本にあって、これまでの延長線上に未来を創っていけるとでもいうのか。イノベーションを生み出さない復旧で、世界の誰が日本を羨むのか。彼らを信じるな、若さや新しい技術を信じろ、旧体制を創発的に破壊しなければならない。そして、自分たちの手でパラダイム・チェンジを、静かなるジャスミン革命を起こすのだ」
本書で特に興味深いのは、第三章「ソーシャル・イノベーションという方法」です。ここで、2006年にノーベル平和章を受賞したバングラデシュのグラミン銀行とその創設者ムハマド・ユヌス博士が登場します。グラミン銀行はベンガル語で「村の銀行」を意味します。
貧しい農民、特に女性たちに数千円から数万円程度の資金を貸し付けることによって農業や商工業を再生し、バングラデシュから貧困を根絶しようというマイクロファイナンス機関のことです。1970年にユヌス博士がわずか27ドルのポケットマネーを42人の農民に貸し付けることからスタートしたこの銀行は、現在約1000億円を800万人に貸し付ける世界最大の小額融資事業にまで成長しました。
現在のビジネスの概念は「人間」をつかみきれていない。そのように訴える著者は、次のように述べます。
「『利益の極大化こそが人間の目標、ビジネスの最終目標だ』とわれわれは教え込まれてきましたが、これは人間を一次元的な生き物としてとらえているにすぎません。人間はロボットではなく、いろいろな側面をもつ、もっと大きな存在のはずです。
われわれは人間としての力をもっと発揮できるようにしなければなりません。人間は利己的でもありますが、無私でもあります。その両方をもつからこそ人間なのであり、それをベースにすべきです。無私、無欲からビジネスを立ち上げてもいいじゃありませんか。それを私は『ソーシャル・ビジネス』と呼んでいます。社会目標志向で、社会問題を解決するためのビジネスのことです」
また、著者と対談した際、ユヌス博士は次のように語っています。
「われわれが目にしている資本主義というのは、まだ道半ばです。これは大きなチャンスです。今は、人間についてあまりにも狭すぎる見方をしています。人間は金を生み出す機械ではありません。人間は世界を変えることができるのです。1人ひとりが内在的に希求する力を発揮できれば、資本主義は制度としてずっとよくなり、バランスのとれたシステムになるはずです。未完成の部分をソーシャル・ビジネスによって埋めることができる。その仕組みをつくり上げることによって、いろいろな問題を是正することができると思います」
ユヌス博士は、著者の依頼で寄稿した『一橋ビジネスレビュー』で、グラミンの成功について、従来の銀行と次のように対比しています。
「従来の銀行は金持ちを対象にするが、グラミンは貧しい人々を
従来の銀行は男を対象にするが、グラミンは女性を
従来の銀行は都市で業務をするが、私たちは農村で
従来の銀行は高額取引を好むが、グラミンは小額を
従来の銀行は顧客を呼びつけるが、グラミンは顧客のもとで
従来の銀行は担保を取るが、グラミンは取らない
従来の銀行は借り手の過去を調べるが、グラミンが興味をもつのは未来だけ」
わが社では、新たに介護事業に進出し、「隣人館」という老人ホームの展開を図っていますが、これをわたしは単なるシルバー・ビジネスではなく、一種のソーシャル・ビジネスであると思っています。ですから、ムハマド・ユヌス博士および著者の「ソーシャル・ビジネス」に対する考え方には、非常に共感しました。ユヌス博士について、さらに知りたくなりました。
それから、第七章「歴史に学ぶ~大隈重信の革新性」を非常に興味深く読みました。そこでは「創発的破壊」の代表的人物として、わたしの母校である早稲田大学の設立者・大隈重信が取り上げられています。
ピーター・ドラッカーは、明治維新について「人類史上最大の社会的イノベーション」と述べましたが、その偉業は若い人々によって行われました。
維新前年の1867年、「薩摩の長老」といわれた西郷隆盛、大久保利通でさえそれぞれ40歳と37歳でした。長州の筆頭であった木戸孝允が34歳、井上馨は32歳で、伊藤博文はまだ26歳にすぎませんでした。坂本龍馬は32歳でこの年に没しています。
そして、大隈重信は、維新前年に29歳になったばかりでした。著者は、「もちろん、彼らに外交経験などはない。この不平等条約の下で発生するさまざまな外交問題を処理するプロセスで、彼らは急速に『藩士』から脱皮し『維新官僚』に成長したのである。しかし、その具体的プロセスは未だによくわかっていない』と述べています。
大隈重信は、維新後、急速に明治政権の表舞台に登場しました。そして、その初期外交において列強諸国との折衝を担い、続いて初期財政運営の中核を担っています。著者は、「彼の官僚そして政治家としての飛躍を支えたのが、まさに田舎侍の倒幕攘夷論者から国際的責任を全うしなければならない外交官への脱皮プロセスだったのである」と述べています。
当時の日本には、外交課題として「キリシタン問題」がありました。徳川幕府の時代に禁じていてキリスト教信者の解放問題ですが、これが非常に厄介な問題を孕んでいたのです。この「キリシタン問題」の担当者として明治新政府は若き大隈重信を立て、各国領事の代表者であった英国公使ハリー・パークスとの交渉に当たらせました。
その際、大隈はこれまで英学で学んだ2つの知識を駆使しながら、パークスの要求を一蹴しました。1つは、は国際法における自国法の優越でした。大隈は、「わが国の法律を以って、わが国の人民を罰するのに、外国の干渉を受ける理由は少しもない。故にわたしたちはこの事に関し、別にあなた方と談判する必要がない」と言いました。パークスはこの大隈の発言に対して「怒り、手をふり、テーブルをたたいて」反論したといいます。
もう1つは、歴史的知識でした。大隈はヨーロッパにおけるキリスト教が招いた数々の戦争を鋭く指摘したのです。回顧録『昔日譚』で、大隈は次のように述べています。
「耶蘇教は真理を含んでいるに相違いない。ただその歴史は弊害で満たされたことを忘れてはならない。或る歴史家は云う。欧州の歴史は戦争の歴史であると。また或る宗教家は云う。ヨーロッパの歴史は即ち耶蘇教の歴史であること。この2者の言葉に誤りがないなら、耶蘇教の歴史は即ち戦争の歴史である。耶蘇は地上に平和を送ったのではなく剣を送ったものである。耶蘇が生まれてから、ローマ法王の時代になり、世間に風波を捲き起こし、ヨーロッパの人々を絶えず非常な苦しみに落としたのは、何者のなせるわざであったか。むかしから各国の帝王は、時に残虐な行いをした。しかしこうした帝王の上に立って、一層残虐な行いを強行したものは誰であるのか」
(『昔日譚』)217~8頁)
米倉誠一郎氏は、このときの大隈について、「ヨーロッパを戦争の歴史と説き、そのヨーロッパは同時にキリスト教の歴史と説く。したがって、キリスト教の本質を戦争・殺戮の歴史と非難する。ある種の鮮やかな3段論法である」と高く評価しています。
そして、大隈が大いに日本を救ったといえるのが「貨幣問題」でした。著者は、次のように述べています。
「大隈は、日本の独立にとって貨幣制度の確立がきわめて重要と認識するようになっていった。彼の認識の大転換は、外国商人による悪貨換金の結果海外に流出する金銀を目の当たりにして、『貨幣ハ日本ノ物ニシテ日本ニテ自儘シガタキ物』と心底痛感したことにあった。これは、貨幣の問題を自国の問題として考えてきた鎖国時代の観念に対しては、革命的なパラダイム・チェンジであった」
大隈財政は度重なる挫折と財政難に直面しました。その中で、ついに明治初期最大の難問に手をつけざるを得なくなりました。
それは、明治維新の原動力であった下級士族を含む武士階級を解体するという根本問題でした。明治財政圧迫の根本には、徳川幕府から継続して武士に支払われてきた俸禄の存在があったのです。明治政府の財政難について考え抜いた大隈たちは、この「武士」という身分を買い取ることを思いつきました。
武士たちの給与(秩禄)を廃止する代わりに、一括した利子付き公債を発行して渡し、武士たちに公債につく7分程度の利子で生活することを強いたのです。まさに、驚くべきアイデアと言えるでしょう。著者は、次のように述べています。
「大隈たちは旧体制支配層を無血のまま新体制に移行させただけでなく、彼らを産業資本の担い手とすることに成功した。フランス革命などのブルジョワ革命が、旧体制の人々を血祭りに上げていったのとは対照的に、明治維新における秩禄処分は人類史上きわめて独創的な対策対応であった。大隈が財政規律を無視してもこの決断に至った点は大きく評価されなければならない。そして特筆すべきは、こうして先祖伝来の身分を失った多くの士族たちが、その後自ら事業を起こしたり、新設された株式会社で有能な管理者となり、明治の近代化を担っていったことである。武士たちは、『士族の商法』と揶揄されながらも、誇りをもって新しい時代に立ち向かい、自らを明治資本主義の担い手へと変身させていった。これもわれわれがいうところの『創発的破壊』であった。突然身分を失った旧士族たちの鍛えられた克己心やすぐれた統率力がなければ、帝国主義環境にあった国際社会で独立を果たし、アジアで唯一の近代国家になることはなかったであろう」
わたしは、これまで慶應義塾の創始者である福澤諭吉に比べて、早稲田の創始者である大隈重信は影が薄いと思っていました。また、福澤は「文明開化」のシンボル的存在ですが、大隈のほうは首相時代の「対華21ヶ条要求」などで、どうもイメージが良くないように感じていたのです。それが、本書を読んで、大隈重信が偉大な社会イノベーターであったことを知り、溜飲を下げることができました。
第七章の最後で、著者は次のように述べています。
「世界貿易の時代にあって、国を建てる基本は対外的責任である。
明治維新を打ち建てた幕末の志士たちの多くは、その理念において尊王攘夷を基本としていた。しかし、維新後の外交政策に関しては共通の構想を抱いてはいなかった。さらには、世界経済の中では日本の貨幣はすでに日本のものではないことにも気づいていなかった。大隈重信はときに理不尽ともいえる列強諸国と対峙することで、志士から日本官僚・日本政治家へと脱皮し、国の基本の確立に奔走していったのである。
明治初期に日本が大隈を得たことは幸運であった。
外交の基本を失い、財政規律を世界の中で考えることのできなくなった現代日本。悲劇を通り越して喜劇になりつつある現代日本。
国の基本は外交であり財政であることを、肥前の若侍から日本を背負う維新官僚に飛躍した大隈重信に学ぶときが来ているのではないだろうか。大震災後の日本の姿も対外的責任のうえで考えるべきことを大隈の軌跡が物語っている」
最終章「日本のパラダイム・チェンジ」では、日本の少子高齢化問題が取り上げられています。深刻化する少子高齢化ですが、これは日本に限ったことではありません。
世界の2005~2010年の合計特殊出生率(生涯に1女性が産む子どもの数)を見てみると、OECD加盟国では、韓国(1.22)に次いで日本とポーランド(ともに1.27)と低く、ドイツ(1.32)、イタリア(1.38)、カナダ(1.57)、オランダ(1.74)、イギリス(1.84)、フランス(1.89)などが、いずれも2人を切って並んでいます。
2人を切るということは、このいずれの国も今後人口減少に見舞われるということです。2人を超えているのはニュージーランド(2.02)、アメリカ(2.09)、メキシコ(2.21)ぐらいである。さらに、隣国の中国も1.77人と人口減少国ですが、1979年以来の1人っ子政策が厳しく適用された都市部ではまさに1.0が堅持され、少子高齢化の波が日本以上の速度で忍び寄っています。以上のようなデータを踏まえて、著者は「いずれ先進国や人口大国中国が抱える深刻な少子高齢化問題に、日本が先駆けて突入していることが理解されるのである」と述べています。
高齢化先進国・日本の中でも最も高齢化が進行している政令指定都市が北九州市です。 ブログ「隣人の時代へ」にも書きましたが、わたしは北九州市を「高齢者福祉特区」に指定して、世界中の高齢者都市のモデルにするべきであると考えています。また著者は、次のようにも述べています。
「今回の東北地方は日本でも高齢化がもっとも進行している地域であり、そこで高齢者対応型のスマートシティ(エコタウン)を高度な医療福祉制度と相まって建設することができれば、日本ばかりか世界のモデル事業になりうることは間違いない。さらに、スマートシティが、前述したように職住学遊近接を実現し、コンパクトで住みやすい街となれば、高齢者ばかりでなく多くの若者を引きつけるようになり出生率も上昇していくこととなるだろう」
わたしたちは、東日本大震災後の日本をデザインしていく必要があります。そのためにも、長年「イノベーション」というテーマに取り組んできた著者の考え方から多くのヒントが得られるのではないかと思います。