No.2340 評伝・自伝 『91歳5か月』 岸惠子著(幻冬舎)

2024.07.30

現在、パリ五輪が開催中。パリといえば、岸惠子!
『91歳5か月』岸惠子著(幻冬舎)を読みました。「いま想うあの人 あのこと」というサブタイトルがついています。著者は、女優・作家。横浜市出身。『君の名は』『亡命記』(アジア映画祭主演女優賞)、『おとうと』(ブルーリボン賞主演女優賞)、『怪談』、『細雪』、『かあちゃん』(日本アカデミー賞最優秀主演女優賞)など数多くの名作に出演。24歳の時、結婚のため渡仏。四十数年のパリ暮らしの後、現在はベースを日本に移しながら、フランスと日本を往復して活動の場を広げている。海外での豊富な経験を生かして作家、ジャーナリストとしても活躍。1983年『巴里の空はあかね雲』で日本文芸大賞エッセイ賞、94年『ベラルーシの林檎』で日本エッセイストクラブ賞、2017年菊池寛賞を受賞。11年フランス共和国政府より芸術文化勲章コマンドールを受勲。13年に刊行された『わりなき恋』は28万部を超えるベストセラーに。著書に『風が見ていた』『私のパリ私のフランス』『愛のかたち』『孤独という道づれ』など。

本書の帯

本書のカバー表紙には、美しく着飾った著者の写真が使われ(91歳とはとても思えない美しさ!)、帯には「私に、輝きや翳りを刻んだ人生の物語」「身体能力は磨り減るものなのよ。それを受け入れて、結構いい人生だったんじゃないの」「女優として作家として、母として」「『豊饒な孤独』を生きる女の悲喜こもごも、全18話」と書かれています。

本書の帯の裏

帯の裏には「時代は変わった。今を生きる若い世代にも読んでほしい……と願っています」「◎この本に登場する方◎」として、「鶴田浩二さん/萩原健一さん/中曽根康弘さん/石原慎太郎さん/瀬戸内寂聴さん/原田芳雄さん/佐田啓二さん/中井貴一さん/三國連太郎さん/佐藤浩市さん/小津安二郎さん/美空ひばりさん/力道山さん/川端康成さん ほか」と書かれています。

アマゾンより

また、カバー前そでには、「月日は容赦なく流れ、私は九十歳になってしまった。(中略)切れた息を深々と吸い、暮れなずむ夕空を眺めながら、人生晩年の一日にまた陽が沈むと、やるせない自覚をした。『身体能力は磨り減るものなのよ。それを受け入れて、結構いい人生だったんじゃないの』沈みゆく太陽が私にやさしく笑いかける。『褒めてくれるんだ』。めげない私も、思わず微笑みながら、入陽のぬくもりに身をゆだねた。(「高齢者の自覚」より)」と書かれています。

本書『91歳5か月』の「目次」は、以下の通りです。
「ベコ」という女性
エコちゃんという人
高齢者の自覚
初恋 鶴田浩二さん
萩原健一のこと
巴里で読んだ『竜馬がゆく』 父と司馬遼太郎さん
セーヌ河畔のベンチにて 中曽根康弘さん
『俺は、君のためにこそ死ににいく』 石原慎太郎さん
ご近所さまの景色
横道 小田実さん、瀬戸内寂聴さん
「維新の偉人 坂本龍馬」 原田芳雄さん
親子で大スター 佐田啓二さん、中井貴一さん
親子で大スター 三國連太郎さん、佐藤浩市さん
小津安二郎監督
一本の鉛筆があれば 美空ひばりさん、松山善三さん
昭和の男の身繕い 大野良雄さん
力道山の笑顔
ノーベル賞授賞式での雄姿 川端康成さん
終わりに

正直言って、本書は一条真也の読書館『岸惠子自伝』で紹介した本の焼き直しが多い印象でした。鶴田浩二や力道山のくだりなどは、そのままでしたね。しかしながら、著者の人生そのものがあまりにもドラマティックなので、何度読んでも興味深かったです。わたしは文才のある美女が大好きなのですが、著者の岸惠子氏はまさに理想の人です。なにしろ、女優として日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しながら、作家として日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているのですから。こんな才色兼備の女性は他にいません。

本書に書かれているエピソードの数々は『岸惠子自伝』の内容と重複するものが多いですが、中には本書オリジナルの逸話もありました。その1つが「萩原健一(ショーケン)のこと」に書かれたエピソードです。母親の訃報を受けて帰国した著者が万感の思いで胸が塞がれている時に、玄関のドアをガラリと開けて、人がずかずかと入ってきた人物がいました。ショーケンでした。著者と共演したことをきっかけに、ショーケンは著者の実家に出入りし、著者の母親とも懇意になっていたのです。

そのときの様子を、著者は以下のように書いています。
「私には口も利かず、母の棺の前に座り込んだ。合わせた手に涙がこぼれた。『おかあさん、たった一人で逝ったんだって! ぼくになぜ報せてくれなかったの。ぼくをあんなに可愛がってくれていたのに』『私もアフリカにいて知らなかった。あなたはどうして……』『松原小幸さんが今、報せてくれた。飛んできた』ショーケンが私の日本にいない時も、よく母を訪ねてくれたのは知っていた。家が近かった。『「おかあさん、腹減った。何か食べさせてくれ」って裏口から入ってきて、お土産をぶらぶらさせながら炬燵に潜り込むショーケンはほんとに可愛かった』とよく母が言っていた」

著者とショーケンが共演した映画というのは、斎藤耕一監督の『約束』(1972年)です。素晴らしい傑作で、ショーケンの出世作となりました。影のある女を演じた著者が本当に美しく魅力的で、わたしの大好きな日本映画です。著者の出演作の中でも一番好きです。同作のオファーを最初に受けたとき、著者はパリで暮らしていました。多忙だったこともあり断ろうと思っていましたが、結局は斎藤耕一監督の熱気にほだされて来日しました。著者は、「羽田だったか、成田だったのか飛行機を降りた私を迎えてくれた関係者の中に、少年とも青年ともとれる、際立った存在で立っていたのがショーケンだった。初めて作ったという渋い背広を着てネクタイを締めていた。少年にしてはやけに様になっていた。(服装のセンスは大人っぽくて抜群)私の第一印象だった」と書いています。

また、「セーヌ河畔のベンチにて 中曽根康弘さん」に綴られた中曽根元首相とのエピソードも興味深かったです。当時のパリ市長はシラック氏でしたが、パリで「シラック対中曽根康弘の演説会」に行った著者は、「中曽根さんは、控えている通訳者に囁いた。近くの席にいた私にそれが聞こえてしまった。『すいませんが、原稿破棄してください。アドリブでいきます』シラック氏の演説に退屈しているのを見てとった彼の即断に、私は感心した。中曽根さんは、まず若い頃観たフランス映画から話をはじめた。シラック氏の四角四面な硬さに対して、にこやかでリラックスしていた。演説のはじめに出た『天井桟敷の人々』や『舞踏会の手帖』は私も感動した映画だった。ところが若い通訳者は、映画通ではないらしく『えっ? えっ? えっ?』とうろたえた」と書いています。中曽根元首相はその様子を見て、「失礼、世代が違うかな?」と日本語で小さく言ってから、一言ひとこと区切って、見事なアクセントで『「Les Enfants du Paradis(天井桟敷の人々)」、「Un Carnet de Bal(舞踏会の手帖)」などは素晴らしかった』と言ったそうで、滑らかなフランス語に聴衆は沸いたといいます。

中曽根元首相のスピーチは洒落あり、皮肉あり、愛嬌あり、時の話題をさらっていたイヴ・モンタンを軽くからかったりで、素晴らしかったそうです。満場の聴衆の爆笑と喝采を浴びたそうですが、著者は「ただ鮮やかに思い出すのは、セルフサービスだった席から、ボーイさんも煩わせず彼は自ら3回も、長いテーブルに山盛りに並んだ山海の珍味を取りに行った。「よく、召し上がりますね」と驚いた私に彼は笑った。『長いことローヤにいましたからね。腹が空いています』政府をローヤと称したことに感心したりもした。3回目のお皿は大盛りのカレー・ライスで、中曽根さんは『美味い!』と言ってパクパクと食べた」と書いています。わたしも中曽根元首相とは会食させていただいたことがありますが、すでに80代のご高齢であったにもかかわらず、大きなステーキをペロリと召し上がった姿を記憶しています。健啖家でエネルギッシュな方でした。

「終わりに」では、著者は小津安二郎監督没後60年の記念番組として放送された『東京物語』(1953年)を観て、自らの「老い」に想いを馳せます。そして、「人生100年などという、とんでもない流行り言葉を日本は世界中で一番実践しているようである。心身ともに特別に恵まれている人でない限り、あるいは助けてくれる家族なり友人でもいない限り、今の人間にたった独りで100歳まで生き続けるのは無理だと私は思っている。日常的に運動している人は違うかもしれないけれど……」と書いています。

一度は切ったTVをすぐに点け直した著者は、『東京物語』で描かれる高齢夫婦の東京行きをあまりにも切なく観続けたそうです。この夫妻には4、5人の子供がいました。その連れ合い、無関心な孫たち・・・・・・親にいつまでも関わってはいられない状況が、小津安二郎監督の鮮やかな演出と妙技で、心を抉るほど伝わってきたといいます。著者は、「子供たちや孫に、どんな状況でもやさしいほほ笑みで接してきたおばあちゃんはその疲れか、尾道へ帰ると、寝付いてしまって目覚めないまま、68歳で旅立ってしまう。独り座り続ける笠智衆演ずる老父の呟きに胸がうたれた。窓辺で『お寂しくなりましたね』と言う近所の人が去る間際にぼそっと独り呟く。『一人になると、一日が長く感じられるようになりますな……』」と綴るのでした。

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