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No.0031 評伝・自伝 『二十歳からの20年間』 宗形真紀子著(三五館)
2010.03.20
『二十歳からの20年間―”オウムの青春”という魔境を超えて』宗形真紀子著(三五館)を読みました。
著者は、20歳のときにオウム真理教に出家した女性です。
3年前の2007年になってやっとオウムの後継団体であるアレフを脱会しました。
彼女のオウムや麻原彰晃へのはまり込み方は、かなり深いものでした。
そのため、過ちに気づくまでに地下鉄サリン事件から数えて8年を要しました。
気づいてから脱会するまでにはさらに4年かかったので、合計して事件後12年も経ってようやく脱会できたのでした。
それから、さらに3年が経って、彼女は本書を書いたのです。 20歳のときに出家した彼女は41歳となりました。 つまり、人生の半分以上がオウム以降となったわけです。
宗形氏は、次のように書いています。
「わたしの、二十歳からの20年間は、ひと言で言えば、『魔境』というものの深みにはまり込み、そこからもがき苦しみながら抜け出していった、とてもとても長い歳月でした。そして同時に、本当の意味で抜け出すためには、わたしにとっては必要不可欠な、かけがえのない歳月でもあったのです。」
“オウムの青春”の魔境を超えて
彼女が陥った「魔境」とは何か。
それは、古来より、修行を志した者が必ず直面する「心の中の悪魔」「増上慢」として戒められてきたものです。
そして同時にこれは、修行を志さずとも、すべての人が必ず直面する「心の落とし穴」のことでもあると、宗形氏は述べます。
出家後、彼女はさらなる神秘体験、夢と現実のシンクロニシティによりオウムに傾倒しました。その結果、さらなる魔境に入ってしまいました。しかし、この「魔境」は彼女だけの問題ではなく、じつはオウムの中核の問題であったそうです。
現在の宗形氏は、同じような境遇にあって脱会した、上祐史浩や約40名の元出家信者と、約150名の元在家信者からなる「ひかりの輪」という団体の中で、約3年前より、その中心メンバーの一人として、人生をやり直す一歩を踏み出しているとか。
本書によれば、宗形氏は14歳での霊体験をはじめ、16歳での父の死、そしてノイローゼ、登校拒否、自殺衝動などを体験しています。 そんな傷だらけの心を持った彼女が、いかにしてオウムに引き寄せられ、もがき苦しみ、その悪因縁を断ち切って脱出したのか。 彼女自身はサリン事件などのテロリズムに直接関与はしていないにせよ、本書が史上例を見ない宗教犯罪における貴重な現場からの証言であることに変わりはありません。
本書を読んで感じたのは、宗形氏がいかにも純粋であり、真面目であり、いわゆる「いい人」であったことです。
わたしは、『約束された場所で』に収録された村上春樹氏と故・河合隼雄氏の対談を連想しました。そこで村上氏は「オウムの人に会っていて思ったんですが、『けっこういいやつだな』という人が多いんですね」と言い、河合氏は「世間を騒がすのはだいたい『いいやつ』なんですよ」と語ったのでした。
宗形氏が本当の意味で救われたのは、母親へ深い感謝の念を抱いたときでした。
当然ながら、オウム出家によって、彼女はあらゆる人間関係を失いました。 しかし、彼女の母親だけは違ったのです。 母は、誰にも耐えられないような目に遭いながら、微笑を絶やしませんでした。 そして、いつも淡々と優しい気持ちを持ち続けていました。 そんな母の姿を見たとき、宗形氏は大きなショックを受けました。 何か世界を踏み越えて、本当のことを垣間見てしまったように感じたそうです。 そのとき、母が観音さまのように見え、目から鱗の落ちる思いがしたといいます。
宗形氏は次のように書いています。
「すべてを捨てて、ある意味命がけで、十数年も修行して、遠くに求め続けていた観音さまが、意外なことに、こんなに身近なところにいたなんて、この現実に驚かされました。」
彼女は、「わたしはもしかしたら、このままでとても幸福なのではないか?」と心の底から思ったそうです。
『二十歳からの20年間』と同じく中野さんが編集をしてくれた拙著『法則の法則』では、「幸福になる法則」というものを紹介しています。
それは、ずばり、自分を産んでくれた親に感謝するというものです。親を感謝する心さえ持てれば、自分を肯定することができ、根源的な存在の不安が消えてなくなるのです。
そして、心からの幸福感を感じることができます。
地下鉄サリン事件から15年目の日に読んだ元オウム信者の体験記から、この「幸福になる法則」がやはり正しいことを再確認することができました。