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No.0029 宗教・精神世界 『約束された場所で』 村上春樹著(文春文庫)
2010.03.20
村上春樹氏が『アンダーグラウンド』に続いてオウムに向き合ったノンフィクションが『約束された場所で』(文春文庫)です。
「文藝春秋」1998年4月号~11月号に掲載したインタビュー記事が中心です。
オウム真理教の信者たちは、癒されることを求めていました。そんな彼らが、なぜ「地下鉄サリン事件」という救いのない無差別殺人に行き着いたのか。彼らは、なぜこの現世を生きてゆくことができなかったのか。 元信者、あるいは現在も信者であり続ける者・・・村上氏による彼らへの徹底的なインタビューが収められています。
『アンダーグランド』だけでなく、『約束された場所で』という続編を発表したことについて、村上氏は「まえがき」で次のように書いています。
「『アンダーグランド』の中では、オウム真理教団という存在は、なんの前触れもなしに日常に唐突に襲いかかってくる〈正体不明の脅威=ブラック・ボックス〉として捉えられていたわけだが、今度はそのブラック・ボックスの中身を、私なりにある程度開いてみようと思った。そしてその中身を『アンダーグランド』という本が提出したパースぺクティブと比較対照することによって、言い換えればその異質性と同質性を腑分けすることによって、より深みを持った視座を獲得することができるのではないかと思ったのだ。」
「もうひとつ、私が『オウム側』に正面から取り組んでみようかと思ったのは、『結局あれだけの事件が起こっても、それを引き起こした根本的な問題は何ひとつ解決してはいないんじゃないか』という危機感のようなものをひしひしと感じ続けていたからだった。」
村上氏によれば、日本には、日本社会というメイン・システムから外れた人々を受け入れるための有効で正常なサブ・システム、いわば「安全ネット」が存在しないそうです。
メイン・システムから外れた人々の中でも、とくに若年層が受け入れられない。
そして、安全システムが存在しないという現実は、オウム真理教事件の後でも何ひとつ変化していないというのです。 それは本質的で重大な欠落です。そして、そんな欠落がわたしたちの社会にブラック・ホールのように存在している限りは、たとえここでオウム真理教という集団を潰したとしても同じような組成の吸引体(オウム的なるもの)はまたいつか登場してくるし、同じような事件がもう一度起こるかもしれないと、村上氏は考えるのです。
村上氏は次のように述べます。
「私はこの取材にとりかかる前からそのような不安を感じ続けていたし、取材を終えた今では、より強くそれを実感している(たとえば一連の中学生の『切れる』事件にしても、そのようなポスト・オウム的状況の一環として捉えていくことが可能なのではあるまいか)。」
村上氏がこの文章を書いてから12年。 その不安は、ますます現実のものとなっています。
オウム的なるものの正体とは
本書には、心理学者である故・河合隼雄氏と村上氏との対談も収録されています。 以下の発言が印象に残りました。
村上「オウムの人に会っていて思ったんですが、『けっこういいやつだな』という人が多いんですね。はっきり言っちゃうと、被害者のほうが強い個性のある人は多かったです。良くも悪くも『ああ、これが社会だ』と思いました。それに比べると、オウムの人はおしなべて『感じがいい』としか言いようがなかったです。
河合「それはやっぱりね、世間を騒がすのはだいたい『いいやつ』なんですよ。悪いやつって、そんなに大したことはできないですよ。悪いやつで人殺ししたやついうたら、そんなに多くないはずです。だいたい善意の人というのが無茶苦茶人を殺したりするんです。」
さらに、日本におけるユング派の第一人者であった河合氏は、事件に関わったオウム信者たちについて、次のように述べています。
「この人たちは頭ですごく考えとるでしょう。こんなふうにぐっと小さい箱に入ってものをぐんぐん考えようとするときに、それをくい止めるのはやはり人間関係なんです。やっぱり父親とか母親です。感情です。それが動いていると、こんな小さな箱にはなかなか入れないんです。なんやらおかしいやないかと、そういう気持ちが働くんですよ。」
村上氏はこのコメントに対して「バランス感覚が働くということですね」と答えていますが、まさにバランス感覚が大事なのです。
そして、何よりも重要なのは「人間関係」。
わたしは、つねづね問題なのは「人間」ではなく「人間関係」であると言い続けていますが、そのことをあらためて痛感しました。