No.2404 児童書・絵本 『ぼくだったのかもしれない』 藤原ひろのぶ作・ほう絵(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)

2025.06.25

ぼくだったのかもしれない』藤原ひろのぶ作・ほう絵(発行:三五館シンシャ、発売:フォレスト出版)を読みました。わずか64ページの上製本です。基本的に絵本なのですが、写真と文章も掲載されています。最高にハートフルな一冊で、わたしのハートにヒットしました!

本書の帯

カバー表紙には、帽子をかぶった男の子の絵が描かれ、帯には黒い肌をした少年の写真とともに「彼の名前はリアド・ハサン」「バングラデシュに実在するストリートチルドレンの少年・リアドとぼくの、本当にあった物語」「『ぼく』は『あなた』かもしれない」とあります。

本書の帯の裏

帯の裏には、泣いている男の絵が描かれています。そして、「ぼくの暮らしと、バングラデシュのあの子の暮らしはつながっている。世界のつながりを考える、メッセージブック」と書かれています。

藤原ひろのぶ氏は、1980年大阪府生まれ。NPO法人GOODEARTH代表理事。大学卒業後、一般企業に就職するも3年で退社。社会のさまざまな問題に目を向ける中、「貧困」というテーマにたどりつく。ギニア、バングラデシュで現地雇用を創出するための事業を展開。現在は日本国内で年間300回以上の講演を行ないながら、バングラデシュで学校建設と食事支援を続けています。

本書の絵を描いたほう氏は、1979年、新潟県生まれ。書画作家(パステル、色鉛筆)。2000年より家族をテーマとした制作活動をスタート。2011年の原発事故以来、二児の母として守るべきものが守られない世界に疑問を持ち、イラストを用いてのメッセージ発信を開始しました。2014年、地元・新潟での初個展を皮切りに全国各地で個展を開催し、大きな反響を呼びました。藤原ひろのぶと氏の共作として『買いものは投票なんだ』『EARTHおじさん46億才』があります。

アマゾンより

本書を開くと最初のページにフードをかぶって空を見上げるリアド・ハサン君の写真が大きく掲載されています。帯の写真と同じものです。彼はバングラデシュ国ダッカ(県)キルガン・バサボ・ワハブコロニー(地区)出身です。彼の写真の横には、「これから始まるのは バングラデシュという国に実在する 路上で暮らす少年と僕が出会った物語」「駅のホームで眠り いつもおなかを空かせていたあの子」「『ねぇ荷物持つよ 5タカちょうだい』 重たい荷物を運び 手に入れたお金で なんとか暮らしていた」「お金もない 家もない カバンもない あの子はなにも持っていなかった」と書かれています。

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次にページをめくると、地球の上にバングラデシュ人の赤ちゃんと日本人の赤ちゃんが座っている絵が描かれています。地球の上には満月が輝いており、「おんなじ地球(ほし)の おんなじ時間(とき)に あの子とぼくは生まれました」と書かれています。2人は違う国の違う言葉で育ちます。日本の男の子は「あの子とぼくの生きてきた世界は ぜんぜんちがったのです」と思います。バングラデシュの少年は帰る家がなくて、駅のホームで寝ます。彼は働かないと、ごはんが食べられません。彼は1人で生きて、守ってくれる人がいないのです。

アマゾンより

ふしぎな糸電話を使ってバングラデシュの少年の暮らしを知った日本の男の子は、「あの子とぼくはなにがちがうの?」と思います。「生まれた場所がちがうだけで もしかしたら ぼくはあの子になっていたのかも」「もしかしたら あの子はぼくになっていたのかも」「もしかしたら あの子みたいに暮らしていたのは ぼくだったのかもしれない」と思うのでした。でも、「路上で寝ていたのは…ごはんが食べられなかったのは…ぼくだったのかもしれない」と思う「ぼく」でしたが、彼は無数の「あの子」たちに支えられて生きていたのです。

たとえば、「ぼく」も大好きであろうチョコレートを作るために必要なカカオの多くは、西アフリカのガーナとコートジボワールで作られています。約156万人の子どもがカカオ農園で働いていて、その多くが危険な環境で労働し、まともな収入を得ることができず、貧困に陥っています。著者の藤原氏は、「消費者が求める安価なチョコレートの背景にはこうした現実が存在します」と書いていますが、わたしはこの事実を一条真也の読書館『チョコレートの真実』で紹介した本で知って、非常にショックを受けました。世界中の子どもたちが大好きなチョコレートの存在を、カカオ農園で働く子どもたちは知らないというのです。でも、本書『ぼくだったのかもしれない』には、チョコレート以外にも、スマートフォン、コーヒー、安くたくさん作られる服、リチウム電池、大量に捨てられている食べ物、バーム油、プラスチックなどなど、先進国の人々のゆたかな生活が、いかに多くの人々の犠牲の上に成り立っているかという現実が明かされています。

わたしは、『ぼくだったのかもしれない』に書かれている、チョコレートからプラスチックに至る生産の背景を読んで、一条真也の読書館『君たちはどう生きるか』で紹介した吉野源三郎の著書の内容を思い出しました。同書は、題名通り「人生いかに生きるべきか」と青少年に問う感動的な内容ですが、じつはこの本、自然法則から人生法則まで、ありとあらゆる「法則」へのまなざしに満ちた法則本なのです。主人公は「コペル君」というあだ名で呼ばれる中学2年生の少年です。もちろん、そのあだ名は、天動説に対して地動説を主張したコペルニクスに由来しています。このコペル君の個人的な体験を素材に、「おじさんのノート」というかたちで、読者に社会に対する認識の仕方や倫理観などを語りかける内容です。なんと、図解入りでニュートンが発見した「万有引力の法則」についてもわかりやすく解説されています。

コペル君は銀座のデパートの屋上から地上の人々の動きを眺めながら身震いし、「びっしりと大地を埋めつくしてつづいている小さな屋根、その数え切れない屋根の下に、みんな何人かの人間が生きている!」と思います。それは、当たり前のことでありながら、あらためて思いかえすと、コペル君は恐ろしいような気がするのでした。コペル君の下に、しかもコペル君の見えないところに、コペル君の知らない無数の人々が生きているのです。そして、彼らは何かをしているのです。その不思議さを、コペル君はデパートの屋上で思い知ったのです。その後、コペル君は1つの発見をします。自分が赤ちゃんの頃に飲んでいた「オーストラリア製」と印された粉ミルクの缶を手にして、コペル君は牛の世話をした現地の牧場の人をはじめ、いかに多くの人々の営みが関係しているかを実感します。

コぺル君は、「僕は、粉ミルクが、オーストラリアから、赤ん坊の僕のところまで、とてもとても長いリレーをやって来たのだと思いました。工場や汽車や汽船を作った人までいれると、何千人だか、何万人だか知れない、たくさんの人が、僕につながっているんだと思いました」と思います。それから、電灯、時計、机、畳といった部屋の中にあるものを次から次に考えてみます。すると、どれもがオーストラリアの缶ミルクと同じで、とても数えきれないほど大勢の人間が、後ろにつながっていることに気づきます。あたかもそれは、一人ひとりの人間が分子として存在し、しかも、相互に編み目のように結びつきあっているようでした。かくして、コペル君はそれを「人間分子の関係、編み目の法則」と名づけるのです。大発見をおじさんに手紙で伝えたコペル君は、「人間分子の関係、編み目の法則」よりももっと良い名があったら教えてほしいと書き添えます。それに対して、おじさんは、「人間分子の関係、編み目の法則」とは、経済学や社会学でいう「生産関係」と同じであることを示すのです。

法則の法則』(三五館)

じつは、わたしは『君たちはどう生きるか』という本を拙著『法則の法則』(三五館)の中で詳しく紹介しました。その編集担当者こそ、中野長武さんでした。しかも、わたしは『君たちはどう生きるか』の主人公のコぺル君の面影を中野さんに重ね合わせて、「中野コぺル長武さん」などと呼んでいたのです。中野さん、おぼえていますか? そして、中野さんは現在、『ぼくだったのかもしれない』の版元である三五館シンシャの社長さんです。同社の前身である三五館からは合計17冊の拙著が刊行されており、その担当編集者が中野さんだったのです。その後、ベストセラーを連発する中野社長の活躍ぶりには心から敬意を抱いており、現在もメールをやり取りし、共通の趣味であるプロレスや格闘技の話題で盛り上がっています。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

中野社長はいつも新刊を送ってくれます。わたしは必ず目を通します。ブログや書評で取り上げる本を探してきましたが、ついにドンピシャの本が届きました。それが本書『ぼくだったのかもしれない』です。同書は献本していただいたものですが、添えられていた手紙には「『日記シリーズと森永卓郎シリーズだけではないぞ』ということで、こんな新刊を制作しました」と書かれていました。意気に感じました。わたしは、三五館シンシャから『ぼくだったのかもしれない』が刊行されたことを本当に嬉しく思っています。なぜなら、前身の三五館の社長だった星山佳須也さんの好みの内容で、いかにも星山さんが出版されそうな本だったからです。星山さんはベストセラー&ロングセラーになった『1000の風』や『メメント・モリ』をはじめ、多くのハートフルな本を世に送り出されてきました。「ハートフル」といえば、わたしが三五館から初めて上梓した本が『ハートフル・ソサエティ』(三五館)でした。

わたしが『ハートフル・ソサエティ』に書いた内容は、本書『ぼくだったのかもしれない』の世界に繋がっています。本書のメッセージを一語に完結にまとめれば、「他者に思いを寄せよう」ということでしょう。それは「思いやり」の一語に集約できます。わたしは、『ハートフル・ソサエティ』の中で、「思いやり」こそは、人間として生きるうえで一番大切なものだと多くの人々が語っていることを紹介しました。たとえばダライ・ラマ14世は、人を思いやることが自分の幸せにつながっているのだと強調したうえで、「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます。思いやりがあればこそ良心も生まれます。良心があれば、他の人を助けたいという気持ちで行動できます。他のすべての人に優しさを示し、愛情を示し、誠実さを示し、真実と正義を示すことで、私たちは確実に自分の幸せを築いていけるのです」と述べています。

また、あのマザー・テレサも、「私にとって、神と思いやりはひとつであり同じものです。思いやりは分け与えるよろこびです。それはお互いに対する愛から小さなことをすることなのです。ただ微笑むこと、水の入ったバケツを運ぶこと、ちょっとしたやさしさを示すこと。そういったことが思いやりとなる小さなことです。思いやりとは人々の苦しみを分かち合い理解しようとすることで、それは人々が苦しんでいるときにとてもいいことなのだと思います。私にとっては、まさにイエスのキスのようなものです。そして思いやりを与えた人が自分の思いを分け与えながらイエスに近づくというしるしでもあります」と語っています。ここで注目すべきなのは、ダライ・ラマはブッダの教えを、マザー・テレサはイエスの教えを信仰する者であるということ。異なる宗教に属する2人が、「思いやり」という言葉を使って、まったく同じことを語っています。

コンパッション!』(オリーブの木)

仏教の「慈悲」、また儒教の「仁」、キリスト教の「隣人愛」まで含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「思いやり」という一語に集約されるでしょう。その「思いやり」はここ最近、「コンパッション」という言葉で呼ばれることが多いです。わたしは『コンパッション!』(オリーブの木)という本を書きましたが、推薦の辞を寄せていただいた東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生は、「コンパッションは『利他』とも関わりが深い。現代社会は個々人が自利を追求するのに汲々とせざるをえないようなところがある。まず自分を、そして家族や仲間や従業員を守るのにせいいっぱい。それなら許せるが、そこまで富を蓄積したり、力を行使しなくてもと感じることも多い。そこで忘れられているのは、他者とともに生きていることの大切さだ。これが現代社会で『利他』が求められる理由で、コンパッションが求められる理由と重なっている」と書かれています。

慈経 自由訳』(三五館)

コンパッション!』にも書いたのですが、「コンパッション」の精神は、はるか昔、『慈経』というお経に記されました『慈経』は、仏教の開祖であるブッダの本心が、シンプルかつダイレクトに語られた教えです。ブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。8月の満月の夜、月の光の下、『慈経』を弟子たちに説いたといわれています。数多くある仏教の諸聖典のうちでも、『慈経』は最古にして最重要なお経とされています。上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教の『般若心経』に比肩するものです。わたしは、本邦初の自由訳として『慈経 自由訳』を上梓しました。版元は三五館です。

慈経 自由訳』の帯には、「親から子へ、そして孫へと伝えたい『こころの世界遺産』」「『論語』や『新約聖書』にも通ずる、ブッダからの『慈しみ』のメッセージ」と書かれています。「ブッダの慈しみは、愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。生命のつながりを洞察したブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。そして、すべての人にある「慈しみ」の心を育てるために「慈経」のメッセージを残しました。そこには、「すべての生きとし生けるものは、すこやかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように」と念じるブッダの願いが満ちています。

『ぼくだったのかもしれない』に見事な満月が…

興味深いことに、ブッダは満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。満月とは、満たされた心のシンボルにほかなりません。同書には美しい満月の写真が登場しますが、じつは「慈経」そのものが月光のメッセージです。そして、「ハートフル」というのは「心の満月」です。人は倦怠しているとき、下弦の月のごとく、その精神の4分の3が影となっています。何かで悩んだり、ねたみ、そねみ、憎しみなどのネガティブな感情に陥っているとき、暗雲に隠された月のように心も 闇に覆われているのです。しかし、何かで感動したり幸福感などでわかに活気づくと、心の満月が突然現れ、人は自分の 内側にある生命の源と触れ合っていると感じます。この心の満月が「ハートフル」です。『ぼくだったのかもしれない』にも、見事な満月の絵が描かれています。それを見て、わたしは胸がいっぱいになり、「心の満月」が生まれるのを感じました。

カバーの裏にも仕掛けが…

このように、わたしは『僕だったのかもしれない』を読みながら、『法則の法則』、『ハートフル・ソサエティ』、『慈経 自由訳』といった三五館から刊行された一条本の数々を思い出し、とてもセンチメンタルな気分になりました。星山さんとの御縁を感じましたし、中野さんとの絆を感じました。日本の出版史に残る大ベストセラーとなった『書いてはいけない』の次に送られてきたのは、中野コぺル長武さんが作った最高にハートフルなコンパッション・ブックでした。この素晴らしい本が1人でも多くの読者を得ることが ハートフル・ソサエティの創造に通じることを信じ、わたしも周囲の人々に本書を薦めたいと思います。