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No.2438 ホラー・ファンタジー 『墜ちた儀式の記録』 斉砂波人著(KADOKAWA)
2026.01.08
昨年読んだ『墜ちた儀式の記録』斉砂波人著(KADOKAWA)を紹介します。儀式をテーマにしたホラー小説です。一条真也の読書館『近畿地方のある場所について』で紹介した小説と同じ版元ですが、ジャンルも同じモキュメンタリ―・ホラーとなっています。残された記録の断片を繋ぎ合わせていくと、おそろしい真実が明らかになるという物語ですね。
本書の帯
本書の帯には「『近畿地方のある場所について』背筋氏、戦慄」「語り継がれる虚ろな伝承。その断片が集積し、脳内で悍ましい像を結ぶ」と書かれています。
本書の帯の裏
帯の裏には「これは、とある集落で行われている儀式の記録である。」として、「東北の『瀧来集落』では、少女を囲み、男たちが無言で数珠を回す雨乞いの儀が行われる。儀式の後、少女は必ず失踪し、誰一人として戻ってきた者はいない。四国の『高山集落』では、神仏の声を聴くための禁忌の儀式『オハチヒラキ』が継承されている。霊力を強制的に開花させるこの行為は危険すぎて禁じられているが、集落では今も続けられているという」と書かれています。
なんと、佐久間家が登場!!
本書は資料と調査報告のような章で成り立っているのでサクッと読めますが、冒頭に「現地報告 佐久間家」というのが出てきてドキッとしました。わたしの本名も佐久間ですが、わが家は「冠婚葬祭」という儀式に深く関わってきたファミリーだからです。ちなみにわたしは「儀式なくして人生なし」と考えており、「儀式バカ一代」を自認しています。
詳しいストーリーを書くとネタバレになるので控えますが、民俗学者と昆虫学者の調査結果を羅列して怪異を語るという形式になっています。「瀧来集落」では雨乞いの儀式が登場しますが、雨乞いは葬儀とともに人類最古の儀式です。一条真也の読書館『孔子伝』で紹介した漢字学者の白川静の名著にも明記されていますが、孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったといいます。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすことで、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。
「高山集落」では、龍神信仰下のノミコ数珠回しやオハチヒラキが招く失踪・霊力暴走が描かれます。四国の秘教・秘儀といえば、「いざなぎ流」を連想します。一条真也の読書館『呪いと日本人』で紹介した民俗学者・小松和彦氏の著書に詳しいですが、いざなぎ流とは土佐国物部村(現高知県香美市)に伝承された独自の陰陽道・民間信仰です。伝承によれば、天竺(インド)のいざなぎ大王から伝授された24種の方術に基づきます。法具はありません。儀式の都度に定式の和紙の切り紙(御幣)を使います。民間信仰ではありますが、祭祀の祝詞・呪文は体系化されて定式的に伝承されています。
「瀧来集落」にしろ、「高山集落」にしろ、秘境とされるような場所です。こういった場所を舞台に描かれるホラーは、いわゆる「因習村」ものが多いです。一条真也の読書館『ネット怪談の民俗学』で紹介した本で、著者の原田龍平氏は犬鳴村やコトリバコをはじめとして、古典的なネット怪談のいくつかが、「辺鄙な田舎」や「山の奥深く」に対する差別的認識によって読者にとってのリアリティを帯びることになったという点を無視することはできないと指摘します。わたしはこの「因習村」ホラーに潜む地方への差別意識が大嫌いです。一条真也の映画館「犬鳴村」、「樹海村」、「牛首村」で紹介した清水崇監督による映画「恐怖の村」シリーズなどはその典型と言えるでしょう。
原田氏は、「都市部から遠く離れたところ(あるいは「未開」社会)には、現代文明の常識が通用しない、遅れた観念や非人道的な風習(「因習」や「迷信」などと表記される)を守る固陋な人々がおり、異常な出来事が、さも当然であるかのように生じている――という差別的偏見は、戦後日本に限っても、60年代の『秘境』ブームから70年代の横溝正史ブーム、2010年代後半の『フォークホラー』ジャンルの浸透や『因習村』概念の誕生にいたるまで、連綿と続いている」と述べています。因習村のジャンル概念はまだ固まっていませんが、辺鄙な土地に、近代的とは思えないおぞましい風習(因習)が隠されており、都会から来た人々がそれに巻き込まれるというパターンを踏むものが多いです。
近年の映画では一条真也の映画館「ミッドサマー」で紹介した2019年のアメリカ・スウェーデン合作映画、一条真也の映画館「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」で紹介した2023年のアニメ、 一条真也の映画館「変な家」で紹介した2024年の日本映画などが挙げられ、またネット怪談ではやばい集落や犬鳴村などがそれに近いと指摘しつつ、原田氏は「ただ、これらのホラーやネット怪談においては、危険なのは前近代から続く風習というより、近代的ではない風習を現代も続けている(場合によってはわざわざ創出している)集団それ自体である点に注意が必要である」とも述べています。本書『墜ちた儀式の記録』もこのような因習村ホラーではないかと最初は危惧しましたが、読み進むうちにそうではないことがわかりました。というのも、因習村ホラーに登場する村民は初めは親切なのですが、次第に狂気を帯びた残酷性を見せることが多いのですが、本書に出てくる村民たちはずっと親切なままの善人だったからです。最後に、「儀式」と「ホラー」はわたしの最も好きな2大コンテンツであることを告白します。わたしも、いつか儀式ホラー小説を書いてみたいです!