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No.2397 心霊・スピリチュアル | 社会・コミュニティ 『未来が視えない!』 鎌田東二・江原啓之著(ホーム社)
2025.05.25
『未来が視えない!』鎌田東二・江原啓之著(ホーム社)という対談本を読みました。「どうしてこんなに通じ合わないんだろう?」というサブタイトルがついています。共著者の1人である鎌田先生から献本された本ですが、一条真也の読書館『宗教の言い分』で紹介した島薗進先生とわたしの共著と同じく、師弟による対談が掲載されています。江原氏は、國學院大學で鎌田先生の講義を受けていたのです。
本書の帯
カバー表紙には、冬の装いをした鎌田先生と江原氏のツーショット写真が使われ、帯には「世の中はますます分裂と分断の時代へ――江原啓之が恩師 鎌田東二と共に日本の未来を徹底的に語り合う!」「『危ない!』シリーズ番外編」「『日本スピリチュアルケア学会』元理事長のシスター髙木慶子氏との特別鼎談も併録」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には、「【江原】今回の対談の大きなテーマは、日本の未来が全然視えないということなんです。視えないというのは、つまり、通じなくなっちゃったということですよね。現代社会自体もそうですし、人々同士も言葉が通じない。……だけど、どうして通じないんでしょう。どうして気づかないんでしょう。……本来はもっと追求しなきゃいけない本質の部分が見えなくなって、一億総通じない状態になっている……。」「【鎌田】まさに衆生の妄想がさらなる妄想を産み、悪い相乗作用で妄想を次から次へ増殖させていく感じですよね。そうすると、本来深く通じ合える可能性を持っている如来秘密の世界へ行けずに、そこからどんどんどんどん離れてしまっている。●本書より」と書かれています。
発行元であるホーム社のHPには、本書について、「2004年に『子どもが危ない!』が刊行されてから、約20年。その後も、『いのちが危ない!』『あなたが危ない!』『この世が危ない!』と、「危ない!」シリーズ4冊を通して、この世の様々な危機や、人々が物質的な価値観に流されてしまい本当の幸せを見失っていくことへ警鐘を鳴らしてきた江原啓之氏。しかし、それでも人々に思いは伝わらない。通じない。この20年の間に、世の中はコロナ禍や戦争、食糧難などますます混沌を極め、『未来に希望などない』と老若男女多くの人が口にする社会になってしまいました。江原氏のたましいは渇き、霊眼では日本の未来が視えなくなってしまったのです。そんな折に、江原氏は大学時代の恩師である宗教学者の鎌田東二氏と再会。師に、人々に危機感が伝わらない苦しみとたましいの渇きを吐露したことからこの書籍は生まれました」と書かれています。
続けて、ホーム社HPには、「『危ない』シリーズ番外編となる本書では、3部立てでこの分断と分裂の時代との向き合い方を探っていきます。第1部では、オペラ『ニングル』を通して、江原氏の『日本の未来がまったく視えない』という危機感を鎌田氏と共有するところから始まり、人々にいまある『当たり前』を問い直すことの重要さを説きます。第2部では、オペラ『夕鶴』を通して、同じ時代を生きているはずなのに、お互いの声が通じ合わない現代社会に警鐘を鳴らします。第3部では、かつて江原氏と対立する立場であった『日本スピリチュアルケア学会』の元理事長で、シスターの高木慶子氏との鼎談を収録。過去の食い違いを認め、相互理解へと歩んだ先に見えるものとは……通じ合わない現代に生きるすべての方へ贈る、たましいのこもった一冊です」と書かれています。
本書の「目次」は、以下の構成になっています。
まえがき(江原啓之)
第1部 未来が視えない
第2部 どうしてこんなに
通じ合わないんだろう?
第3部 【鼎談】江原啓之×鎌田東二×高木慶子
この世のすべてはギフト
おわりに(鎌田東二)
「まえがき」では、日本で毎年2万人が自殺し、安楽死などが注目されている現状について、江原氏が「価値があるから生きるのではなく、生き抜くことに価値がある」という信念から安楽死には反対です。余命宜告された場合は積極的治療よりも、残された時間のクオリティーを重視する尊厳死に賛成します」と述べています。江原氏は、「世の人々の多くが『生きる価値がないなら、死んだほうがいい』と安楽死を希望しているのが現実です。けれども、その生きる価値とはなんなのでしょう? 人の価値の優劣は、どのように判断するのでしょうか? 自分で自分のことができない人には価値がないのでしょうか? 私には多くの人が持つ価値観の優劣がヒトラーが依拠した優生論と同じ価値観であるように感じるのです」と述べます。
江原氏は「人はなぜ、いのちに優しく向き合えないのだろうか?」と考え続けたそうです。そして、2019年に『あなたが危ない!』を出版しました。そこでは食の問題などを通して、フィジカルからメンタルに影響を及ぼしていること、そして現代の人々があまりにも食といういのちに対して安全性よりも味と利便性ばかりに拘り、それと同様に人の心も正常な愛念を失っているのではなかろうかということについて様々なエビデンスも踏まえて警告を書きました。しかし、それでも伝わらないといいます。すでに『子どもが危ない!』を刊行してから21年が経ちました。コロナ禍もあり、同時に社会全般から世界情勢、人々の心に至るまで、現代は分裂と分断の時代となったように思えるといいます。
「ニュースを見ても、何が正しいのか分からず、つねに社会に対して疑心暗鬼にならざるを得ない世の中となりました」という江原氏は、戦争に紛争と人々の心は分断されていき、このままではこの世が滅びてしまうと痛感し、2023年に最後のメッセージ集として『この世が危ない!』を出版。江原氏は、「所詮スピリチュアリストの提言です。それでも、その提言の根底に愛があれば必ずや人々に通じると信じていました。けれど、いくら伝え続けてみても私には世間の人々の顔が幸せそうには見えないのです。『未来に希望などない』と老若男女問わず多くの人が口にします。何が間違っているのか。何が必要なのか。その答えは『子どもが危ない!』から『この世が危ない!』までに理路整然と伝えさせていただきました」と述べるのでした。そんな江原氏が対談を望んだ相手が、鎌田東二先生だったのです。
第1部「未来が視えない!」の「オペラ嫌いの人間が開眼」では、2024年2月10日、東京・目黒の「めぐろパーシモンホール」でオペラ『ニングル』の公演が行われたことが紹介されます。倉本聰の『ニングル』を原作に据え、オペラに仕立てたもので、江原氏は、「ニングルの長(カムイ)役」で出演しており、鎌田先生はこの初日公演を観劇しました。以下の対話が展開されます。
鎌田 正直言うと、私はオペラは嫌いなんですよ。いわゆるミュージカルも好きじゃない。ただ、例外は2つあって、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』には、眠れないぐらいはまった。
江原 ロックミュージカルですね。
鎌田 もう1つは『サウンドオブミュージック』、こちらは何度観てもすばらしいと思います。でも、オペラに関しては、どうやっても入っていけない。プッチーニとか有名なオペラをいくつか観も聴きもしましたが、一度も面白いと思ったことがなかった。
江原 でも、『ニングル』はよかったんじゃないですか。
鎌田 いや、それを言おうと思ったんです。私のオペラ観が変わったということをね。
「要するに、オペラが嫌いだった人間が、江原啓之によってオペラに開眼したんです」と言う鎌田先生に対して、江原氏は「そうおっしゃっていただき、総監督もスタッフもみんな喜ぶと思いますけど、鎌田先生がそう思えたのは、やっぱり日本語でメッセージがまっすぐと心に響く日本オペラだからなんですよね。いまでも西洋のオペラはあまり人気がないんです。やはり日本人には日本人の感性に合う内容がいいのでしょうね」と語ります。鎌田先生は、「ああ、そうなんですね。私は現代の能を見慣れているものですから、どうしても字幕があるとそちらを見ちゃうんですよ。今の能舞台のいくつかでは、シテ(主役)やワキ(脇役)や地謡の台詞(詞章)を左右に電光掲示字幕で示すことがあり、それと同じ上演法だったので、前半は字幕をしつかり読んでいたのですね。でも、隣の人をちらっと見たら、字幕は見ずにまっすぐ舞台を観ている。『この人は台詞を聞くだけで頭に入っていくんだな』と思った。で、後半は私も字幕もたまに見るけれど、意識して舞台のほうを見るようにしたら歌っている人の声がダイレクトに入ってきました。翻訳だったらああいうわけにはいかないでしょうね」と語ります。
「オペラ『ニングル』が伝えたいこと」では、パンフレットには倉本聰氏の「『ニングル』に寄せて」という文章が載っており、そこに「この作品が今のこの、地球環境を際限なく破壊し、我々の暮しを崩壊の道へ進めている社会に、大きな反響と感動をもたらして下さることを切に期待し、祈るものです」といった悲壮な覚悟が書かれていることが紹介されます。鎌田先生は、「今回のオペラ版『ニングル』の世界は、宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』を原作としたアニメ版『風の谷のナウシカ』の世界に近いような気がします。どちらにも地球環境をめぐって、ある種福音的な救済に向かっていかなければならないという強いメッセージが切実な訴えとして表れている。森と村と水の三つは決して別々のものではなく、みんなつながっている。ニングルは、そういう循環するつながりを持たなくてはいけない、環境を再構築しなくてはいけないというメッセージをずうっと言い続けてきた。その象徴的な言葉が『森ヲ伐ルナ、伐ッタラ村ハ滅ビル』という言葉なんですね」と述べています。
『風の谷のナウシカ』についての鎌田先生の発言を受けて、江原氏は「水は地球の血液だという考え方もありますよね。『ニングル』の中にも出てきますが、水というのは、実は何百年もかけて蓄えられたもので、それがいま、自分たちのところへ来ている、そういうことの意識がいまの世の中を生きている人たちには稀薄なような気がします。水というのはただ蛇口をひねれば当たり前のように出てくると思っていて、そうした循環的なことは考えもしない。実は、私が『子どもが危ない!』『いのちが危ない!』『あなたが危ない!』『この世が危ない!』という4冊の本で提言してきたのは、まさしくこの『ニングル』が訴えていることと同じなんです。つまり、心よりもモノやカネを大事にして、物質的価値観に流されてしまい本当の幸せを見失っていくことへの警鐘です」と語ります。
スピリチュアリストとして時代の寵児であった江原氏は、「実は、今回先生とお話しするにあたって大きなテーマが1つあるんです。スピリチュアリストとして、あるいはミーディアム(霊媒)として申し上げますけど、日本の未来がまったく視えないんです。私の霊眼に映る光景に、日本の未来がないんです。ところが、そのことが世の中の人にはまった<伝わらないというか、ピンと来てないというか、非常に切羽詰まった状況にあるんです」と述べます。すると、鎌田先生は「江原さんは霊能者であり、ヨゲン者でもあるわけですね。ヨゲン者には2種類あって、未来を予知する予言者と、神の言葉を預かる預言者の二つがあるのだけれども、両方とも重なっている部分もあって、そう簡単に分けられるものではない。だから、霊能者も、2つのヨゲン者の側面を持つわけです。私は自分を霊媒だと規定したことはありませんが、『何者』かのマリオネッドのような道具であるとは思ってきました。その意味では受信機であり、キャッチしたものを伝えていくという預言者のような役回りがあり、それをどう伝えていくかということをやってきたのだと思っています」と語っています。
江原氏は、ホスビスやホリスティックの専門家たちから「変にスピリチュアルなんて言葉を使われると困る」みたいなことをさんざん言われてきたそうです。しかし、江原氏ははその人たちを恨んではいないといいます。なぜかと言うと、「彼らは彼ら自身の権威だとか自己承認欲求を守りたいから、要するにエゴイズムですよね、それを守りたいがために言っているだけなんですね」と考えているからです。江原氏は、「スピリチュアルケアとか緩和ケアに携わっている医者の人たちは、同じ医者である外科医から下に見られている。治さない医者は医者じゃないからって。結局、そういう負の連鎖が続いているんですね。でも、正直言って、私はそういうことに対して怒るのではなく、気の毒だな、哀れだなとしか思えないんです。それを乗り越えて、もっと大きな広い視点に立たないといけないと思います」と訴えています。
ここで江原氏は、ドイツの神秘哲学者であるルドルフ・シュタイナーを取り上げ、「いま私たちが囚われている物質的価値観・思考というのは、シュタイナーが言う“アーリマン”なんですよね。シュタイナーは『人類の代表者』と呼ばれる木彫りの彫刻を制作しましたが、そこではアーリマンとルシファーのあいだに人間(=キリスト)を置いてバランスをとっているんですね」と述べます。それに対して、鎌田先生は「知の悪魔(ルシファー)と、身体や肉体の悪魔というか、物質的な悪魔(アーリマン)ですね」と答え、「私はいま、シュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(高橋巖訳『シュタイナー著作集 第二巻』イザラ書房、1979/ちくま学芸文庫、2001)を真剣に読んでいるんです。これを読むのは3度目です」と明かします。
『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』には、霊的な世界に入っていくための準備と、そこへ入ってから何に出会っていくかがイニシエーション(儀式)のプロセスみたいなかたちで明確に描かれていて非常に参考になる、いわば「魂のガイドブック」であるという鎌田先生は、「その中で、境域の守護霊と出会う過程で物質的なものを動かしていく霊的モンスターが出てくる。それを代表するのが、いま言ったアーリマンとルシファーですね。現代風に言うと、フィジカルとスピリチュアル。その両方に欲望や野心や自我肥大の落とし穴やリスクがある。つまり、霊界へ参入するときには、他者に対する尊厳、畏敬の念、そして自分自身が自由であること、そういうことがいかに重要であるかがバランスよく描かれている」と述べます。
また、他者に対する尊厳、畏敬の念、そして自分自身が自由であることといった学び・準備なしに霊界へ入ってしまうと、歪み、偏差、あるいは暴力、差別、排除といったものがもたらされてしまうといいます。鎌田先生は、「いま私は、霊的暴力についての本を書いているのですが、現実の暴力は確かめられるけど、霊的暴力や精神的暴力は確かめられるようで確かめられないし、法では裁けない。そうしたことも踏まえて、何がどういうふうに負の連鎖をもたらし、我々はどういう間違いを起こしやすいのかをきちっと認識しなければならない。そのためには、神主的な何かを感じる部分を大事にすることと、それに参加するための幾層ものチェックポイントみたいなものをきちんと持っていないと危ないんですよね」と述べます。
鎌田先生は、「江原さんがなぜ芸術というものを1つの軸にしているのか、なぜ私が神道ソングを軸にしているのか、ここに意味があるんですね。つまり、宗教的言説とか教団とか学会とかの枠組みよりも大事なのは、その人の魂の叫びのような求めなんです。魂の求めや叫びに忠実でなくてはいけない。それはその人の使命であり、生きてきた意味であり、生きがいであったりするわけで、それを奪ってはいけないんです。そうした魂の叫びが一番端的に現れるのが芸術的表現です」と語ります。江原氏が「37年ぶりにお目にかかって、こういう共感ができるということ自体が何かすぎくいい巡り合わせを感じますね」と言えば、鎌田先生は「私もがんになっていなかったら、こういうふうに裸になっていませんからね。いよいよ自分が素っ裸になって、子どものようになって江原さんと対面できるような状態になったんですよ」と語るのでした。
「いまある『当たり前』を問い直す」では、鎌田先生はシュタイナー教育について言及しています。シュタイナー教育を受けた人といえば、俳優の斎藤工さんや坂東龍汰さんなどが有名ですね。わたしは2人にお会いしたことがありますが、どちらも素晴らしい人間性の持ち主です。シュタイナー教育というのは、人智学をベースにして、それをより人間的な尺度で再構築しています。シュタイナー教育で重要なのは、7歳まで、14歳まで、21歳までという具合に発達段階を3段階にはっきり分けて、その時期に合わせた教育プログラムを位置づけているところですが、鎌田先生は「そこからすると、早期教育は駄目なんです。私も絶対反対です。だから早くから文字を無理やり学ばせるとか、英語を学ばせるとかするのではなくて、7歳までは生きるということに対する面白さとか楽しさ、あるいは人と交わる喜びといった、人間にとって一番根幹になる意志というものを形成することを支援する」と訴えます。
また、鎌田先生は「次の7歳から14歳までの7年間は音楽であるとか、体を使ってのパフォーマンスであるとか、そういうものを中心に豊かな感情を醸成していくことに焦点を当てる。14歳からその先で、ようやく知性の育成になる――こうした段階説をシュタイナーは唱えている」と述べています。これから先も教育の根幹にあるものは、やっぱり一人一人の持っているモチベーションみたいなものが重要であるという鎌田先生は、「仏教的に言うと『発心』ですね、発菩提心。儒教的に言うと志みたいなものとか、その人が本当に道を求めていく、生き方につながっていくような支援の在り方を、教育プログラムとしてやっていくべきだ、と。教師というのは、そのための引き出し役とか支援者であって、何かを叩き込むような教育は間違っていると思っています」と述べています。
「神道との出会い」では、神職を目指す人が入る國學院大學の別科について言及されます。鎌田先生が「正規な社家(代々特定神社の奉祀を世襲してきた家)からの推薦と、履修した後の奉職先の確約書みたいなものが必要なんですね」と言えば、江原氏は「学生には、社家の家柄の人とそうでない人がいて、私も社家の家ではありません。こう言っては失礼ですけど、立派な社家のお子さんよりも、そうじゃない人のほうが勉強する意識は高いんですよね」と語っています。江原氏が奉職したのは下北沢にある北澤八幡神社でしたが、先代の宮司が心霊研究をやっていたそうです。江原氏は、「私が奉職したときの宮司は矢島千裕さんでしたが、矢島さんは私に会うなり、即気に入ってくださった。私はスピリチュアリズム的なことも勉強していますが、その上で神道を勉強したいのだと素直に言ったら、うちに来なさいとおっしゃって可愛がっていただきました。そういう経緯があって、神社に奉職しながら國學院の別科へ行ったんです」と述べています。
鎌田先生は、「私も社家の生まれではないし、神職になるつもりはまったくなかったんですよ。何代か前は真言宗のお寺の住職で、実際、従兄弟は真言宗のお寺の住職をしている。真言宗そのものは神仏習合的ですけど、仏教のほうにより親しいものがあったんですね。でも私は、11歳のときに『古事記』を読んで救われる経験をして、17歳で古事記にゆかりのある宮崎県の青島神社に行き、そこで神話と聖地とが結びついた。それ以降、聖地巡礼などを意識的にするようになって、各地の神社・仏閣を回ったんです。國學院大學の哲学科を卒業して、神道学の大学院に入りましたが、それは神話などを通じて言霊の研究をしたかったからなんです」と述べています。
同じ神道でも2つあって、いわば表の神道というのは、伊勢神宮を本筋とする天皇を崇拝するものです。しかし鎌田先生が惹かれたのは、陰の神道というか、幽世の神道、出雲系の神道です。近代に出てきた大本は出雲系の神々、スサノオ系の神々がもう1回この世に現れて世直しをしていくというものでした。そちらのほうに共感した鎌田先生は、1975年の3月に出雲大社を参拝し、その後、京都府綾部の大本みろく殿を参拝して、誓いを立てました。それから50年が経過したわけですが、鎌田先生は「そうした私自身にとって重要なのは、小さいときに『オニ』を見たという経験です。これは江原さんとの接点でもあるし、霊媒的・霊視的な問題になるのです」と語っています。
幼少期に「オニ」を見た鎌田先生は、「この『オニ』というのは一体何かという問いがまずある。周りの人にオニが見えると言っても、誰も信用してくれない。でも、見えるものは見える、あるものはあるとしか思えない。自分がうそをついているのか、自分が見ているものは単なる幻想なのか、周りの人が見ている世界が本当の世界なのかという疑いを子どもの頃からずっと持ってきた。そして、11歳のときに『古事記』を読んで、自分が見ている世界がその中で神話として証明されているし、自分を肯定してくれるような内容だったので安心した。神話によって救われたんです」と語ります。
1984年4月4日、4のぞろ目の日に、鎌田先生は奈良の天河大辨財天社に行きました。その道中の出来事がきっかけで神職の資格を取ることになります。そもそもなぜ天河に行ったかというと、当時、太田千寿という女性の霊験について本気で考えていたからです。鎌田先生は、「太田千寿さんは、『霊界』から三島由紀夫が送ってきたという通信を自動書記で書き、そこには日本を『真のまほろば』にせよというメッセージが記されていたんですね。そのメッセージが天河大辨財天社の柿坂神酒之祐宮司の手に渡り、『審神者』がなされるという。私はそういう霊媒現象があるとは思っているけれども、それを確証しなくてはいけない」と述べています。
これは鎌田先生の多くの著書で語られていますが、1984年2月の15日ぐらいから40日間、鎌田青年は毎日、朝から晩まで白衣(装束)を着て勉強しました。そのときに魔の体験をして、一睡もできない状態が40日間続きました。1日だけ休みがあって、山梨県の七面山に登ったそうです。七面山は富士山の真西で、春分と秋分の日に富士山頂から太陽が昇ってくるというので、それを見に行き、ついでに滝にも打たれました。膝までかぶるような雪の中を汗だくで山頂まで登り、真正面の富士山から朝日が昇ってきて、その周囲に大きな円い虹がかかりました。鎌田先生は、「それを見たときに、何かがすーっと抜けた。ヌミノーゼ(聖なるもの)というか神の顕現みたいなもので、その瞬間涙がばーっと出てきた。それからは、1日に数秒眠れるようになったんですよ」と回想しています。
「心に『魔』が棲みつくということ」では、江原氏は國學院を出てから、そのまま北澤八幡神社に奉職しましたが、その後、やはりスピリチュアリズムを研究したいと思うようになった江原氏は、ロンドンに行きました。以来、10年近くロンドンと日本を行ったり来たりしていたそうです。その頃にオウム真理教による坂本弁護士事件――というか当時はまだオウムの名前は出ていませんでしたが――が起きました。そのとき、心霊番組とかをよくやっていたテレビのプロデューサーから、ロンドンで犯罪捜査を専門にやっているサイコメトリーが得意なネラ・ジョーンズというミーディアムに日本に来てもらえるよう、江原氏に仲介してほしいと頼まれたそうです。ネラは迷宮入りになった事件を50件以上解決したそうですが、江原氏は「日本に帰ってきたらうちの神社の宮司が『江原君、何かオウムに関わってる?』って言うんですよ。『いや、関わっていません。何でですか?』って訊いたら、警察から私とオウムの関係について問い合わせが来ているというんです。いや、実はちょっと頼まれてロンドンの霊能者の仲介をしたということだけを言ったんですけど、ネラが言うように、これは絶対関わっちゃいけないと思いましたね」と回想します。
オウム真理教について、鎌田先生は「実は、オウム真理教――というよりも麻原彰晃――に対してどういうスタンスをとるかということで梅原伸太郎さんや、たま出版の瓜谷侑広社長(当時)と激論になったことがあるんです。1985年に国際精神世界フォーラムというのができ、梅原伸太郎さんが事務局長で、私はそれを手伝ったんです。宗教団体に属している霊能者や行者ではなく、精神世界を自由に探求しているような人たちの広場、アゴラをつくろうということで、そのときに麻原彰晃を入れるかどうかが議論になった。当時、麻原彰晃は空中浮遊で売り出していたんですが、私は麻原はショーパフォーマンスみたいな方向なので、もっと真面目な人たちでやるべきだと反対したんですけど、入れるべきだという瓜谷社長と大喧嘩してやめてしまった。間に入った梅原さんはつらい立場だったと思いますが、そんなこんなでフォーラム自体はその後消滅してしまいました」と述べています。
また、1997年に起こった神戸児童連続殺傷事件、いわゆる「酒鬼薔薇聖斗事件」について、鎌田先生は「あの事件には阪神・淡路大震災、そしてオウム事件の影響もありますが、なにより、14歳の少年の中に魔が棲みついたんですね。これはなかなか理解されにくいと思いますが、ある種の霊的な次元までを含む、魔的なものが入り込んで、14歳の少年が普通やることではない異常さを引き起こしていく。実際に、酒鬼薔薇聖斗は、『懲役13年』と題する手記に『魔物』について執拗に書いていて、『魔物(自分)と闘う者は、その過程で自分自身も魔物になることがないよう、気をつけねばならない。/深淵をのぞき込むとき、/その深淵もこちらを見つめているのである』とニーチェの言葉を引用しています。彼は、明確に「魔物」を意識していたのですよ」と述べています。
酒鬼薔薇聖斗の事件について、江原氏は「あれは、確かに魔界というか、そういったものが絡んでいますね。あの頃、私は佐藤愛子さんと割と親しくしていた時代で、いろいろな霊現象に共に関わっていたんです。そこへ酒鬼薔薇聖斗事件が起きた。たしか、当初犯人は中年のおじさんだという説が出ていたんですが、佐藤愛子さんに『江原さん、どう思う?』って言われて、『私はキツネ顔の若い青年が犯人だと思う』と。それを視たとき、とてつもない魔界的なエナジーを感じたのを覚えています」と言えば、鎌田先生は「こうした場合、精神鑑定をしたり少年刑務所で矯正するということになるわけだけれども、あの場合は、それだけではうまくいかない部分をも含み持っていた。彼はニーチェとかいろんな文章を引用して、魔物に覗かれていると言っているわけで、それは私や江原さんの文脈で言うと、大きい魔に魅入られているということなんですよね。心理学でも、精神分析でも、スピリチュアルケアでもできないんですよ」と述べています。
「スピリチュアルをめぐる相克」では、江原氏や美輪明宏氏がスピリチュアルという言葉の最前線にいた当時、アカデミズム的な立場の人々がそこに一線を画したことについて、鎌田先生は「美輪さん、江原さんと対立する立場だった日本スピリチュアルケア学会が設立されたのが2007年で、2004、5年から設立の準備をしていました。その中心をなす人物が聖路加国際病院の日野原重明さんと、後に上智大学のグリーフケア研究所の所長になる髙木慶子さん、そして、淀川キリスト教病院の柏木哲夫さんと関西学院大学と聖学院大学の教授でスピリチュアルケアの第一人者であった窪寺俊之さん。日本でスピリチュアルケアを学術的に医療現場の中心にしようということで設立されたわけですが、その主立った方々には、美輪さんや江原さんの提唱する『スピリチュアル』と一線を画したいという気持ちがあった」と語っています。
続けて、「自分たちは学術的に、また医療の現場で実際応用できるような形でやりたい、ついては、メディアに突出している二人の世界とあえて切り分けたいという強い気持ちがあったわけですね」と述べ、鎌田先生は「上智には専任教員として6年間在職し、2022年に退職してからは今年(2024年)まで非常勤で教えていたのですが、それもこの3月で終わりました。これを機に、3週間前にスピリチュアルケア学会を辞めるという通知を出しました。もう一つ、島薗進さんが初代会長の日本臨床宗教師会というのがあって、現在、私が2代目の会長なのですが、任期までは会長を務めるけれど、その後は会員も含めて全部辞めようと思っています。臨床宗教師は東日本大震災以降に出来上がり、今後も社会的な役割を果たしていくと思いますが、私はそういうボーダーをもう一切持ちたくないんですね」と述べます。
第二部「どうしてこんなに通じ合わないんだろう?」の「切実なメッセージが込められた『夕鶴』」では、江原氏から贈られたオペラ「夕鶴」のDVDを観た鎌田先生が、「私は、空海の密教のことを考えたんです。つまり、コミュニケーショというのは、顕の世界、あらわになった世界と、密の世界、秘密の世界の両方をいつも含んでいるんですね。表層的な意味の世界と一種の暗号(しるしとなる象徴)と。だから、『聞こえる』というのは表層的な意味で聞こえるというのと、深層的な意味で聞こえるということの両方を含んでいるはずなんです。だけれども我々の生活の多くは、表層的な意味の中だけで成り立っている。だから、深い部分をいかに感じ取ることができるかというのがスピリチュアル的には大事なことになるんですね」と語っています。
また、鎌田先生は「与ひょうとつうは深いコミュニケーションができていたので、二人の会話は他人が聞いても分からないんですよね。それは空海が言うところの『如来秘密』の世界です。空海は、秘密には『如来秘密』と『衆生秘密』の2種類があると言います。『衆生秘密』というのは、衆生、つまり我々煩悩のある人間は、目に曇りを持っているために仏の教えが見えなくなっており、迷妄の状態になっているということなんですね」と述べています。如来秘密というのは、ある存在が別の存在の語りをそれぞれ伝えて通じ合っていくことができるという世界です。天台宗ではそれを天台本覚思想として、「一念三千」とか、「諸法実相」とか、「草木国土悉皆成仏」などと言っています。つまり、あらゆるものが交信し合って深い安らぎを持つことができる世界で、草木国土悉皆成仏というのは、そういう楽園的な世界のことです。鎌田先生は、「そこへ至るためには、仏の心や眼差しを持たなくてはいけない。しかし、我々は仏ではないから、そういう真如としてある実相世界が見えず、そこからの声も聞こえない。衆生秘密の只中にあるから、全部ノイズで掻き消されてしまう」と述べるのでした。
2024年1月1日に発生した能登半島地震について、江原氏は「能登には各地からボランティアが駆けつけていますが、いまだに手がつかないところも多いですよね。なのに、一方の大阪では、万博に莫大なお金をかけて工事をしている。もしあのお金を能登のために使ったら、どれだけ助かるのかなと思ってしまう。おまけに政治の世界では、裏金だの何だのという話題ばかりで、本来政治家としてやらなきゃならない人たちが動かずに、一般の人々の善意だけで何とかやっている。そういう政治家に対して、地元の人はもっと声を上げなければならないのに、何かそこがぼやけてしまっている。そしてまた美輪さんがおっしゃるように、善意あるボランティアが本来であればまず政治家のやるべきことをぼやけさせてしまっている部分があるんですよね。いまの時代は本当に複雑過ぎます」と述べています。
鎌田先生は、「たしかに複雑な社会だけれど、私は、生きるということはきわめてシンプルなことだと思っています。朝起きて、人によるけれどお祈りをしたり、あるいはしなかったり、それからご飯を食べて、排泄して、1日の活動をして、そして夜になると疲れて眠る。だから、それができれば、人は健やかであり得る。それは基本で、子どもであろうと大人であろうと同じで、きわめてシンプルです。だけど、その間にストレスフルなことがあったら、過度にストレスを感じないようなやり方を周りと協力して探るか、あるいは自分一人で工夫して乗り切る。そうやって自分自身や周りを健やかにしていく。これは『古事記』で言うところの『修理固成』です。自分たちでできる範囲の修理固成はしていかなくてはいけない」と述べます。
「この世に必要なのは『世直り』と『世直し』」では、江戸時代の庶民は「世直し」という言葉に大きな自然の回復力というものを見出していたことを指摘し、鎌田先生は「世直しは能動的に直すという部分があるけれども、それとは別に世直りというのがあるのですね。でも、世直りと世直しというのはある意味で連動するんです。つまり、世直りの自動詞的な部分を感じ取れないと、いくら世直しだけをアクティブにやっても、先ほどの通じ合わなくなる部分が出てくる。一番大事なのは、世直りの部分にどういうふうに世直し的なものをつなげるかという課題なんです」と述べます。では、世直り的なものをどういうふうに見ていくのか。鎌田先生は、「今回の能登半島地震の場合だと、真脇の遺跡が発しているメッセージをどう我々の未来に生かすかということだと思っているんです」と述べます。
真脇遺跡には縄文以来5000年に及ぶ人々の生活の層があります。そして、その中心に10本のウッドサークルがあり、南の七尾湾、東の九十九湾のほうに窓が開いているような形になっています。鎌田先生は、「そのサークルは人々の心の母体です。同じ敷地内には縄文小屋があって、今回の地震でびくともしなかった。石斧で柱を組むためのほぞ穴を開けているんですが、その形は楕円形で、柱を組んだときにわずかに隙間ができる。その隙間が小屋に掛かる力を分散させるという柔構造になっている。だから地震に耐えられたんですね」と述べます。一人一人が孤立化したら隙間がなくなって「自分直し」もできないという鎌田先生は、「直そうと思っても直らなくなる。だけど、その隙間にいろいろなケアの手が加わったり、いろいろな通じ合う回路が生まれたら、『自分直し』、『世直し』さらには『世直り』もできて、自然回復力、自然治癒力といったレジリエンス(復元力、回復力)がより強化されてくる。どんな状況になってもそうした部分を目覚めさせることは必要で、それがいのちの『産霊』のちからであり、原則だと思っています」と述べるのでした。
「『面白』で自由な社会を取り戻す」では、以下の対話が展開されます。
鎌田 私は、いずれ人類は絶滅すると思っているんですよ。
江原 いや、そうですか(笑)。
鎌田 もうずいぶん前からそう思っている。
江原 だったら、逆に気が楽ですね。あの世がありますから。
鎌田 そう、あの世ももちろんそうだけれど、いのちというものは、突然変異を生み出すとか、進化するとかして、かたちを変えてつながっていきます。京都面白大学で授業をやるというのは、自然回復力、自然治癒力を強化するために自分がどう面白く生きていけるかということの臨床実験みたいなものなんですよ。こうして江原さんと再会して対話できるプロセスも自然回復力につながっていくわけで、それによって自分はますます元気になっていく。
鎌田先生は、「一人で立ち向かえるのは“面白”だと。だから、私は京都面白大学の総長になって、面白いということが一体何なのかを突き詰めていっているんですよ。自由という、昔から大切にされてきた倫理的な価値がすでにどうしようもないぐらいまで追い込まれてきている現在、もう最後の砦は“面白〟しかない。自分自身がどう面白く生きていけるのか、それを通して世直りとか世直しということを自分で実践できる部分をつくっていこうというのがいまの私の目標なんですね。そして、死ぬまで面白く生きようとすることは可能なんです。ただ、それがどういう力になって、人々のネットワークやつながりになっていくかは未知数です」と語っています。
ルドルフ・シュタイナーの予言について、鎌田先生は「シュタイナーは1920年代に、666の2倍数の1998年は危険だと警告していました。666を2倍すると1332年。その頃日本は、鎌倉時代が終わって室町時代になって、南北に分かれて戦争が起こり、いわば日本が真っ二つになったような経験を持つわけですよね。でも、それは国家の中枢部分で起こった出来事です。全国民に波及するとはいっても、あの時代ですから、地方の末端に行けば中央とは関係のない日常の部分はあったんですよ。でも、1998年から始まる現在の危機には、それがないんですよね。ディープステートもそうだし、世界中もう全部が、グローバリズムの中で、一蓮托生みたいなかたちになってしまっている。ある一部のところで起こっている出来事が、すぐさま全地球的に波及してしまうような恐ろしさがあって、どこにも逃げ場がないんですよ。みんなが、見えない獄舎につながれているような状態になっている」と述べます。
このシュタイナーの予言について、以下の対話が展開されます。
鎌田 江戸庶民は、地震のことを、地が新たになる「地新」といって、大地が“地直り”をしていくような自然の力があると信じていましたが、私もそれを信じているんですね。江戸庶民が信頼した政権は崩れても、新たにそこでよみがえってくる命があって、人間事だけで考えると終わりだけど、人間以外のものの大きい力を考えると、まだまだ可能性というか、次の段階はあるなというふうには思っているんですね。
江原 でも、シュタイナーは日本もなくなると予言していましたよね(笑)。
鎌田 まあ、それは小松左京も言っているからね、『日本沈没』で(笑)。
「人類の滅亡は自然の営みでもある」では、江原氏が「ルルドの奇跡」を取り上げ、「フランスのルルドという村で、ベルナデッタという14歳の少女が、ルルドの聖母マリア――ベルナデッタ自身は「無原罪の宿り」と言っていて、聖母マリアとは言ってないんですよね――に出会う。最初は誰も信じなかったんですけれど、聖母に「真理の水で清まりなさい」と言われて、井戸を掘ったら水が出てきた。それから周囲の人たちも信じるようになったわけですね。それがいつの間にかその水に触れたり浸かると病気が治るということになったのは、いかにも現世らしい誤謬です。でも、あのメッセージは、たんに水に触れるという物質的なことではなくて、真実の生き方をして自分が清まりなさいと言っているんだと思います。要するに、水に触れれば病気が治るということじゃなくて、自分自身がこの世の真理をしっかりと突き詰めて清まりなさいという意味だと、私は思っています」と語り、これを「摂理」と呼んでいます。
江原氏の発言に対して、鎌田先生は「摂理という言葉が適切かどうか分かりませんが、神道的に言うと『産霊』ですね。ただ産霊というのは、人間的なスケールを超えているものですから、なかなか解釈しがたいんですね。いまのルルドの話でも、ヒューマン・スケールで救済だとか、あるいは倫理的に何をすべきかとかというふうになっているわけですが、でも、生命存在とか人間の存在そのものはもっと大きいスケールの産霊の力の中にある。だから、人間の思慮では及ばないので分かりようがない、というのが私の中に根本的にあるし、ある意味ではそれに委ねているんですね。そして同時に、ヒューマン・スケールの中でもいろんなメッセージを我々は聞き取ることができる。これはどんな状態でも可能です。たとえば、私が監獄に入っていても空海と対話できると思っているし、江原さんもそうだと思うんですけど、本当にこの人の話を聞きたいと思う人たちとの対話は可能だと思っているんですね」
「笑い」についても言及されています。江原氏は、「笑いはお祓いでもありますね。天岩戸に隠れになった天照大神を引き出したのも、天宇受売命の舞を見て、八百万の神々が大笑いをしたのがきっかけでした。神の光でもあり、太陽でもある、天照大神が芸術の起源でもある天宇受売命の舞と八百万の神々の笑いで再び世界を照らし始める。これは心霊の神とも言われている思兼神の知恵がきっかけにもなっていますから、世界が暗闇に閉ざされたときに必要なのは、神聖な知恵やインスピーションとつながり、芸術、芸能が生み出す“面白”に触れて、笑いというお祓いができれば、再び暗闇に陽が差してくるのだと思います」と述べています。
江原氏の発言を受けた鎌田先生は、「実は、神聖エネルギーというのは贈与的に与えられ続けているんですよね。私自身、がんになって死を光源として生きるようになって、その辺がはっきり見えてきました。だから、私はすごく楽になったんです。余計なものを考える必要がなくなったというか、もうできないことはできないんだから、と。なにしろ、半年前に余命3年と言われているから、残りのあと2年半で自分が面白くやるべきことをやって、そしてあちら側に行けばいいだけのことですから。もちろんで終わりじゃなく、あちら側にも次の展開がある、そんなふうな感じですね」と述べています。江原氏が「私もそうなったらあっちへ行きたい(笑)」と言えば、鎌田先生は「最近、『長生きしてください』とかって言われるんですけど、この世に長くとどまりたくないという気持ちがずいぶん強くなっています。妻には申し訳ないし、周りにも申し訳ないけど、自分がやるべきことはすべてやった、だからいつ死んでもいい、長々と生き続けたくないなという気持ちはけっこう強くあります」と語るのでした。
鎌田先生は、江原氏とTV番組「オーラの泉」で共演した美輪明宏氏についても言及し、「私は17歳、高校3年生のときに美輪明宏さんの『紫の履歴書』を読んで本当に感動したんです。それで受験勉強の合間に『紫の履歴書』について40枚くらいの論文を書いた。それぐらいあの人が言っていることが私の中に刺さったので、メッセージをリアクションとして生み出そうとしたわけですね。そのときに思ったのは、生きていく上で真実をごまかさないで生きていくということでした。江原さんもそうだと思うんですけれど、美輪さんもごまかさないで生きてきた、1つの見本だと思うんですよね」と述べています。
第3部「【鼎談】江原啓之×鎌田東二×髙木慶子 この世のすべてはギフト」では、鎌田先生は日本スピリチュアルケア学会が「美輪さんや江原さんの提唱する『スピリチュアル』と一線を画した」ことに対してずっと違和感を抱えていたといいます。2024年、同学会の設立者の1人である髙木慶子シスターから、シスター自身も誤解していたことで、いつかきちんと江原さんと話をしたい気持ちがあると伝えられました。そこで鎌田先生が仲立ちとなり、江原氏と髙木シスターの対面が叶うこととなりました。髙木シスターは、最初に「私が『日本スピリチュアルケア学会』を立ち上げたかったのには2つの理由があるのです」と語っています。
2つの理由とは何か。髙木シスターは、「それは江原さんたちのような、カリスマティクというか、特別な能力を持っていらっしゃる方々――東北のイタコとか沖縄のユタの方たちもそうですね――のケアによって多くの人たちが平安と喜び、幸せを感じていらっしゃる。それはとても大事なことだし、私はそういう方々を認めています。でも、そういうスピリチュアルというのは、私たち普通の者にはできないのですね。だから、そういう特別な能力を持っていない私たちがどういうふうにしたら魂の痛みや疼きをケアすることができるのか、それを学術的に研究して、いろいろな方の意見を吸い上げながら一つの学会をつくりたいと思いました。その中で強調したかったのは、私たちは絶対ではない、スピリチュアルケアに関するいろいろな分野を認めながらやっていきたいということだったのです。そして、もう1つ大事なことは、スピリチュアルケアは決してターミナルケアのときだけのものではないということです」と述べています。
「スピリチュアルは魔法ではない」では、以下の対話が展開されます。
江原 私はいろいろな講演でも話すのですけど、たしかに私は生まれながらにある種の特異な能力は持っています。でも、私は魔法使いではありません。この差を理解していただかないと困るんですね。それでも、多くの人は私に『オズの魔法使い』のような魔法を望むんです。たとえば、この世を去る人の魂を引き止めることはできません。ただ、その人の生きてきた意義とか意味とかは視ることができる。医療で言えば、レントゲンなんです。ある病理を発見するための道具ではあっても、治療はできない。治療はお医者さまがすること。
鎌田 見立てや診察はできるけど、治すことはできない。
江原 そうです。要するに、私はレントゲン技師のようなものなんです。ですから、私自身は上に立って治療しようなんてひと言も言っていないんです。でも、メディアの力もあって、世の中ではむしろ違う視点で捉えられてしまいました。
そもそも、江原氏はなぜこういう道に入ってきたかのか。江原氏は、「やはり一番の要因は両親が早くに亡くなっていることですね。父が四つの頃で、母は15のとき。それから一人で生きてきたようなところがあるわけですから、ある意味でスピリチュアルペインをずっと抱えてきたのだと思います。そこで、自分自身の特異な能力に救われたことも確かにあります。でも、それは副産物にすぎないんです。鎌田先生には國學院大學で教えを受けましたけれども、実は國學院在学中に、私は聖フランチェスコを描いた映画を観て大変に感動して、第二部でお話ししたように、アッシジにも行きました。それからサン・ジョバンニ・ロトンドのピオ神父のところにも行きました。ピオ神父も特殊な能力をお持ちであったがゆえに、苦しんでこられたのですよね」と述べています。
また、髙木シスターのルーツについて、以下の対話が展開されます。
鎌田 私は、髙木先生をずっと尊敬してきて大切に思ってますが、髙木先生ご自身も実は江原さんと似ていて、先駆者、預言者的なんですよ。そういう性質を持って生まれてきたので、もしなんらかの機会があったら、髙木先生もそうした霊性や力を発揮し生かすような場面があったかもしれない。髙木家は、浦上キリシタンの中心人物であった仙右衛門さんから250年以上続く筋金入りのキリスト教徒ですから、髙木先生はキリスト教という文化の枠の中でずうっと生まれ育ったわけですね。しかもご自身、少女時代にイエス・キリストのメッセージを受けている。中学1年、12歳の頃でしたか?
髙木 中学2年生です。
鎌田 中学2年生のときに熊本城の前を歩いていたらイエス様の声を聞いたということが最初の神様との鮮烈な具体的接点だったわけですね。そういう意味でも、非常に江原さんや美輪さんと共通の基盤を持っている。
「スピリチュアルとは魂である」では、江原氏が「スピリチュアリティをどう訳すかというのは非常に難しいことだと思うのですが、私の場合は神道を学んでいますので、そこからするとやっぱり『魂』なんですよね。魂というものもまたどのように理解していくかというところが難しいのですけれども。神道の中では、魂、御霊といっても、和魂とか荒魂とか、いろいろ分かれるわけです。ですから、人によってそれぞれ魂についての捉え方はさまざまだと思いますが、ざっくばらんに言うと、『魂というものは永遠である』。私はただただ単純にこのことしか言っていないんです。それがすべての救いになると思って活動している。ですから、なにも難しいことを言っていないし、やっていない」と語っています。
江原氏の発言について、髙木シスターは「いま江原さんは『魂』という言葉をお使いになりましたけど、私も日本語にするならば、『魂』という言葉だと思います。そして、魂というのを1人1人が持っていて、その表現は1人1人違ってくる。でも、それでいいのだ。ただ、魂を持っているということが大事なのですね。その魂が、自分のしていることに対して、いいことだなあ、悪いことだなあと。またいいことをしたときに、にこにこっと笑って、誰にも知られないで心ひそかに喜んだり、悪いことをしたときに、人知れず涙を流す。人間が生きていくというのは、魂の動き、働きなのだろうと思います。魂は永遠に生きていくという」と語っています。
鎌田先生は、「私は、髙木先生、島薗先生という縁があったから上智大学にいることができた。上智大学には非常勤を含めると10年間いたわけですが、そこで感じたのは、私にとって髙木先生は真のシスター、大姉様なのだということです。シスターというのは修道女という意味のシスターではなくて、姉様、それも小姉様じゃなくて大姉様です」と述べます。すると、髙木シスターは「鎌田さんは私をお姉さんと思ってくださっているそうですが、私にとっての鎌田さんは、オーバーな言い方かもしれないですが、唯一魂が通じる方なんです。私、いろいろな知り合いがおりますけれど、中でも鎌田さんは、私の言葉をそのままキャッチしていただいている方だと思っています。というのも、私の痛みをそのまま受け止めていただいているなというのが伝わってくるからです。私たちはいろいろな方と話し合いをしますが、私の伝えたものをそのまま受け止めてくださったなというのが伝わってくるかどうかというのが、とても大事なことだと思うんです」と述べています。
ここで、髙木シスターが江原氏を直撃します。
髙木 江原さん、1つ伺いたいんですけど、霊が視えますか?
江原 視えることがあります。
髙木 それは大きな恵みですよ。ギフト。
江原 もちろんギフトと思うこともあるけれども、それによって苦しいことのほうが多かったですね。
鎌田 シックスセンシズですものね。そういうのが視えることによる悲しみも、苦しみも。
江原 たとえば、スピリチュアルケアという部分で、メディアもそうだし、現実の舞台でそうなんだけれども、公開のカウンセリングとかを行うわけです。昔は個別にやっていたこともありますが、いまは公開でやっています。みんなが見ているところでやったほうが、みんなが学べるから。そういう場所には、愛する人を失った人たちもたくさん来られていて、その方たちに亡くなっている方からのメッセージをお伝えするのですが、これはその方たちにとってはとても嬉しいカンフル剤なんですね。でも、カンフル剤って使い過ぎると危険なんです。
「あとがき」で、鎌田先生は江原氏について「江原啓之さんは、1985年4月から2年間、國學院大學別科の神職養成課程で学んでいた。授業は夜なので、朝から夕方までは世田谷区の北澤八幡神社で神職見習いとしてお手伝いをしていたはずだ(そのことは本書の第一部である程度語られている)。一方、わたしの方は、1980年3月に國學院大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程を単位取得満期退学して、1983年10月から國學院大學文学部の非常勤講師として『倫理学』と『日本倫理学史』を担当していた。という次第で、1985年4月からの別科の『倫理学』の授業で江原啓之さんと会っていたことになる」と述べています。わたしは江原啓之氏という方にお会いしたことがありませんし、「オーラの泉」も観ていません。
『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)
わたしは「霊」よりも「礼」に関心があります。霊を見るということはギフトかもしれませんが、そこから自分を高め、社会をどう良くすべきかを考え、かつ行動することが大切だと考えています。その意味で、霊を見る「霊能力」よりも、他人に思いやりを示すことができる「礼能力」(この言葉は鎌田先生の発案です)の方がずっと大事ではないでしょうか。鎌田先生とは、『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)という対談本を世に問いましたが、鎌田先生にはつねに「世の中を良くしたい」「未来を明るくしたい」という志があり、わたしは心から尊敬しています。
鎌田先生には「未来を創る」志がある!
本書『未来が視えない!』を読んで感じたのは、江原氏はあくまでも受動的であり、鎌田先生は能動的であるということです。江原氏は「未来が視えない!」「どうしてこんなに通じ合わないんだろう?」と嘆きますが、鎌田先生は「より良き未来を創ろう!」「通じ合うためには何をすべきだろう?」と前向きに行動しているからです。いずれにせよ、‟魂の義兄弟“である鎌田先生から献本された本書によって、江原氏の考えを知ることができました。御縁があれば、いつの日かお会いすることもあるかもしれません。江原氏に、その未来は視えるでしょうか?