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No.0434 コミック 『テルマエ・ロマエ(1~4巻)』 ヤマザキマリ著(エンターブレイン)
2011.09.03
『テルマエ・ロマエ』1~4、ヤマザキマリ著(エンターブレイン)を読みました。
以前からその評判だけは聞いていましたが、実際に読んでみると、いや面白かった! あまりの面白さにモンスターヒットとなり、2010年漫画大賞と手塚治虫賞をW受賞しました。さらには「のだめカンタービレ」の武内英樹監督による実写映画化も決定、なんと阿部寛と上戸彩が主演するそうです。どんな作品になるのか、楽しみですね。
とにかく風呂!!
すべての”風呂”は、”ローマ”に通ず。この作品のテーマは「風呂」です。主人公は古代ローマ人で、浴場を専門に設計する建築士ルシウス。風呂に入った彼は、現代日本の風呂にタイムスリップする能力を身に着けます。
銭湯の壁面に描かれた富士山の絵、タライにシャワーにシャンプーハット、フルーツ牛乳に温泉卵、果ては露天風呂にウォータースライダーまで・・・・・日本で得たさまざまなアイデアを古代ローマで生かし、皇帝にも気に入られて、彼は大成功を収めるのでした。
「世界で最も風呂を愛しているのは、日本人とローマ人だ!!」ということで、風呂を媒介にして日本と古代ローマを行き来する男・ルシウスの活躍が熱く描かれています。タイムスリップという設定は珍しくありませんが、風呂限定という奇抜さが秀逸ですね。著者のヤマザキマリ氏は画家で、ご主人はイタリア人歴史家だそうです。
ところで、わたしは大の風呂好きです。1日が終わって、ゆっくりと湯舟に身をひたすことは無上の楽しみです。時には、読みかけの本を浴室に持ち込んで、風呂に入りながらページを繰ります。本当にリラックスします。風呂とトイレは家庭内リゾートだとさえ思っています。
ルイス・ベネディクトは『菊と刀』の中で、日本人が異常に入浴を好むということを指摘していますが、わたしに言わせれば、そんなことは当たり前。むしろ、どうして西洋人は入浴についてあれほど無関心なのか理解に苦しんでしまいます。
日本人には、シャワーだけの生活なんて考えられません。汗やよごれを洗いおとすというだけならそれでもよいのでしょうが、日本人にとって、風呂に入るということは単に清潔を保つことだけが目的ではありません。心身をリラックスさせるという目的の方が重要な意味をもっていると思います。とりわけ温泉ということになると、ぼくたち日本人の思い入れは並大抵のものではありません。本当に日本人は温泉が好きです。
日本において、風呂は堂々たる文化です。日本の風呂の歴史は、538年の仏教伝来とともにスタートしたといわれています。それまでにも、各地に温泉浴や蒸気浴の習慣はありましたが、湯を使っての沐浴は仏教伝来によって建立された寺院の浴堂が最初とされています。
中でも、日本最古にして最大の浴場だったのが東大寺の「大湯屋」です。これはあくまで、体を清める、宗教的精神を養うことが目的で設置されたものです。 純粋に「風呂屋」としての営業目的の大衆浴場がつくられたのは江戸時代です。1591年、日本に銭湯がはじめて登場しました。
そして、古代ローマ人も大の風呂好きでした。わたしは、以前からローマ人の浴場文化に大変興味を持っていました。かつてリゾートのコンセプト・プランニングの仕事をやっていた頃も、カラカラ浴場を何度も訪れ、さまざまな角度から研究しました。その成果は、『ゆとり発見』(東急エージェンシー)の「カラカラ浴場の話」に書きました。
大浴場というより、古代の総合レジャーセンターであったカラカラ浴場について知ることは、レジャーやリゾート・ビジネスのプランニングをする上で非常に参考になりましたし、栄華をきわめたローマ人の「ゆとり」にふれることにもなると思っていたのです。
ローマ帝国華やかなりし頃、ローマ市民は、余暇時間をふんだんに持っていました。1年の3分の1は祝日であり、3世紀には半分が休日となりました。仕事のある日でも、ほとんど午前中だけで終わってしまったそうです。
有閑階級であるローマ市民の大量の余暇に対しては「パンとサーカス」のサーカスが与えられました。これはコロセウムで行われるような戦争イミテーションや格闘技が多かったのですが、演劇観賞もかなり盛んだったようです。
しかし、最もローマ的な時間の使い方は、浴場でのリフレッシュメントと宴会でした。仕事を終えたローマ人は誰もが、簡単な昼寝をし、その後、浴場へ出かけたのです。古代ヨーロッパでは風呂が重要視され、特に公衆浴場はギリシアではギムナシオンと呼ばれる体育館付近にありましたが、これは主に冷浴でした。
ローマの共和政時代にはすでに金持ちの邸宅に浴室がつくられました。公衆浴場(バルネアエ)も存在していましたが、本格的に公衆浴場が発展していくのは帝政時代に入ってからです。アウグストゥスの腹心アグリッパが先例となり、その後は皇帝たちの手によって大浴場(テルマエ)が建てられていきます。
ネロの頃からはアーチ建築法を利用して、大建築がつくられました。ネロが紀元65年に建てたのをはじめ、ティトゥス、トラヤヌス、コンモドゥスが建てたのが主なものであり、そしてセプティミウス・セウェルスの時に着手され、カラカラを経てセウェルス・アレクサンデルの時に完成したのが「アントニヌスの大浴場」でした。
そうです、この「アントニヌスの大浴場」が有名なカラカラ浴場なのです。その後は、ディオクレティアヌスやコンスタンティヌスがつくっています。
しかし、現在ではカラカラ浴場が最もよく保存されており、その様子もわかっているので、公衆浴場の代名詞となっているのです。
カラカラ浴場の本体となるのは35メートルの大ドームのある円形の建物です。四角形の柱廊に囲まれた敷地のほぼ中央に位置しています。左右2つの入口から入ると、それぞれに脱衣室(アポディテリア)があり、中央に1列に冷浴室(フリギダリウム)、温浴室(テピダリウム)、熱浴室(カルダリウム)が並びます。
温浴室は、位置的にも水温的にも冷浴室と熱浴室の中間であるため、セッラ・メディアと呼ばれることがあります。円形の熱浴室が風呂といった感じで、冷浴室というのは実際に飛び込んで泳いだそうです。プールといった方がよさそうですね。さらにその左右に発汗室(スダトリウム)があります。これは熱気で汗を出す部屋であり、今でいうサウナ・ルームです。
大浴場は大体、午後から入場できたようで、日没とともに閉鎖されたといいます。トランペット、あるいはベルの合図で入場が許可されると、人々はまず競技場や体育室で汗を流します。ランニング、レスリング、球技など、様々なスポーツで汗を流したようです。球技の中にはテニスの元祖のようなものもあったといいます。スポーツの後は、脱衣室に衣類を預けて発汗室で汗を流します。それから温浴で体をさましたり、冷浴プールで体をひきしめるというようなことを何回か繰り返すのが普通でした。
入浴がすんだら、談話室で友人とおしゃべりしたり、中庭を散歩したり、美しい彫像の数々を見て歩いたり、図書室で本を読むこともできました。大広間や集会場には哲学者がやって来て議論したり、弁論家が演説の練習をすることもありました。
柱廊には食べ物や飲み物の売り子たちもいて、中にはいかがわしい周旋屋もいたといいます。その機能は入浴だけでなく、スポーツ、教養、娯楽、飲食、物販などに及び、まさに市民の総合レジャーセンターと呼ぶにふさわしい存在でした。
仕事を終えた市民はもちろん、他に何もすることのないただブラブラしているだけの連中も、この一大レジャー・コンプレックスで午後から日没まで楽しんでいたのです。それにしても、何という贅沢な生活でしょうか! しかもこの広大なカラカラ浴場は収容人員が1600名であり、ディオクレティアヌス浴場などは3000人のキャパシティをもっていたというから、凄まじいですね。
入場料金は安いので貧民も入浴することができ、毎日または1日に数回入浴することもありました。しかし、主要な浴室は各種1つずつしかありません。男女混浴だったのでしょうか。おそらく、浴室に入る時間帯をずらしたのだろうと考えられています。まず大浴場全体の門が開かれて、人々が中に入る。
次いで、浴室のある中央の門が開かれました。はじめは女性だけの入場が許され、その後男たちと入れ代わったようです。大浴場を出ると、金持ちたちには宴会(ケーナ)が待っていました。
本書『テルマエ・ロマエ』は風呂を媒介させることによって、古代ローマと現代日本の文化や風俗を見事に描いています。そして、何よりも素晴らしいのは風呂をタイムトンネルの入口であり、アナザーワールドへの扉ととらえているところです。
実際、わたしは風呂とは別世界へ旅するステーションだと思っています。1人で温泉に入る時は、わたしはよく瞑想をします。時々、あまり気持ちが良くて、自分の精神が自分の肉体から離れていってしまうのではないかと思うことがあります。
シャーリー・マクレーンは、温泉に入っている最中、生まれて初めてのアストラル・トリップ(幽体離脱)を体験したと、著書『アウト・オン・ア・リム』に書いています。
彼女は、ある男性に誘われてペルーに飛び、アンデスの山中に登ります。そして4000メートルの高地で、自然の冷気にふれながら、身も心もとかすような鉱泉につかって、不思議な神秘体験をするのです。その時、彼女は水平線の彼方に光の束がオーロラのように立ちのぼるのを見ます。
自分の意識が次第に拡大していき、宇宙の背後にひそむ霊気の震動に敏感に反応しているのが、手にとるようにわかります。やがて自分の魂が身体から遊離し、空中に高く登っていく。見おろすと、地上には自分の身体が見えたといいます。
シャーリー・マクレーンの体外離脱体験は、入浴瞑想という方法によって実現されたのです。残念ながらわたしの場合は、いつものぼせてしまって、トリップする前に湯から出てしまいます。入浴が母親の胎内で羊水にひたされている状態に似ていることも関係があると思いますが、風呂が別世界への駅であることだけは間違いないでしょう。
「初湯」にはじまり「湯灌」に終わる。まさに、人の一生は湯とともにあるのですね。そんな風呂をテーマとした本書『テルマエ・ロマエ』は、奇跡の大傑作だと思います。
ローマと日本の風呂について書きました