No.0803 歴史・文明・文化 『ウルトラマンがいた時代』 小谷野敦著(ベスト新書)

2013.10.02

『ウルトラマンがいた時代』小谷野敦著(ベスト新書)を読みました。
著者は1962年、茨城県水海道市(現・常総市)生まれの比較文学者、評論家、小説家です。また、愛煙家として知られており、「禁煙ファシズムと戦う会」代表を務めています。さらに愛猫家でもあり、愛称は「猫猫先生」だとか。著書はすでに130冊を超えていますが、わたしはこれまで『もてない男』『バカのための読書術』(ともに、ちくま新書)、『「こころ」は本当に名作か』(新潮新書)、『「昔はワルだった」と自慢するバカ』(ベスト新書)などを読みました。今年刊行された『日本人のための世界史入門』(新潮新書)や『川端康成伝~双面の人』  (中央公論社)なども買ってはいますが、まだ読んでいません。

恋愛から世界史まで・・・・・じつに幅広い守備範囲を誇る著者ですが、1963年生れのわたしより1歳上で、完全に同年代です。そんな著者が特撮TVドラマ「帰ってきたウルトラマン」を中心に子ども時代の思い出を語った本というので、興味深く本書を読みました。著者とわたしにとっての「子ども時代」とは、高度成長経済から停滞期へと入りつつあった時代ですね。帯には、ちゃぶ台とカラーテレビが置かれた茶の間の写真に、「懐かしくって、泣けてくる。」というキャッチコピーに続き、以下のように書かれています。

「自分が何になるのか、なれるのか、まだわからなかった1971年。特撮・怪獣ものから、スポ根・難病もの、アニメ、流行歌、インスタント食品の思い出まで。」

カバーの前そでには、以下のような内容紹介があります。

「時代の象徴的作品としての『帰ってきたウルトラマン』
高度経済成長が一息つき、70年安保闘争は挫折、公害問題が浮上し、オイルショックもあった70年代初頭。三島由紀夫や川端康成が自殺し、日本が自信を失っていたあの時代、特撮・怪獣ものの世界にも大きな転機が訪れていた。
全ウルトラ・シリーズの中で、『ウルトラセブン』の完成度の高さは論を俟たない。しかし、『帰ってきたウルトラマ ン』こそ、あの『暗い』時代の雰囲気を体現していた象徴的作品なのだ。その象徴性を決して『論』じることなく、あの時代に沈潜しながら、自分史の一部として語ってみる方法を本書は試みた」

本書の目次構成は、以下のようになっています。

序章   ウルトラマンがいた時代
第1章  怪獣前史
第2章  1970年の暗さ
第3章  怪獣使いと少年
第4章  1972年
終章   ウルトラマン、再び
「特撮もの年表」
「参考文献」
「あとがき」

本書の冒頭から「何を隠そう、私は特撮ファンである」と書かれています。その特撮の歴史について、著者は次のように述べています。

「私が幼稚園から小学校の頃、巨大ヒーローものや、ゴジラ、ガメラなどの怪獣映画が流行した。その頃、二度にわたって流行したため、1960年代のそれを『第一次特撮ブーム』、70年代のそれを『第二次特撮ブーム』と呼び、ウルトラシリーズにしても、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を第一次ウルトラシリーズ、『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『ウルトラマンタロウ』『ウルトラマンレオ』を第二次ウルトラシリーズと呼んでいたが、1996年から『ウルトラマンティガ』が始まり、わずかな中断をはさんで、2007年に『ウルトラマンメビウス』が終るまで続いたから、こちらは『平成ウルトラシリーズ』とでも言うのだろうか」

「第一次ウルトラシリーズ」の中で、両雄というべき「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」の間には「キャプテンウルトラ」という作品がありました。これら3作品は夕方などによく再放送され、わたしも観た記憶があります。著者も再放送について、「近ごろ、インターネット上などに、そういった当時の子供番組、いわゆる『サブカル』に関する詳細な情報が記されるようになったが(要するにウィキぺディア)、盲点になっているのが再放送である。場合によっては、再放送によって知ったというケースは、少なくないから、個人史を調べる際に、注意しなければならないのである」と述べています。これには納得しました。たとえば、「ウルトラQ」「マグマ大使」「ウルトラマン」などの放映が始まった1966年にわたしは3歳、67年の「ジャイアントロボ」で4歳、68年の「ウルトラセブン」でもやっと5歳だったわけです。それこそ神童でもない限り、そんな幼い年齢でそれらの作品を楽しめたとは思えません。おそらくは、そのほとんどを再放送によって体験したのだと思います。

多くの作品を生んだウルトラシリーズの中で、特に高い評価を得ているのは「ウルトラセブン」です。「ウルトラセブン」について、著者は次のように述べています。

「確かに『セブン』の完成度は郡を抜いている。物語の舞台が1970年代に設定されているから、それを考えるとおかしいが、『ウルトラマン』にあった一種のコミカルさ、泥臭さをすっかり抜いて、近代的でSFらしく、基本的に宇宙人の侵略であるため、地中からいきなり怪獣が現れることもなく、ウルトラホーク出撃の場面で、『フォースゲーツ、オープン・・・・・』と英語で入るアナウンスから、『サンダーバード』に学んだ複数の戦闘機の出撃、冬木透のシャープな音楽、キレのいい脚本。確かに後半になると、ネタ切れもある。だが前半部は、どう見たって歴代ウルトラ中でもピカ一である。話題にしたくなる回は数多く、ちゃぶ台をはさんでモロボシ・ダンとメトロン星人が話し合ったり、とにかく宇宙人の代表がみな『インテリ』なのだ」

しかしながら、著者は高評価の「セブン」について、次のようにも述べます。

「『ウルトラセブン』は、『論じ』やすい。『超兵器R1号』とか『ノンマルトの使者』とか、核兵器競争や、侵略問題や、セブンが戦う相手は常に『悪』なのかという、その後『機動戦士ガンダム』あたりで浮上して、80年代に流行した、サブカルチャーをネタに政治も語れる、というモードにもよく合致している。同じころゴジラも、あれはジョンストン島という米領で、水爆実験のために小さな爬虫類が巨大化したことになっており、原爆の比喩だとか、大東亜=太平洋戦争で犠牲になった沖縄の呪いだとか、いろいろ『論』じられた。私は、そういう『問題の回』が面白いと思ってきたが、あまりにそういう風に『論』じられるのと、現実に脚本家に訊いてみると様子が違うのとに、違和感を持った」

さて、1970年を境にして、男の子向けのアニメ・特撮の世界には変化が起きたと、著者は言います。それを象徴する作品が71年の「帰ってきたウルトラマン」でした。「ウルトラセブン」には、科学技術の未来を信じる明るさがありましたが、「「帰ってきたウルトラマン」はその明るさを失っていました。著者は、「従来、ヒーローの家庭環境などは描かれなかったものだが、ここでウルトラマンに変身する郷秀樹は孤児とされ、それを演じる団次郎(現・団時朗)自身が日米混血で、母親に育てられた俳優だった」と書いています。

著者は、「帰ってきたウルトラマン」が放映された1971年が暗い時代だったように思うそうです。ちょうど小学5年生だった著者の担任教師は日教組で、教室で小学生相手に天皇や日の丸・君が代批判を繰り返していたといいます。翌72年2月、「帰ってきたウルトラマン」が放送されていた時に、あさま山荘事件が起きました。カップヌードルやボンカレーが発売された頃で、ほどなくマクドナルドが日本上陸を果たし、著者もハンバーガーというものを初めて食べました。その当時の時代性について、著者は次のように述べています。

「その頃、少年雑誌にはよく、未来の想像図というのが載った。最近復刻されたりしているが、カラーで、空中をチューブ状の道路が走り、そこを自動車が走るから交通事故はない。宇宙旅行が普通になる、といったものである。だが、それらは40年をへた今、全然実現されていないから、よく、裏切られた、といった笑い話をするものだが、既に71年には、公害が問題化して、無限に明るい未来像は翳りを見せていたし、2年後には中東戦争でオイルショックが起こる」

高度経済成長やアポロ計画の以前、1ドルが100円前後になってバブル経済が到来する前の谷間の時代として、著者は「帰ってきたウルトラマン」に漂う暗さがその時代を写していると思うそうです。

71年は、著者にとって他にも暗い記憶がありました。まだ幼い著者を家に置いて、母親が働きに出たのです。職場はオモチャ工場で、時々そこから、オモチャの残骸のようなものを家に持ち帰ってくれたそうですが、著者はあまり魅力を感じなかったそうです。では、著者はオモチャなどに興味を持たない子どもだったのでしょうか。そうではありません。著者は、次のように述べています。

「私はその頃、タカラから発売された、『変身サイボーグ1号』という玩具に夢中になったことがあった。これは男の子向け着せ替え人形で、それまで『GIジョー』のようなものがあったのをベースにして、透明のボディーに、ウルトラマンや仮面ライダーなど、人気の特撮ヒーローの服を着せられるもので、人気が沸騰したので、次々と付属品などが発売され、私は小遣いを計算して、何月になったらこれが買える、などと紙に計算をして、母に見つかって叱言のようなものを喰らったこともある。ところが、調べてみるとこれが発売されたのは1972年8月で、私は73年4月から始まった『新八犬伝』に次第にのめり込んで、特撮ものから離れるのだから、サイボーグ1号に熱中していたのは、1年にも満たないはずだったのである」

この文章には、あまりの懐かしさに胸が熱くなりました。サイボーグ1号には、わたしも大いにハマリました。キングワルダー1世というライバル人形も発売されており、当時のわたしは両者を戦わせて遊んだものでした。成長するにつれて、サイボーグ1号もキングワルダー1世もどこかに消えてしまいました。3年近く前、わたしは猛烈に彼らに再会したくなりました。それで、ネットオークションを利用して両方とも買い直しました。今ではわが書斎に鎮座しています。その造形は今見てもウットリするほど素敵ですね。

また、著者がのめり込んだという「新八犬伝」には、わたしも夢中になりました。「新八犬伝」は、1973年4月2日から1975年3月38日までNHK総合テレビで放送された人形劇です。辻村ジュザブローの人形が魅力的でした。わたしはこの番組が大好きで、全464話のほとんどを観た記憶があります。たしか小学4年生から6年生にかけてのことです。塾などにも行かず、今から思えば良き時代でした。原作は滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』です。坂本九の名調子による口上、「因果は巡る糸車、巡り巡って風車」や、番組終了時の「本日、これまで!」が流行したことを記憶しています。口上人気にあやかって、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」という挿入歌も作られました。

「新八犬伝」由来の数珠とブレスレット

わたしは、テレビを観るたびに、八犬士が持っている八つの玉が欲しくて仕方がありませんでした。誕生日やクリスマスのプレゼントに「八犬伝の玉が欲しい!」と親にねだりましたが、もちろん、そんなもの、どこにも売っていません。大人になったら、なんとか、その玉を探して手に入れたいと心の底から願っていました。母が知り合いの洋裁店から透明な球形のボタンを買ってきてくれて、錐を使ってそれに八つの文字を彫り込んだこともあります。その後、念願の「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」の文字が浮き出る八つの玉を復元・作成し、それでブレスレットと数珠を作りました。ブレスレットは、親しい方々にもお贈りし、大変喜んでいただきました。同時に、解説書としてブックレット『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』を本名の佐久間庸和の名で書きました。

このように、サイボーグ1号にしろ、「新八犬伝」にしろ、話題となるコンテンツがことごとく、わたしのハートをヒットしました。やはり、著者とわたしは同年代なのだなあと痛感した次第です。本書についてのアマゾン・レビューを見ると、「昭和特撮ヒーロー好きの人が自分のブログで個人の価値観を気ままに語っている」内容とほとんど大差ないとか、「目新しさなどは殆どなく、特撮作品に関しての作者個人の思い出話を延々と読まされる」として、762円という代金を払ってまで買うほどの本ではないという意見があります。また、その意見に賛同している人も多いです。しかし、わたしにとっては極私的な思い出話だからこそ面白かったです。

ただし残念なことに、本書には誤記・間違い・記述ミスの類が多数見られます。アマゾン・レビューにはそれらの指摘が詳しく紹介されていますが、これは著者も反省すべきですし、版元の編集者の罪も大きいと言えるでしょう。ベスト新書は内容の確認をしないのでしょうか。レビューの中には、「根拠の明確でない、適当な憶測で書くのは危険」とありましたが、これはまったくその通りだと思いました。

それでも、「怪獣や特撮ヒーローを深読みする本はもういい」という著者の思いには共感しました。「あとがき」で、著者は次のように述べています。

「最近どういうわけか、『仮面ライダー』を延々とやっているが、私はライダーが好きでないので観ていない。だが、ライダーを論じる『若手論客』というのがブームであるらしい。それで、ぐわあっとなって、俺はアニメや『仮面ライダー』より、ゴジラやウルトラが好きなんだ、と言いたかったのである。それに、その『仮面ライダー』を論じる連中も、何だか大きな『論』を立てようとする。なんで素直に、センス・オブ・ワンダーに身を委ねられないのであるのかと思うのである」

ほぼ同感ですね。でも、アニメよりはゴジラやウルトラが好きですが、わたしは「仮面ライダー」もけっこう好きです。ただし、最近のイケメン俳優が演じるライダーではなくて、藤岡弘演じる本郷猛が、くも男、こうもり男、さそり男、かまきり男といったホラー・テイスト満点の怪人たちと戦う旧1号ライダー編が最も好きですね。佐々木演じる一文字隼人の2号ライダーも嫌いではありません。ウルトラマンも仮面ライダーも、あの頃の男の子にとっての永遠のヒーローです!

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