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2013.07.10
『その日のまえに』重松清著(文春文庫)を再読しました。
もう5年ぐらい前に読んだ本ですが、拙著『死が怖くなくなる読書』(現代書林)の中で紹介するために久々に読み返したのです。5年前と同様に、泣きました。
あなたは、あなたの愛する人が「末期がんです」と告知されたらどうしますか。 自分自身が告知されたら、どうですか。
自分の配偶者や子どもたちのことを考えたらどういう気持ちになるでしょうか。
本書は、そんなテーマに正面から挑んでいます。
著者の重松清氏は昭和38年生まれで、わたしと同い年です。 直接の面識はありませんが、同級生なのです。しかも、学部が違いますが、ともに同じ大学の出身でもあります。わたしの同級生には、他にも、京極夏彦氏とか酒見賢一氏とか宇月原晴明氏とか朱川湊人氏とかリリー・フランキー氏などがいます。物書きの端くれとして仰ぎ見るばかりの輝けるメンバーの中で、わたしが一番愛読しているのが重松清氏です。 重松氏の小説は『流星ワゴン』にしろ、『きみの友だち』や『トワイライト』や『送り火』にしろ、とにかく優しさに満ちた物語です。『青い鳥』や『疾走』や『十字架』といった、一見とても暗くて重いテーマを扱ったような作品であっても、最後には必ず救いがあります。本書をはじめ、著者の小説には「死」をテーマにしたものが多いですが、それも必ず「希望」や「再生」と結びつけられているのです。
本書のカバー裏には、次のような内容紹介があります。
「僕たちは『その日』に向かって生きてきた―。
昨日までの、そして、明日からも続くはずの毎日を不意に断ち切る家族の死。消えゆく命を前にして、いったい何ができるのだろうか・・・・・。死にゆく妻を静かに見送る父と子らを中心に、それぞれのなかにある生と死、そして日常のなかにある幸せの意味を見つめる連作短編集」
本書は「別冊文藝春秋」の2004年3月号から05年7月号の間に掲載された7つの短編が収められています。それぞれのタイトルは「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「潮騒」「ヒア・カムズ・サン」「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」ですが、発表時とは順序を入れ替え、さらには改稿および改題した作品集です。後半の3作「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」は連作となっており、ストーリーが一つにつながっています。前半の4作も、微妙に後半の連作と関係しています。このあたりの構成力と筆力は、著者の真骨頂と言えます。
本書では、クラスメイト、自分自身、母など、さまざまな人が亡くなります。
メインとなる3作では、最愛の妻が亡くなります。主人公は44歳の「僕」です。「僕」には「和美」という妻がいます。二人は22歳で結婚し、今では中学3年生の健哉と小学6年生の大輔という息子がいます。
その和美が末期がんの告知を受けるのです。このくだりは、胸を打ちます。
「夫婦で一緒に告知を受けた。和美がそれを望んだ。永原先生が余命を告げたとき、和美は膝の上でハンカチをぎゅっと握りしめた。その手を、握ってやればよかった。僕が握るべきだった。和美はきっと恥ずかしがらなかっただろうと思うし、先生も黙って見逃してくれたはずなのに。
不思議なものだ。病院に早く連れて行かなかったことよりも、そのときの後悔のほうが、いまはずっと強い」
「その日」では、和美が息を引き取る直前の場面が次のように描かれています。
「ひさしぶりに家族四人が揃った。
和美の手を、健哉と大輔は二人で握った。僕は二人の息子の肩を抱いて――だから、子どもたちを通して、和美と触れ合った。
健哉は泣いていた。
大輔も泣いていた。
だが、二人とも声はあげず、漏れそうになる嗚咽をこらえて、じっとママを見つめていた。
頼む―僕は祈る。子どもたちの目からあふれる涙に、頼むぞ、二人がママの顔を最後まで見つめることができるよう、邪魔をしないでやってくれ、と願う」
このあたりは、UHNELLYS(うーねりーず)の「体温」という歌を連想してしまいます。二人の息子の手を握ったまま何も語ることができない妻を見ながら、僕はやり場のない怒りを覚えます。
「悔しくないか?
悲しくないか?
なぜ、おまえだったんだ?
健哉が言っていたとおりだ。
世の中にこんなにたくさんのひとがいて、こんなにたくさん家族があるのに、どうして、和美だったんだ? どうして、わが家だったんだ?
悔しい。
悲しい。
僕は子どもたちの肩に両手をかけたまま強くまばたいて、まぶたに溜まった涙を外に絞り出した。涙よ、邪魔をするな。僕は自分の妻を、もっと、ずっと、見つめていたいのだ」
そして、ついに和美は帰らぬ人となります。
「その日」の最後の一文は、「僕たちのその日は、終わった」でした。
僕は、愛する人を亡くした人になったのでした。 健哉と大輔も、愛する人を亡くした人になりました。
フランスには「別れは小さな死」ということわざがあります。愛する人を亡くすとは、死別ということです。愛する人の死は、その本人が死ぬだけでなく、あとに残された者にとっても、小さな死のような体験をもたらすと言われています。
もちろん、わたしたちの人生とは、何かを失うことの連続です。わたしたちは、これまでにも多くの大切なものを失ってきました。しかし、長い人生においても、一番苦しい試練とされるのが、あなた自身の死に直面することであり、あなたの愛する人を亡くすことなのです。
「愛する人」と一言でいっても、家族や恋人や親友など、いろいろあります。
わたしは、日々の葬儀で多くの方々に接するうち、親御さんを亡くした人、御主人や奥さん、つまり配偶者を亡くした人、お子さんを亡くした人、そして恋人や友人や知人を亡くした人が、それぞれ違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づきました。
それらの人々は、いったい何を失ったのでしょうか。
それは、
親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
ということだと思います。
本書は、突然訪れる「愛する人の死」に対して困惑し、嘆き、悲しみ、怒り、しかしどうしようもなくて静かに運命を受け入れて、死に行く人を見送る人々の姿をリアルに描いています。本書のテーマを一言でいうと、「死とどう向き合うか」でしょうが、けっして悲劇に終始した物語ではありません。
3部作のラストを飾る「その日のあとで」では、愛する人を亡くした者たちの「その後」を優しいまなざしで描いています。
まず、和美の死後も、彼女宛の郵便物がポストに届くのです。 それは、彼女の死を知らないダイレクトメールの類です。
でも、僕は「和美」の名前が記されたメールがポストに投函されるたび、妻が何度も家に戻ったように思えるのでした。そして、僕はこう思うのです。
「お帰り、と言ってやればよかった。今度からそうしよう。それを繰り返して、少しづつその間隔が広がっていって、やがて名簿やリストのすべてから和美の名前が消され、和美宛てのものがなにも届かなくなっても・・・・・このダイレクトメールが最後の一通ですよ、とは誰も教えてくれない。僕が受け取るのは最後の手紙ではない。最後になるかもしれない―最後の一つ前の手紙を、僕はこれからもずっと受け取り続けるのだろう。長い間が空いて、忘れかけた頃に和美宛てのダイレクトメールが届き、なんだかまだどこかの名簿に残っているのかよ、と苦笑して、まあいいや、お帰り、ひさしぶりだな、と言う。そういうのが、いつまでもつづいてくれるといい」
そして、愛妻の名前が記された最後の一通について、僕はこう思うのでした。
「最後の一つ前のはずだった手紙が、じつは正真正銘の最後だったんだと知る瞬間は、僕自身がこの世から去ってしまう日まで訪れない。それでいい。和美と二人で見つめていた『その日』は、僕たちが思っていたほど、きれいに、すっぱりと和美を連れ去ってしまうものではなかった。割り算の余りのような『その日』の半端なかけらを、僕はずっともて歩いて、捨てられないまま、いつか、死ぬ。
それでいいじゃないか、ほんとうに」
この一文は、のこされた人の心境を見事に表現していて、読者の胸を打ちます。
最後に、高校受験を控えた大事な時期に母を失った健哉の「その日のあとで」のエピソードが泣かせます。電車の中で、健哉はそれまで第一志望にしていた高校を受けるのをやめたいと言い出します。父である「僕」を加えた三者面談では、担任の先生も第一志望校の合格はまず間違いないだろうと言ってくれたのにもかかわらずです。「僕」が理由を問うと、健哉は「あそこ、食堂がないんだよね」と言いました。「みんな弁当なんだけど・・・・・ちょっとヤバイかな、って」
中学では給食がありましたが、来年の四月からは毎日弁当を持って行かなくてはないけないわけで、健哉はそれを心配しているのでした。「その日のあとで」には、電車の中での父子のやりとりが以下のように書かれています。
「『俺、やっぱ、食堂優先で学校決めようかな、って思って・・・・・』
僕は苦笑して、健哉の肩の後ろを軽く叩いてやった。
『そんなこと心配するな』
パパが、と言いそうになったが、よそのひとがいる前だもんな、と特別大サービスで呼び方を変えることにした。
『俺がつくってやる、弁当ぐらい』
『だったらコンビニでいいよ』と健哉も苦笑いを返す。僕の気づかいを察してくれたかどうかは、わからなかった。
『いいから、弁当のことは俺に任せろ。おもえも、そんなこと気にする暇があったら、ちゃんと勉強しろ、勉強。英語ももうちょっとがんばれって、先生にも言われただろ?』
『でもさ、仕事の忙しいときとか、大変じゃん・・・・・』 やれやれ、ともう一度――さっきより少し強く、肩の後ろを叩いた。
『そういうときは、おまえが自分でつくればいいんだよ。なんでもかんでもひとにやってもらうんじゃなくてさ』
和美なら、きっとそう言う。なに甘えてんのよ、まったくもう、と頬をふくらませて。 健哉も素直に『あ、そっか』と笑って、吊革を握り直しながら、肩をくすぐったそうにすぼめた。
そんな健哉の横から、大輔が顔を覗かせて言った。
『いまのパパの言い方、ママに似てたよ』
懐かしそうだった。嬉しそうでもあった。寂しさや悲しさは、たぶん、それを外に出さないコツを大輔も少しづつ覚えてきたのだろう」
この文章を読んだとき、わたしの涙腺は大いに緩みました。 でも、とても救われた気分になることができました。
人は死に続けます。愛する人を亡くす人も増え続けます。
しかし、のこされた人は、その後の人生を生きていかなければなりません。
おだやかな悲しみを抱きつつも、亡くなられた人のぶんまで生きていかなければなりません。それは、何よりも、今は亡き愛する人がもっとも願っていることなのです。本書は、そのことを優しい文体で読者に教えてくれます。
死の「おそれ」と「かなしみ」を正面から描き、それらを乗り越える生き方を示してくれる稀有な小説であると思います。いま、愛する人が死にゆく運命にある方がいれば、ぜひ読んでほしい名作です。
「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」の三部作は、大林信彦監督によって映画化され、僕を南原清隆、和美を永作博美が演じました。
なお、本書は拙著『死が怖くなくなる読書』でも取り上げています