No.2450 人間学・ホスピタリティ 『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』 三宅香帆著(新潮新書)

2026.03.08

「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』三宅香帆著(新潮新書)を読みました。著者は、1994(平成6)年高知県生まれ。文芸評論家。京都市立芸術大学非常勤講師。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中退。主に文芸評論、社会批評などの分野で幅広く活動しています。一条信也の読書館『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で紹介したベストセラーで一躍“時の人”となり、NHKの紅白歌合戦の審査員まで務めた著者の新作ですね。

本書の帯

本書の帯には「うまく話す人は、うまく読む。」と大書され、「『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』著者のインプット術を大公開!」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には、以下のように書かれています。
第一部 技術解説編
●エンタメは、社会や人生の「ネタバレ」である
●「話が面白い」は最強のスキル
●「鑑賞の技術」とっておきの5つの方法
●読解力があればコミュニケーション上手になれる
第二部 応用実践編
●欲望と格差が引き起こす人間ドラマ
――『地面師たち』『パラサイト』
●「ここ」を肯定して生きる
――『成瀬は天下を取りに行く』
『桐島、部活やめるってよ』『アマちゃん』
●息子であり、父であり、夫ではない男たち
――『君たちはどう生きるか』『街とその不確かな壁』
●今なぜSFがウケるのか
――『三体』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』ほか
「話が面白くなるブックリスト」つき!

本書の前そでには、「『とっさに言葉が出てこない』『アイスブレイク的な雑談が苦手』『飲み会で昔の話ばかりする大人になりたくない』・・・・・・そんな時、話題の本や漫画、最新の映画やドラマについて魅力的に語れる人は強い。社会や人生の『ネタバレ』が詰まったエンタメは、多くの人の興味も引く。ただ、作品を読み解き、その面白さを伝えるには、実は『コツ』がある。気鋭の文芸評論家が自ら実践する『「鑑賞」の技術』を徹底解説!」と書かれています。

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「まえがき」
第一部 技術解説編
1 話が面白いという最強のスキルについて
2 味わった作品を上手く「料理」してネタにする
3 具体例でわかる! 物語鑑賞「五つの技術」
4 「鑑賞ノート」をつけてみよう
5 読解力があればコミュニケーション上手になれる
第二部 応用実践編
1 〈比較〉ほかの作品と比べる
2 〈抽象〉テーマを言葉にする
3 〈発見〉書かれていないものを見つける
4 〈流行〉時代の共通点として語る
5 〈不易〉普遍的なテーマとして語る
「あとがき」
付録「話が面白くなるブックリスト」

「まえがき」で、著者は「話が面白い人になるには、本や漫画などを読むことが必要だと思う。だけど、ただ漠然と読むだけでは、読んだだけで終わってしまう。大切なのは、読み方だと思います。ただ読むのではなく、本や漫画やドラマや映画を『鑑賞』として取り入れることが、必要です」と述べています。「鑑賞」の技術について、著者は「つまり、読んだもの観たものを、『ネタ』に変える技術。話が面白い人は、そもそも他人が話すことのネタを本で知っている、つまり『ネタバレ』しているんですよ」と述べています。

だからこそ、他人から話されたことも「ああ、あの本に書いてあったことと似ているな」「じゃあこういうふうに返そう」など、とっさに答えが出ているとして、著者は「予習済みの授業で当てられるようなものです。あるいは、他人に話すときも、すでに本で仕込んでいる『ネタバレ』済みの知識があれば、どこをどう話せば面白くなるかがわかる。教養があるとは、社会や人生の『ネタバレ』をたくさん知っているということ。だから教養のある人は話が面白いのだと思います」と述べます。「話のネタ帳だと思って、本を読んでほしい」という著者は、「すべての読書はネタバレなのです。教養のある人の話が面白いのは、漫才のネタを仕込むように、話すネタを仕込むための読書をしているからです」とも述べています。

話の面白い芸人や上司は、年齢を重ねても、インプットを重ねているといいます。読むことで、人として、アップデートができるわけです。著者は、「チャット式のAIがどれだけ発達しても、飲み会で使える返答をささやいてはくれません。だけど、教養は、知識は、読書は、あなたの頭のなかで勝手にささやいてくれるAIの元ネタとなる。正しさや賢さで人間はAIに勝てない。だけど、面白さではAIより人間のほうが、上回るかもしれないのです。なぜなら、AIは話が面白くなる知識の得方をしていないから」と述べます。

第一部「技術解説編」の1「話が面白いという最強のスキルについて」では、著者が大学の文学部で文学研究をしていたとき、「大学院に進もうかな」「そうなると研究者志望になるので、今後は貯金のない人生を歩みかもしれない」と悶々としていたことを告白。そんなときに『千夜一夜物語』を読んでこう思ったそうです。「そうか、お金がなくても、社会的に弱い立場でも、異性に力で勝てなくても、話の面白さがあれば自分の身は自分で助けることができるのか、と。話が面白いって、最強じゃないですか? どんなに弱い立場でも、話が面白ければ、耳を傾けてもらえたりする」と。

昨今「論破」という言葉が流行っていますが、著者はあれはちょっと嘘だと思うそうです。「論破」とは結局「話を面白くすり替える」技術である、と。というのも、「ネットで誰かが論破している様子を見ていると、だいたい、面白くない話を面白くしているんです。あれは決して本当の意味で論破しているわけではありません。それだけだったら面白くならないですし、面白くない論破はしてもたいして意味がないんですよね。話を面白くしているからいいんです。そう考えると、本当に大切なのは、話が面白いことであると」と述べます。

2「味わった作品を上手く『料理』してネタにする」では、何かを詠んだとき、それを「ネタ」にするためには、以下のプロレスが必要であるといいます。
①〈比較〉ほかの作品と比べる
②〈抽象〉テーマを言葉にする
③〈発見〉書かれていないものを見つける
そして、この①~③ができると、さらなる応用編として
④〈流行〉時代の共通点として語る
⑤〈不易〉普遍的なテーマとして語る
が可能になるそうです。

3「具体例でわかる! 物語鑑賞『5つの技術』では、5つの技術のうち「①〈比較〉ほかの作品と比べる」について、「『となりのトトロ』と『ハリー・ポッター』を比較すると、日本の『トトロ』は『バス』、イギリスの『ハリー・ポッター』は『汽車』が異空間に連れて行ってくれている。ネコバスは昔からいる前近代的な妖怪のような存在であるのと比較して、ホグワーツ特急はむしろ産業的で未来的なインフラのような存在。・・・・・・ということは日本とイギリスの『ファンタジー世界』が担っているものが違うのかも!?」といった具体例を挙げています。

5「読解力があればコミュニケーション上手になれる」では、比較、抽象、発見、流行、不易という5つの技術は、どんな会話でも使えることを強調します。つまり質問された時に「ん? これはどういうことを聞かれてるんだ?」と考えたとき、
・比較「●●と比較してみてどうだろう」
・抽象「●●ということが聞きたいのか?」
・発見「●●については聞かれていない、ということは〇〇を知りたいのか!」
・流行「●●について最近よく聞かれるなあ」
・不易「●●の質問は、昔からよく聞かれます!」
など、どれかたに当てはめたら、相手が真意がわかるというのです。

第二部「応用実践編」の1「〈比較〉ほかの作品と比べる」の「息子であり、父であり、夫ではない男たち――『君たちはどう生きるか』VS.『街とその不確かな壁』」では、著者は「スタジオジブリの映画『君たちはどう生きるか』が話題である。宮﨑駿監督の最新作だ。公開当日、私は映画館で本作を観ながら、ある作品を思い出していた。村上春樹の『街とその不確かな壁』である。この2つの作品――アニメーションと文学、どちらの分野でも『巨匠』と呼ばれる作家による、1940年代生まれのふたりの2023年最新作――の共通項は何か。それは『母がヒロイン』であることなのだ」と述べています。

2「〈抽象〉テーマを言葉にする」では、「ケアの倫理の物語」として、九井諒子著『ダンジョン飯』とカトリーン・キラス=マルサル著『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? これからの経済と女性の話』を取り上げます。スウェーデン出身のジャーナリストであるカトリーン・キラス=マルサルは、経済学は「お金を得るために、肉屋は肉を売り、客は肉を買うことで、ステーキを得ることができる」と考えました。つまり、肉屋はお金を得るため、客はステーキを得るために、肉とお金は交換されます。それは全員自分の欲望に忠実に動くからこそ成り立つ契約です。著者は、「したがって、経済学は人間全員を利益を得たいという欲望を持った存在として考える。経済とは、人間が欲望のままに動くからこそ、成立するものなのだ。アダム・スミスはそう言ったらしい」と述べています。

しかし著者はこうも言います。「だが、考えてみてほしい。客が肉をステーキとして食べるには・・・・・・ステーキを焼く人が必要になる。アダム・スミスの食事は生涯母親がつくっていた。アダム・スミス自身がステーキを焼いても良かったはずなのに、母親が焼いた。それは母親が彼のケアをする役割を持っていたからだ。母親は息子からステーキを焼くお金をもらっていたわけでもないのに、息子にステーキを焼いた。みんながごはんを食べるために、誰かがステーキを焼かなければいけなかったからだ。それを人は『ケア』と呼ぶ」とも述べます。ケアは経済学ではないものとされます。肉を買えばステーキを食べられると思っています。しかし本当は、その間に、無償でステーキを焼いている人が存在しているのです。著者は、「家族の中でおこなわれるケアは、お金にならない。それでも人々がケアをするのは、それが倫理的なふるまいだからだ。ケアは、利己的な欲望から成り立つものではない。倫理的な義務から成り立つものだ」と述べるのでした。

「父性の在り方を問う物語――『不適切にもほどがある!』『喫茶叔父さん』」では、著者は性的加害問題を中心としたコンプライアンスについて言及し、「あえて時事ネタと紐づけるならば、お笑い芸人の松本人志や、旧ジャニーズ事務所の性加害問題もまた、『父性』が既に時代遅れになり、しかし新しい『父性』は存在し得るのか、という問いに繋がっているように感じる。父性とはつまり家族の中だけの問題ではなく、組織の問題でもある。『おじさん』と呼ばれる存在になって、どう生きたらいいのかわからない。そう嘆く父親たちにとっての、ロールモデルは、まだ見つかっていない。しかし、その問いはたしかに、世の中で発され始めている」と述べています。

「ネットがつれてきた感情――『エレクトリック』『##NAME##』『ハンチバック』」では、著者は「Twitter、じゃない、Xが危ない。まさかTwitterという名称が変わり、鳥は飛び去り、つぶやきという言葉すら消え去るなんて、誰が想像したであろうか。諸行無常。響くさえずりも春の夜の夢のごとし。一方、そもそもインターネットとは諸行無常を原則とする空間だったのかもしれない、と芥川賞の候補作を読んで思う。というのも、2023年の上半期候補作5作品のうち、なんとインターネットを主題とする小説が3つもあったのだ。それぞれの小説が描き出す時代は異なり、同時に、それぞれの小説が描き出すツールも異なる。それだけインターネット文化の移り変わりが激しいということだ」と述べます。

4「〈流行〉時代の共通点として語る」の「右肩上がりの時代と若者たち――『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』」では、著者は金間大介著『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』という本が面白かったと告白しています。中でもとても面白かったのが、「今の若い世代は、たとえ褒められたとしても、みんなの前で目立つことを嫌う」という話でした。つまり「みんなの前で褒められる」ことは、みんなに嫉妬される可能性が増すことであり、それはつまりみんなに嫌われる可能性が増すことなのです。著者は、「昔だったら、たとえ他人に嫌われたとしても、褒められる=評価されることのリターンがより大きかった(会社だったら出世するとか、学校だったら良い成績が残せてよい就職を得られるとか)。しかし今は、他人に嫌われることがなによりもリスクになるのだ」と述べています。

他人に嫌われることがなによりもリスクになるという時代背景についてもっと構造的に説明したのが、『「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの』(土井隆義、岩波ブックレット)でした。同書は映画『君の名は。』やRADWIMPSの曲などを用いながら、現代の若者の生き方について説いた書籍である。これによれば、昔よりも今のほうが人間関係こそが幸福をもたらすという感覚がずっと強まっているといいます。さらに人間関係が自己肯定感により大きく影響するというのです。

そんな時代背景について、著者は「私たちは立身出世による幸福を無邪気に信じられるほど、右肩上がりの時代に生きているわけではない。むしろ国として右肩下がりになっていこうかという時代に生きている。だとすれば、狭くとも、身のまわりの人間関係のなかでうまくやっていく方法を見つけようとするのは、当然のことなのだ――そう、どちらの書籍も説いている。一見、今の若い世代が人間関係の良好さを重視するのは、SNSが流行しているからとかポリティカルコレクトネスが重視されるからとか思うかもしれない。が、実は景気や社会不安の問題らしい」と述べるのでした。

5「〈不易〉普遍的なテーマとして語る」の「物語は陰謀論に対抗しうるか――『方舟を燃やす』『女の国会』『一番の恋人』」では、村上春樹『1Q84』をはじめとして、平成以降の日本において「物語は陰謀論に対抗し得るのか?」という主題は脈々と受け継がれてきたことが指摘されます。陰謀論は時代によって姿を変えます。たとえばオウム真理教の言説や、ノストラダムスの大予言、反ワク・・・・・・さまざまな現象の中で、手を替え品を替え「この世界を悪化させている巨大な敵をつくる論理」を社会は探し続けているとして、「『方舟を燃やす』は、日本の昭和、平成、令和の時代史をたどりながら、その論理に溺れる人々を描く。そして彼らは私たちの写し鏡でもある」と述べます。

そして、著者はさまざまな陰謀論について、「戦争が起きれば、黒幕は誰か、と犯人探しを始める。選挙があれば、政策内容よりも候補者の人柄――特にその悪い側面にスポットライトを当ててしまう。なぜか私たちは、何か事が起きた時の原因を、システムではなく誰かひとりの人間の問題に、収斂させてしまう。どうしても人間は誰かに敵役を押しつけたくなる。そのうえで『方舟』を探したくなる人々は、どうすれば幸せを手に入れられるのだろう」と述べるのでした。わたしも 一条信也の読書館『方舟を燃やす』で書評を書きましたが、角田光代のこの小説は「陰謀論」というグロテスクなウイルスに冒された時代を象徴する物語であると思います。そして、そのウイルスから逃れるには「文学」よりも「哲学」というワクチンが必要であるという気がしてなりません。